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パーラ『無血戦争』年表ノート

 昨日やってました。
 記述はこないだのより比較的適当です。そのうち英語表記に切り替えたり、拡充したりするつもりです。
 wargaming あるいはwar game と呼ばれるだろうものを中心に、hobby, professional区別せず同一軸上に置きました。日露の動きは比較的軽視していますが、書いていたことは『失敗の本質』のミッドウェー海戦の章の方が詳しいですのでそちらをお読みください。

無血戦争

無血戦争

The Art of Wargaming: A Guide for Professionals and Hobbyists

The Art of Wargaming: A Guide for Professionals and Hobbyists

 そのうちダニガンのハンドブック三版とも照会すれば、かなり詳しくなるんじゃないかなー。今は時間の都合で、ここで打ち止めっぽいですが。

年表ノート

作品名・出来事 メインデザイナー,著者,関係する人物
BCxxxx 『ウェイ・ハイ』 不詳
BCxxxx チャトランガ 不詳
1664 独ウルム 『ケーニヒシュピール*1 クリストファー・ウェイクマン
1780 1666マスの戦争チェス*2 C.L.ヘルヴィヒ
1782 『海軍戦術に関する随想、システム的および歴史的』*3 ジョン・クラーク
1797 独シュレスヴィヒ 軍学校で使用するための新しいウォーゲームの規則*4 オルグ・ベンチュリーニ
1730 川の底を等高線で表す方法の開発 或るオランダの技師*5
1813 独(プロイセン フォン・ライスヴィッツのクリークスシュピール*6 フォン・ライスヴィッツ
1824 独(プロイセン 『ウォーゲームの形をした、戦闘行動の表現のための指針』 オルグ・ハインリッヒ・ルドルフ・ヨハン・フォン・ライスヴィッツ*7
18c中盤 独(プロイセン フォン・チシュウィッツの改造版 フォン・チシュウィッツ
1866 独(プロイセン 普墺戦争の勝利
1872 ゲームの規則導入(チシュウィッツが基礎) ベアリング大尉(イギリス砲兵隊)
1876 ウォーゲームに対する言及 ユーレス・フォン・ベルディ・ドゥ・ベルノワ大佐(後の将軍)
1877 独(プロイセン 『旅団のクリークスシュピール*8 ナウマン大尉
1878 艦対艦ゲームの特許取得 フィリップ.H.コロン
1879 アメリカのクリークスシュピール W.R.リバモ
1882 アメリカのクリークスシュピール』第二版 W.R.リバモ
1882 ストラテゴス――軍事原則に基づくアメリカの戦争のゲームのシリーズ』 チャールズ.A.L.トッテン大尉
1883 陸軍にウォーゲーミングを導入 英国陸軍
1895 『地図上のウォーゲーム実施のための規則』 英国陸軍(影響を与えたのはスペンサー・ウィルキンソン
1900's 『図上演習と戦術運動』 アルフレッド・セイヤー・マハン
19xx 海軍ゲーム フレッド.T.ジェーン
1910 『歴史概論』 ハーバート・ジョージ・ウェルズ
1912 『フロアー・ゲームズ』 ハーバート・ジョージ・ウェルズ
1912 砲兵と国土防衛部のための沿岸砲台ウォーゲーム ウィリアム・チェンバレン
1913 『リトル・ウォーズ』 ハーバート・ジョージ・ウェルズ
1940 フレッチャー・プラットの海軍ウォーゲーム』 フレッチャー・プラット
1942 アメリカの最初のOR(ASWORG) フィリップ・M・モース
20c前 『シュラクテンスピール』 (未調査)
20c前 『ウェヘルシャッハ』 (未調査)
1954 タクテクス チャールズ・スワン・ロバーツII世*9
1956.07 テレタイプ線利用によるロジスティック研究プロジェクト 米国海軍大学
1958 海軍電子戦闘シミュレータ『NEWS』稼働 米国海軍
1966 Strategy and Tactics創刊 クリストファー・R・ワグナー&ライル・E・スメザース
1967 『ジュットランド』 ジェームズ・F・ダニガン*10
1968 『1914年』 ジェームズ・F・ダニガン
1969 『タック・フォース』(試作版) ダニガン&レドモンド・A・サイモンセン
1970 『パンツァー・ブリッツ』 ダニガン&レドモンド・A・サイモンセン
1972 『ムーヴズ』創刊 ジェームズ・F・ダニガン
1973 『ドランク・ナッハ・オステン』 マーク・ミラー,フランク・チャドウィック,ポール・リチャード・バナー
1975 オリジンズの開始 アヴァロンヒル
1976 『ファイア&ムーヴメント』創刊 ロジャー・マクワゴ
1977 『ボード・ウォーゲーミング包括ガイド』
1977.09 海軍研究所が、「部隊の計画立案のための戦域レベルのゲーミングと分析研究会」を開催 アンドリュー・W・マーシャルとジェイムズ・F・ダニガンが出席*11
1979 グローバル・ウォー・ゲーム(GWG)シリーズがプレイされる ヒュー・ノット大佐・ジェイ・ハールバート中佐・フランシス・J・“ビング”ウエスト教授
1980's前半 Worldwide Wargamer社による『ウォーゲーマー』誌創刊 キース・ポルター*12
1981-2 SPI社の資産がTSR社に引き継がれる
1981 大学に海戦研究センターを設立することを発表 トーマス.B.ヘイワード大将(海軍作戦部長)
1983 『シビル・ウォー』『ガルフ・ストライク』『アンブッシュ』『ヘルズ・ハイウェイ』 ビクトリー・ゲームズ社(マーク・ハーマン)
1986.7 オリジンコンベンションにて『ウォーゲーマー』誌がチャールズ・ロバーツ賞を獲得

1970年代のウォーゲーム会社勢力

  1. アヴァロンヒル(『ジェネラル』誌)
  2. SPI*13(『ストラテジー&タクティクス』誌)
  3. 中小ウォーゲームデザイナー(GDW、WestEndGamesなど)
  4. TSRなど、TRPG系振興企業

アヴァロンヒルの革新

  1. CRTの発明
  2. ヘクスマップの発明
  3. テストプレイの導入
  4. 陸上戦闘への航空兵力の導入
  5. ロジスティクス上の制限の導入
  6. 分割ユニット用の駒の導入
  7. 隠匿移動と索敵の導入
  8. 1ターンにすべての駒を動かせるという発想の導入
  9. ウォーゲーム機関誌『ジェネラル』の開始(1964-,トーマス・ショウが始めた)

ダニガンの革新(不完全版)

  1. 「より精密・精巧なシミュレーションを行うこと」と「あいまいなテーマを探求し、たくさんの廉価版のゲームを進んで制作すること」の2つを同時に追求。(アヴァロンヒルの販売戦略に対するカウンター)
  2. 『S&T』17号より後の出版で提携し、新しい雑誌展開を行ったこと。
  3. 指揮官能力の等級、部隊の士気、指揮統制およびパニックの概念の導入など、定性的な要素をウォーゲームの要素として定量化したこと。
  4. ウォーゲーミングとは非線形情報伝達であると述べていること*14
  5. ウォーゲームデザインの手続き整理。
    1. 概念の開発
    2. 調査
    3. プロトタイプの中へのアイディアの統合
    4. プロトタイプの肉付け(クロムの付加)
    5. ルールの第一次考案
    6. ゲーム開発
    7. ブラインドテスト
    8. 最終規則の編集
    9. 制作
    10. フィードバック
  6. ダニガンが、自由契約のデザイナーの起源に(これは議論の余地がありそう)

その他

  • フォン・ベルディ、〈厳密なクリークスシュピール〉〈自由なクリークスシュピール〉を分ける
  • 1884.10:ステファン.B.ルース准将、コースターズ・ハーパー島に海軍大学設立(一般命令323号)の許可を得る。マッカーティ・リトルが非常勤職員として入る。
  • アヴァロンヒル:少量を購入し、じっくり学習するという商品。基本システムは同じ方がよい。学ぶのが容易。8ページの長い規則と2時間以上のプレイ時間を克服するのにはよかった。
  • ダニガンはそれに対して、ゲーム一つ一つが特別なゲームシステムを持ち、たくさんの異なった潜在敵問題についてみている本のようにみていた。わずか数回、読んでプレイすることに相応した価格なら買うだろう。
  • SPIは、25000$で米国陸軍にボードゲームを売った。
  • ヘレナ・ルーベンシュタイン(前ウエスト・エンド・ゲームズ社長)は、大学論文としてゲームデザイン
  • グロニャール=フランス語で「老兵=不平を言う老害
  • クワゴンの「あなたがたがホビーである」という台詞が素晴らしい。
  • モンスターゲームとミニゲームの流れ
  • 少なくとも、TRPGの勃興があっても、米ミニチュアウォーゲームはそれほど発達しなかったようだ。

プロのウォーゲーミングにおける研究目的3つ

  1. 戦略および計画を開発または試験すること
  2. 問題を見極めること
  3. 参加者間で合意を打ち立てること

その他

 思いついたらまた書きます。まだ後半部分は十分に要約できてません。
 暫定ノートにすぎませんので、孫引きせずに原文にあたってみてくださいね。

*1:チェスから戦争チェスへ変化したもののうち、歴史に残されている最初のもの。

*2:1.ユニット抽象化の概念,2.地形の概念,3.審判の導入。この3つのすべてが揃った戦争チェスの登場。

*3:0.初稿は1779年。ミニチュア海軍ウォーゲームの原型にあたるか。1.真剣な敵対行動がとられない(手動シミュレーション)であること。2.海軍は平らなテーブルでOKということがメリットになったこと。3.1982年、サー・ジョージ・ロドニーによって利用されたこと。4.1797年、1805年の海戦において、同様にクラークの知見を利用してネルソンが勝利を収めたこと。

*4:1.3600のスクウェア・グリッド。2.1マス=1平方マイル。3.マップは抽象的なものではなく、フランス・ベルギー国境を模倣して作られた(重要)。4.支援部隊(橋・要塞・補給弾薬・砲・荷馬車の一団、野外パン焼き器など)コマが導入された。

*5:フランスという説もあり。要調査

*6:0.彼は文民として軍事顧問をしており、当時プロイセンの王子たち(後のヴィルヘルムI世となる王子を含む)に築城術の講義を行っていた。1.1811年ごろに作っていた試作版は砂盤だったが、時の皇帝フリードリッヒ・ヴィルヘルムIII世に見せたのは石膏製(可変式)。2.最低6フィート平方の大きさの盤だったという。駒は磁器で、デバイダー、定規、奇襲用小箱などがあった。3.一般的概念orシナリオによって進められる。この時点で既に「シナリオ」の概念はあったとみていいのか?

*7:0.彼は1910年代のフォン・ライスヴィッツの息子である。1.彼は戦闘結果を、初めて審判ではなく計算によって表現した(厳密なクリークスシュピールの誕生と言ってよいか)1.縮尺は1:8000から1:12000を想定。2.運用には熟練を要する。ヴィルヘルム王子(後のヴィルヘルムI世)と、特に幕僚長フォン・マフリンクが推薦(『陸軍週刊誌』402号)。3.1827年、トルガウに転勤させられた小ライスヴィッツは自殺。

*8:かけ算による戦闘結果の調整が用いられた

*9:0.メリーランド州の陸軍将校。1.戦力比によるCRT(コンバット・リザルト・テーブル)を導入。2.ユニットの戦闘力等級付け。3.Tacticsは1952年開発、1954年出版(アヴァロンゲームズ社,販売はスタックポール出版社)。4.1958年、社名をアヴァロンヒル社に変更。『タクテクスII』『ゲティズバーグ』『ディスパッチャー』『チャンセラーズヴィル』『Dデイ』。5.ランド研究所との出会い。6.1963年経営破綻、モナーク・サービス社に経営譲渡、社長エリック・ドットは救済を決意、トーマス・ショウを責任者として指定、1964年再生。7.C.ウェイド.マクラスキーが『ミッドウェイ』に寄稿した後、マクラスキーはアバロンヒルの技術顧問スタッフの創立委員になった。後に、アンソニー・マッコーリフ(バルジ)、ドナルド・ディクソン(ガダルカナル)なども加わる

*10:1.1965年、トーマス・ショウと出会う(おもちゃ事業の会計調査)。バルジの戦いのデザインについて質問責め。2.1966年までアマチュアとして専念。『カンプフ』(ヴィック・マデハの協力

*11:ここでダニガンは、「マーシャルの1/5の費用でSAS(戦略分析シミュレーション)を作る」と提案。ホビイストとしてで活躍したダニガンがプロのウォーゲーミングにおいても活躍し始めた時期?

*12:80年代後半の雑誌改変にも貢献したという。彼とマーク・ハーマンの2人が、ダニガンの精神的継承者? であるというのがパーラの見方。

*13:Simulations,publications Incorporatedの略。

*14:ポイントは2つ。1.簡潔にしておく(抽象化)。2.盗用する。(抽象化技法の借用をためらわないこと)。