蔵原大さんからコメントを戴きました
戦略学・歴史学の立場からウォーゲーミング(=軍事演習を設計・実践するにあたっての方法論)の歴史を研究されている蔵原大さんから、今月の25日ごろ *1、「会話型RPG(TRPG)における〈プレイング〉の内実(改訂版)」(http://d.hatena.ne.jp/gginc/20100822/1282520395)についてのコメントを戴きました。
幸いにも掲載許可を戴くことができましたので、こちらに紹介させて戴くことにしました。どうもありがとうございます。
蔵原大さんは、基本的にmixiの日記において考察を進められている方ですが、一部の記事は文芸批評の岡和田晃さんのBlogに転載されています。本エントリで蔵原さんの研究領域に関心を持たれた方は、以下のエントリもぜひ読んでいただければと思います。
- 蔵原大,2009,「ウォーゲームを製作する歴史学の講義」(http://d.hatena.ne.jp/Thorn/20091125/p1,2009.11.16).
- 蔵原大,2009,「ウォーゲームを製作する歴史学の講義 その2」(http://d.hatena.ne.jp/Thorn/20091127/p1,2009.11.27)
- 蔵原大,2010,「レビュー:The Grand Strategy of Philip II」(http://d.hatena.ne.jp/Thorn/20100302/p1,2010.03.02).
- 蔵原大,2010,「レビュー:ダニガン『ウォーゲームズ・ハンドブック第三版』」(http://d.hatena.ne.jp/Thorn/20100504/p1,2010.05.04).
- 蔵原大,2010,「レビュー:J・キーガン『戦闘の顔』(The Face of Battle)>(http://d.hatena.ne.jp/Thorn/20100812/p1,2010,08.12.)
蔵原大さんからのコメント
「会話型RPGという手続きの基礎」を拝読しました。
あれだけの長い、しかもシッカリした記事が日本人の筆で出るようになったのですから、時代も変わったものです。ようやく日本人も、自分の言葉でRPGを専門的に語り始めたわけですが、この流れが今後も持続すればいいのにと思う次第です。
また題材や専門用語についてしっかり定義を示しているのもイイですよね。主題や用語の概念があいまいですと、そもそも批評の俎上にさえあげられないのですが、その点で今回の記事は誰が見ても少なくとも論旨はしっかりまとまっているのが助かります。こういう記事が増えてくれると、日本におけるゲームの製作や普及、教育の土台が固まってくれるのかなとも期待するばかりです。
今回のこの記事、ひょっとして「研究ノート」かなにかの下敷きなのでしょうか?
ところで、記事について気になった事が二点ありますので、簡便にコメントします。
1.ロールプレイングの「質的」と「量的」?
情報の「定量性」と「定性性」から派生して論を組み立てているのはよくわかりますが、実際のロールプレイ(役割演技)においては両者を完全に区分して演技をしている事例の方がむしろ少ないかと思います(これは実際の政治や経済の実務と類似しているでしょう)。となるとはたしてロールプレイングを「質的」と「量的」とに二分する意味があるのでしょうか。むしろこの場合、情報のどちらに重点をおいてロールプレイをするのか、という筋道で書かれた方がすんなり理解できたかな、とも感じました。
2."LARP"は「会話型RPG」のカテゴリーに当てはまるのか?
これは本論でも触れられていましたが、LARPは本質的には実世界の資源を使い、しかもその用途は私的のみならず公共の場にも広がっているため、主題であった(とクラハラが理解している)個人の娯楽としての"RPG"と並列させるのは、ちょっとどうかな?、とは思いました。
もちろんLARPの話を取り上げるのがイケナイという意味ではなく、逆に紹介されるのは大いに結構なのでしょうが(きちんと注も入っていますしね)、もう少し丁寧にLARPの説明をしてからの方が全体の収まりがよかったのではという印象は受けました。日本ではそもそもライブRPGという概念自体まだ周知されていないので、LARPとはそもそも何なのか(ただの娯楽ではないという点)、LARPの具体例(教育や公的な大会など)、その辺にまでご配慮いただいて論を進めていただけますと、さらにイイ感じに見えるかもしれません。
高橋の返信
蔵原さん:
コメントありがとうございます。
今回の文章は研究ノートというより、以前したためたプレイング論の推敲として提示しました。いずれこの件についてはゲーム関連の学会などでも仮説として提示できるところまで持ってゆきたいとは考えていますが、その段階より数ステップ前だとは自覚しています。
戴いた質問に回答致します。
1.量的/質的の区分の意義
これは確かに、混ざるものだと思います。排他的な区別をしているわけではありません。
ただし、混ざるだけでなく、「あるメカニズムを前提に相互に翻訳される」というところを掴む為に、敢えて規定したものでもあるのです。一度定義したものが、「べつべつに・相互排他的に」駆動しているわけではないのですね。
Vampire.Sさんとのチャット(http://d.hatena.ne.jp/gginc/20100825/1282708102)でも述べたのですが、「行為判定」のメカニズムに放り込めるような変数と、そこまで加工され切れていないその他の雑多な情報とを、indexical data/symbolic dataと言い換えた方が適切かも知れない、と言う話をしました。
というのは、GMとPLが共同で「まあ、こういう解釈で行きましょうよ」と考える部分と、既存の設定情報から厳密に行為判定ルールに落とし込みうる部分とが、現場のセッションではぐちゃぐちゃに混ざる。そういう相互の変換作業というものがあることは、(純粋に・経験科学として)取り出せるかどうかはかなり難しいものの、一ゲーマーの経験としてはあるんじゃないか、と感じているのです。
ですから、量的/質的(あるいはindexical/symbolic)と分けたことによる意義というのは、「相互排他的に認知可能だ」というよりは、2つの解釈システムを同時に、高速に入れ替えたり、二重写しにしたりするような、プレーヤーの認知モデルが(もしかして)見いだせるのではないかなあ……というような予見を、ここで立てているわけでした。
もちろんこうした考えをすぐに脳神経科学や実験心理学などの実証へ持っていくということは極めて困難なのですが、中間報告として、ここまで書いてみた次第です。
2.LARPのくだりについて
これは別の読者の方からも意見を戴いて、別記事として分離したところでした(http://d.hatena.ne.jp/gginc/20100822/1282750657)。重要な部分でさえかなり長いのに、これがあることで混乱を招きかねないかなと思い、対処した次第です。
この方面は、ご存知のKammさんの研究から示唆を受けたもので、「せっかくプレイングの話をしたのだから一緒に書き留めておこう」というくらいの気持ちで入れたものでしたが、きちんと分けて書いた方がreadabilityが上がるのはその通りで、軽率に合わせてしまったことを反省しております。以後の議論を進める際に配慮したいと思います。
3.文献紹介
ありがとうございます。早速入手・読解してみます。
今後とも、ぜひコメント頂ければ幸いです。とても励みになります。
*1:その後のエントリにより文意を補完する前のやりとりとなっているため、他既出エントリと重複している部分もある場合があります。ただ、蔵原さんの文は簡潔明瞭であり、僕が応答する中で思考を整理する際とても助けになったため、時系列と関係なく紹介したいと考えたのでした。