GOD AND GOLEM, Inc. (はてなダイアリー倉庫版)

2007-2012まで運用していた旧はてなダイアリーの倉庫です。新規記事の投稿は滅多に行いません。

〈修正表〉についてのメモ

 久々にTRPGの話。Aマホガンパレード編について考えつつ、話は拡散します。
 『Aの魔法陣 ガンパレード編』は、『高機動幻想ガンパレードマーチ』のメインデザインを担当した芝村裕吏氏自身が、TRPGとして出した作品です。これを買うと、GPMの学兵としての学園&戦争の状況を、ボードゲームちっくに疑似体験することができます。

 GPO白を遊んで久々にガンパレ熱が再燃し、このAマホガンパレード編のデザインについてネット上の資料を漁っていたら、以下の発言に巡り会いました。
 芝村氏自身のAマホデザインコンセプトの解説です。

「ファイア=火力 ムーブメント=機動 いうならばファイア&ムーブメントはすなわち火力と機動、に他ならない。すべての軍隊というのは大まかに言って火力班と機動班の二個に割って運用される。なんのこたない皆さんはまず、部隊が火力か、機動か、どちらかを判断し、自分はどこかを考える。だけでいい。それがわかるということが、要するに戦術の理解であり、部隊の立ち位置の理解につながる。
 で、火力と機動ってどう違うんですかと、まあ、初心者はそう思うとおもうので、そこを話します。
 まず。基本。敵と戦うにあたり、敵を撃たないと、どうにもなりません。 これが火力。
 次に敵を正面から撃つだけで勝負がつくことはまずありません。 当たり前ですが、敵は敵なりに勝つ計算してきてるのさ。で、その敵の計算をぶっ壊さないといけません。火力でねじ伏せればいいけどまあ、普通はそんなに火力ないわな 。
 火力が足りない分は、機動でカバーリングする。 横から後ろから動くことでどうにかするわけだ。これをもってファイア&ムーブメントという。
 ゲーム的には、機動=修正表 火力=阻止線 と思うといい。攻撃値や防御値は両方出して合算するので、きにせんでいい。パーティは修正稼ぎにいくために動く人と、阻止線張って邪魔する人の二つに分かれるわけさ。簡単だろ?」
芝村2008.09.11

 機動パートの話は、T&Tにおける「均衡を崩す」の概念に近い感じですね。
 あとがきでも、現代戦においての〈阻止線〉の重要性について述べていたので(芝村2008: 425)これについてはわかりますが、機動が〈修正表〉で再現されているというのは、面白いですね。
 芝村氏はこれまでにも、T&Tでもトラベラーでも、GMやレフリー自身が修正表を自作すること(言い換えれば、修正の有利/不利を事前に準備して、プレイヤーに「有利で、かつそれらしい状況」を安定して提供すること)が大事だと繰り返し述べてきました。ところがここに来て今回は、修正表がある程度はじめからガッツリ挿入されたゲームにおいて、これを基本的な戦術(の指針)として覚え、有効活用することがデザインレベルで推奨されています。ウォーゲーム的というか、TRPGで言えばFASAゲー(バトルテックとか、シャドウランとか)みたいですね。

バトルテック「メック戦闘ルール」

バトルテック「メック戦闘ルール」

シャドウラン 4th Edition (Role&Roll RPGシリーズ)

シャドウラン 4th Edition (Role&Roll RPGシリーズ)

 シャドウランも、ほぼウォーゲームの『バトルテック』を作った会社が出してきただけあって、かなりウォーゲーム的発想で作られています。膨大な修正表の伝統は、修正値の計算がかなり簡略化された4版でも健在です。これを「面倒くさい」と取られることも多いですが(まあ、私もそうです)、ウォーゲームのデザインにおける修正表の意義について考え直すと、そうむやみに否定するものでもないですね。
 「修正表」とどう付き合うかは、別にTRPGに限った話ではなく、アクチュアリティ(具体性)の高いボードゲームデザインにおいて、かなり一般性を持ちうる議題だと思っています。
 修正表をどう読むか。どう整理するか。実セッションでどれだけ高速に運用するか。そもそも必要なのに足りてない場合や、GMの自由裁量を前提としている場合にどれだけ公正な自作方法がありうるか。こうした問題が論じられるように思います。D&D3.xにおいて〈修正表〉的な役割をもつギミックはものすごい沢山ありましたが、これを覚えるということはどういうプレイ感覚をもたらしていたのか、とか。
 私の中では、ちょっと前に「判例主義と法律主義」みたいな言い方で考えていたことが、「修正表の自作と、修正表の事前設計」というよりノーマルな言い換えでなんとか構図化できるんじゃないか、と思ったり。
 それはそれとして、今回のAマホガンパレード編の修正表は、読んでいて結構面白いです。『Aの魔法陣』基本ルールが、基本的には〈前提変換〉の自作・自由裁量を推奨するルールだったのに対して、少なくともガンパレ編の戦争パートには、戦争の判定に関するリテラシーが〈修正表〉というかたちで提供されているわけですね。
 とはいえ、153ページに丸々1ページあるだけで、何ページにもわたって修正表を参照しなければいけないという風にはなっていない。中くらいの分量になっていると思います。これとマニアック戦闘ルールを重ねた時の運用速度がどれくらいになるかは、やっぱり遊んでみないとわからないなあ。
 ところで私は、Aマホにおける前提変換という考え方を、ゲームマスターが、プレイの状況に応じてそのつど修正を生成・適用するとは、一体どういう公正さを持ちうるのか」というTRPGにおける根本的な問題を、一つの概念で表現したものだと思っています。だから非常に面白く感じていたのですが、たぶんこれまでのTRPGにおいては、「修正が(ルールとして)沢山あるか、自分で考えないといけないか」という、システムデザインレベルでの意見しかしてこなかったんじゃないか。あれは口プロレスだ、これはルールが多すぎる、あーだこーだというのは、あまり本質的ではない。それより、マスタリングレベルで「修正表をデザイン・カスタマイズする」とはどういうことか、それはシステムデザインのレベルで提示される「修正表」の良さとどのように共存しうるのか。そういうことを考えたほうが、建設的かなと思います。(ここで私は、システムデザイン/マスターリング/プレイングの三層構造を念頭に置いています)
 ところで今回のRole&Rollの最新号では、ガンパレ編のリプレイが登場しているそうです。まだ買ってませんが、ウォーゲーマーの速水螺旋人さんや、D&Dで活躍している柳田さん(id:D16)が参戦しているとのこと。気になっています。

Role&Roll Vol.52

Role&Roll Vol.52

 

余談

 TRPGはルールブックという基礎的な裁量を決め、そこから共同でゲームデザインしていく遊び。
 この「ゲームデザインの作法」を一言で「リテラシー」というならば、

 の2つはあっても、

 というデジタルゲームみたいなことはできないわけで、そこがボードゲームのネックです。つまりボードゲームTRPGは、どこまで行ってもリテラシーを「積極的に覚える」必要がある。何もしなくても勝手に導入されるということは、基本的に難しい。
 そして、TRPGゲーマーとして遊び続けている人は、「リテラシーを覚える」こと自体“にも”楽しみを見いだせるのだが、リテラシーを覚える楽しみを他人にうまく提供することについては、どこまで進んでいるのか(この場合、リプレイは含まれない。読んでいても、遊んでいるわけではないため)。
 そこで、パーティゲームの習慣があるアメリカ・ヨーロッパ(の一部)と日本との差が、ネットワーク外部性の形で出てくる。
 以上、メモのメモみたいな。