友人蒼助による平成仮面ライダー講義(『仮面ライダー響鬼』批評メイン)
夏のコミックマーケット(C76)三日目で、『筑波批評2009夏 特集・ゲームの思考』を購入してくださった皆様、ありがとうございます。批評ブースという比較的マイナーな場所なのにもかかわらず100冊を超える売り上げだったそうで、良かったなあと思っています。まだ在庫が余っているそうですので、そのうち代表のシノハラ君(id:sakstyle)から通販計画とか文フリでも売るとか、そういう話が出るのではないかと思います。私の寄稿文の巻末についている参考文献については、そのうち横書きフォーマットに直してこのブログで公開しておきます。
ところで、夏コミ三日目の批評ブースで一番盛り上がっており一番部数が捌けていたのは、東浩紀×宇野常寛の編集による『Final Critical Ride』という批評雑誌でした。部数も1000部以上捌けたそうです。内容は「平成仮面ライダー批評の可能性」と「藤村龍至×濱野智史の対談記事」が入ったもので、どちらも面白く読みました(特に濱野さんの「建築・社会設計・コンピュータシステムに続く『アーキテクチャ第四の意味』は組織設計ではないか」という指摘から展開する一連の議論[東・宇野編 2009:39-41]は、とても為になりました)。
しかし平成仮面ライダーに関して言うと、私は日曜朝からスーパーヒーロータイムの時間にTVの前に坐る習慣がそもそもない。それどころか、ニュースやバラエティなどの「TV番組」を観るという習慣自体ほとんど希薄で、「平成仮面ライダーが批評の新しい未来だ」と言われても正直ピンと来ませんでした。「批評として面白い」のは東×宇野対談で十分わかる。しかしだからといって、自分が「平成仮面ライダー観なくちゃ!」となるわけではない。
その理由は、私が関心があるのが、彼らが先陣を切って展開している批評の潮流“全体”に関心があるというわけではないというのがまず大きいのですが、もう一つ、私には単純に仮面ライダーのような特撮モノを観るリテラシーが圧倒的に不足しており、それを修正するだけのモチベーションがなかなか沸いてこない、ということがあります。
あるジャンルに関してリテラシーが不足していると、観るモチベーションが沸かない、というのは、オタクな話に限らず、専門知識の要る娯楽ではよくある現象です。これに「あんなのくだらねえ」と言う言葉をもし私が言うのであれば、それは社会心理学で言うところの〈認知的不協和〉を地で行くことになり、まったくもってけしからん話です(「となりのブドウはすっぱいの理論」でおなじみですね)。
ところが私は、「平成仮面ライダーなんてくだらねえ」とは全然思わない。ただリテラシーが不足しているので、どうコメントして良いかを保留せざるを得ないし、「彼らの判断を吟味するために平成仮面ライダーを観よう」と思うかどうかは、微妙なところです。*1
そういうわけで、A.論者が単に認知的不協和に陥っているのか、それともB.そのジャンルにおける理解不足から判断を保留したり、オルタナティヴな受容のあり方を模索しようとしているのか。私は少なくとも理念的には、どんなジャンルであれBの立場から色んな人の話を聞いてゆきたいと思っています。このAとBの区別は、私に限らず、いろんな人の批評的な文章や発言に対して区別を付けて貰えるとすっきりするのになあと常々思います*2。
ところで、私には、特撮に詳しい同い年の友人がいます。社蒼助(仮名)は、同い年で昭和・平成仮面ライダーの大半を網羅しており、また最近は『ウルトラマン』も網羅しつつある。
自分が特撮や仮面ライダー、ウルトラマンなどにほとんどコミットせずに、そちら方面の話を詳しく知る人となんとか話せてこられたのは、この友人が、自分の見聞からフィルタリングして上質の解釈を教えてくれることが大きいのですね。だから、特撮やアニメにとんと疎い自分は「わからん」と率直に言いながら、そのことを前提に定期的に教えを請うています。私も一応オタクではありますが、少なくとも特撮やアニメや古典漫画に詳しいオタクではなく、その方面の方々と話す際にとても苦労するのです。彼はそんな私を理解してくれた上で、ジャンルの面白さをわかりやすく批評してくれる、貴重な友人です。
先日、Twitterを開きながら友人との談話を“tsudaる”風にhook-upしたノートがあります。22日の未明から4時間ほど、ひたすら友人の蒼助に「平成仮面ライダーの見方」のレクチャーをして貰いました。私は私で、「平成ライダー」の面白さについてはド素人なのですが、少なくとも「特撮について話す友人のパフォーマンスは確実に面白い」と思っています。その面白さの源泉になっているという意味においては、私は既に「平成ライダー」を作品として重くみなければならないという気分になっています。『Final Critical Ride』だけでは、私には若干足りなかった。それを埋めてくれたのが、彼の以下の講義です。
ライダーに一家言ある方には異論の多い部分もあるかもしれませんが、少なくとも私は平成ライダー通史を把握するためにとてもためになったので、ここに彼の許可を得て公開させてもらいます。
01『クウガ』
高橋志臣(以下「志」):『Final Critical Ride』という夏コミの同人誌で、平成ライダーシリーズが今後の批評の潮流になるだろう、みたいなことが論じられていたのだが、特撮素人の自分にはちょっと判断しかねるところがある。そこでそもそも平成ライダーシリーズとはどういう点が面白いのか、蒼助自身の観点から教えて欲しい。
社蒼助(以下「蒼」):平成ライダーシリーズの始まりは『仮面ライダークウガ』。だからまずクウガから話したい。クウガ最終話には伝説がある。CMが途中で一切挟まれなかった。スポンサーがそれを了承したからだ。しかもクウガ役のオダギリジョーが最後の最後にしか出てこない。救われた他者の後日談ばかりが入って,最後に旅に出たオダギリの話で終わる。自分は当時高校生だったが、これは本当に新しいと感じた。また『クウガ』は、ライダーと怪人の扱いが中盤まではほとんど変わらない。世論はライダーをヒーローではなく、敵と思い込んでいるのだけれど、物語の中盤から少しずつ認識が変わっていく。そこも新たな試みだ。相棒の刑事すら最初は反目していた。
志:そこは、官僚的なリアリティが含み込まれたという点でパトレイバー的と言えるか?〔宇野の発言[東・宇野編 2009: 18]*3を参照しつつ尋ねている。〕
蒼:そうかもしれない。社会的リアリティと言えば、『クウガ』は敵が途中から強くなって倒せなくなる。それに対して〈ライジングフォーム〉という能力を使えば何とか倒せるようになるのだが、これを使うと敵が爆発してしまう。この爆発で、近隣に二次災害が起きてしまう。工場で爆発したことで、世論が掌を返すというシーンがあり、ここは社会との関係を考える上で面白い。
また刑事だけでなく、科捜研も協力する。煙に弱い敵に対する武器を開発したり、色々サポートしたりする。そして最終話直前、人間がライダーの手を借りずに、直接怪人を倒せるようになる。
志:そのモチーフは初代『ウルトラマン』のゼットン戦に似ているか。でも、漸進的に展開されて、クウガに引き摺られた人間のビルドゥングスロマンであるという点で違うのか。
蒼:『クウガ』のライダーの力は、色別の特殊能力とパワーアップで説明できる。赤のマイティはバランス型。青のドラゴンがスピード型。緑のペガサスが索敵型、制限時間は50秒。紫のタイタンは剣で戦う。この四色でも戦えないときに、治療中に使われた電気ショックで〈ライジングフォーム〉に目覚める。
クウガの変身は、腹のところに手をかざすとベルトが出てくる。ところが、敵がジャマしてきて敵が攻撃してくる。そこをなんとか躱して変身を完了させる。ここにリアリティを持ち込んだのが『クウガ』だ。自分は3月に平成ライダーを全部見直したんだけれども、そこで思ったのが、『クウガ』では敵の言語が人間と異なる。グロンギ語という。超古代の敵だから、分からない。ところが最近、東映のインターネット番組で初めて超古代語の翻訳版が出た。これは製品としては販売されていない。
またこれは『クウガ』だけではなく平成ライダー共通の特徴なのだが、登場する学校名や組織名が共通している。城南大学には本郷教授が必ず居る、城北高校には風見先生がいる。知っている人ならニヤッとする。
志:FFシリーズにおけるシドやチョコボみたいなやり方か。〔井上明人のファイナル/ファンタジー研究研究[井上 2009]*4と共通する視点か〕
蒼:『クウガ』ではたまに、一話中にまったく変身しない回がある。5、6話くらいあるだろうか。子どもが変身を楽しみにして見ていたら「あれ、今日変身しないよ?」と思うだろう回がある。ライダーあっての物語なのに、あえてやっている。
志:それが新しかったのか。
蒼:成長についてもドラマツルギーが組み込まれている。最初は白(グローイング・フォーム)。次に赤(マイティフォーム)、青(ドラゴン・フォーム)、緑(ペガサス・フォーム)、紫(タイタン・フォーム)の4種類。次に上級フォームである〈ライジング・フォーム〉で同じ4色の上級フォーム(赤青緑紫)を一周。それから、常時ライジングに変身できるようになった頃に、敵に対する憎悪の心が生じる。これはヒーローの心からは逸脱するものとして描かれる。その憎悪が頂点に達して黒金(アメイジングマイティ)が登場する。そしてアルティメットへと至る。アルティメットになると、心が敵と同じ暗黒に染まってしまう。
志:アルティメットに普通になると、黒い瞳だと今までの人間の記憶を失うんだっけ?
蒼:そう。でも最後にみんなに会いに行って、『みんなに笑顔で居て欲しい』という希望を得ることによって、『赤い瞳のアルティメット』を獲得する。後でヒロインに「伝説を塗り替えましたね」と言わせる。ところが、肝心の最終戦闘は見せてくれない。
ところで全編でよいのは、“喫茶店のおやっさん”の役割が、昭和ライダー以来久しぶりに復活したこと。彼は主人公がクウガであることを知らない。最後の最後で気づく。途中「あいつなーにやってるんだろうなぁ?’と言ってばっかりいる。
フォームも、放映時間で2分しか出てこないフォームがあって、フィギュアやグッズのプレゼンをしなくてはならないはずなのに『お前売る気ねぇだろ!』という感じ。でもそれで良かった。
志:富野が初代『ガンダム』中盤でゴッグやズゴックを出さざるを得なかった状況とは隔世の感がある。
蒼:いや、おもちゃ会社の件に関して言えば、クウガは平成ライダーの中でも特別だ。『クウガ』にのめりこんだ担当者が自社の上層部と色々とかけあってようやくCM抜きや、1話のみ登場などが実現できたという。
主役のオダギリジョーにも伝説がある。当時、彼は事務所からむりやり特撮系のオーディションに行かされた。でも受かりたくないからと、暴れ回ってわざと落とされた。ところがライダーのオーディションでも暴れ回ったところ、「新しいイメージのライダーが欲しい」という要望と合致してしまい、採用されてしまった。彼はそれまで一度もライダーを見たことがなかったのに。
02『アギト』,03『龍騎』,04『555』,05『剣』
志:そろそろ『クウガ』の次の話も聞いてよいだろうか。『アギト』はさっき少し聴いたからよいとして〔今回は二人の間では第2作『アギト』の話はそれほど言及されなかった〕、第3作『龍騎』はバトルロワイヤルからセカイ系に転じたという感じらしいが[東・宇野編 2009: 21]、その点はどうか。
蒼:自分はあの結末に関しては、「夢オチ」が含まれてしまうという点であまり感心しなかったのだが、確かに後半はセカイ系のような要素が入ってくる。
志:なるほど。「なんでこんな作品が生まれてしまったのか?」という論点から語ると『龍騎』は面白いらしいが。
蒼:そういう視点なら絶対に盛り上がるだろう。
志:なるほど、『龍騎』に関しては、ベタに面白いか、批評的に面白いかという違いはあるようだ。
蒼:『クウガ』『アギト』『龍騎』と続いて、平成ライダー4作目の『555』〔ファイズ〕は、ライダーというより怪人の話。〈オルフェノク〉という、吸血鬼のような者たちが出てくる。その中でも、人間を餌と考える派閥と、人とわかり合えるという派閥とで争う。
志:オルフェノクは人間に対する上位種を名乗ってるのか。
蒼:そう。ガンダムチックで、『逆襲のシャア』を彷彿とさせる。
志:ベルトが3つ有るらしいが。
蒼:そう、3つ。〈ファイズ〉〈カイザ〉〈デルタ〉。このベルトは〈ファイズ〉以外の二つは所有者がコロコロ変わってしまい、途中からは〈ファイズ〉すらも所有者が変わる。ちなみに自分は、平成ライダーに、いわゆる〈チート機能〉とでも呼ぶべきのが附きだしたのが2003年から2004年の『555』からだと思っている。この話は後でしよう。
次に第5作『剣』〔ブレイド〕。敵を倒すのではなく、カードに封じ込める。
志:『カードキャプターさくら』(笑)。
蒼:俺も観たときは真っ先にそれを考えた(笑)。これがなぜ倒すのではなくキャプチャ(捕まえる)なのかというと、敵がそもそも不死身だという設定だからから。「undead」と呼ばれる。で、それを捕まえるために〈ラウズカード〉というのを使う。『剣』のまず面白いのは、このundeadに立ち向かう大企業のBOARDが3話くらいですぐに潰れちゃうところ。
志:えええええ。
蒼:3話にてあっさり解散。爆笑した。その後、企業のオペレータの娘と一緒に逃亡する。〈ラウズカード〉はトランプ52枚を表してる。でもね、役者のせいで残念なことに。
志:まさかオンドゥラってこの剣〔ブレイド〕……?〔参考:http://bit.ly/64iFf)
蒼:そう。もし役者が良かったらトップ3に入っていたかも知れない傑作なのに、残念な結果に終わった。
志:誰か字幕作れば評価も変わるのだろうか。
蒼:ベタにそう思う。
志:流れとしては『クウガ』『アギト』『龍騎』『555』『剣』だったということか。
06『響鬼』(今回対談のメイン)
蒼:そこに来るのが第6作『響鬼』〔ヒビキ〕だ。『龍騎』以降の視聴率の低迷の後に出てきて、予告を観たら、みんな2chにネタにしまくった。「昆虫じゃないじゃん!」「武器がバチ!?」とか。ところが初回。第一話から特撮なのに、OPがインストゥルメンタルだった。「CD売れんのか、これ」という感じで聞いてて。で、終わったら目覚まし時計の音が鳴る。ジリリリリ。日常の音を色々パーカッションにして始まる。坊さんの鈴や箒の音とかから始まる。もう開始2分から経って、ちんぷんかんぷん。
開始2分。そこから少しずつメロディになっていく。女の子が自転車漕いでやってくる。そこからいきなり、ミュージカルになる。
志:ええええ、『響鬼』一話ってミュージカルだったのか!?
蒼:そう。そこで「おはよーグッモーニン」というところで4分経って、授業風景。ここまで普通の台詞一切なし。
志:すみません。ちんぷんかんぷんなんですが。
蒼:安心してほしい。動画で見てもちんぷんかんぷんだから。で、画面が色々切り替わって、主人公がイルカを観る。すると「いーるーかーがーいーるーかー」と歌い出すと……今回のライダー役である細川茂樹が歌ってるわけだ。少年は細川を無視する。すると細川茂樹が別の子どもを助ける。
志:まったくわけがわかりません。
蒼:ちなみにここまでで10分だ。
志:……。
蒼:屋久島のシーンが入って、また少年のシーンに戻る。細川が少年の方を叩いて、“シュッ”って言って、またどっかへ行く。別のシーンで細川が電話をしていたら、10円玉が切れる。細川はバス停の時刻表を見る。
蒼:そこで細川が男と出会う。男は音叉を取り出す。で、“チーン”と。ここで「お前、仮面ライダーやる気あんのか」という気分になってくる。また少年のシーン。法事で少年がつまらなさそうにしていると、また細川が出てくる。
志:ここからどうすれば君が絶賛している『響鬼』の話になる……?
蒼:細川は質問にはくだらない答えしか返さないのに、どうでもいい質問には尋ね終わる前に言い出す。「鍛えてます」とか。そこで少年のお姉さんが攫われる。そこで細川が助けに来て、変身する。額に鬼の文様が出てくる。ところがライダーの格好じゃない。ところで、ライダーの最初の攻撃は気になるだろう。
志:うん、まあ。
蒼:ここでびっくりするのよ。響鬼、火ィ吹きやがった。
志:わはははは。
蒼:そしてエンディングが布施明。歌謡曲だぞ?……俺は当時(2005年01月)空いた口がふさがらなかった! 次の回も撥や太鼓で浄めの音を出すというやり方なんだけど、その攻撃も衝撃的。第二回もミュージカルが続くし、「また進路の話かよ」などなど。7話までに主人公=明日夢くんという少年が高校受験に合格して、そこまでのあいだに細川のやっていることがわかってくる。でも最初、『響鬼』は本当にしょーもない。消化不良がずっと続く。
志:……。
蒼:このライダーは、どんな人間でも頑張って身体を鍛えまくればなれるらしい。今回の敵は〈魔化魍〉(まかもう)という妖怪で、それに敵対する組織が〈猛士〉〔たけし〕。この猛士という職は一子相伝らしい。序盤では、彼らの行動パターンが描かれる。最初のしょーもないのだが、これが実は地道に人間関係を描いている。
細川演ずるおっさんライダーこと響鬼さんには弟子がいない。そこで明日夢くんが伊吹鬼に「細川の弟子?」と思い込まれたりする。ライダーにシフト表があったりするのも、『響鬼』のなかなか面白いところだ。さて、12話くらいになって、ようやくライダーたちが戦う理由が見えてくる。12話で響鬼・轟鬼・斬鬼が出揃ってきたあたりから、ようやく今回のライダーのテーマが〈成長〉なのかな? と気づいてくる。〈他人助け〉と〈成長〉、この二つがライダーのテーマかなと思い始めた。
しばらくして、明日夢君が和菓子屋でバイトを始める。一方で、ある時、響鬼が特別遊撃隊と言って、シフトに入っている仲間を助けるという流れが出てくる。同じ頃少年が、和菓子屋の日常的なトラブルを解決して、ストレスを感じている。
志:ああなるほど。主人公の明日夢君が、日常の人間同士の事件を解決する英雄として活躍する。一方で響鬼は、妖怪という非日常を解決する英雄として活躍する。〈日常の英雄〉/〈非日常の英雄〉、この二つのラインが平行して走り合い絡み合う展開になるわけか。
蒼:そういうことだ。それが徐々に明確になった頃から、響鬼はだいぶ面白くなってくる。ところで注目されるべきなのは、明日夢君の家が母子家庭であることだ。そこで父が不在だった。でも響鬼が、明日夢君を要所要所で励ますことで、少しずつ明日夢君が成長していく。
志:なるほど、よくできている。
蒼:ライダーも一応成長する。轟鬼と斬鬼は武器がギター(のかたちをした剣)なのだが、それは斬撃武器だから、どんどん敵に通用しなくなってくる。そこで響鬼はバチという殴打武器を教え込む。ところが轟鬼はそれに反発する。しかし実は教える響鬼自身も、昔全パートの武器を試して、苦悩したことがあった。
志:へええ。ファンタジーRPGの武器の選定のようだ。
蒼:さらに、鬼の道を諦めてライフセーバー、日常の側の職業で戦うことを選んだ年上の少年が明日夢君の前に現れたりする。鬼として戦うことが正解ではないということをここでも伝えるわけね。強いものがヒーローではない、と。
志:あらゆる意味で抹香臭い作品だ……その後どうなっていくのか?
蒼:斬鬼が一戦から退いて、轟鬼のサポーターに徹するようになる。ここで師弟関係が表現される。さらに各ライダーのタッグも徐々に出てきたり。一方、明日夢君が不良にフルボッコにされて苦しんでいる時に、響鬼の武器であるバチが折れてしまう。そこで良い木材を伐採に行きたがっていた響鬼が彼をキャンプに誘う。そこで響鬼さんがキャンプ先で明日夢君を励ます。「君が行きたいところに行けばいい」と。それがまるで父と子の関係なのね。
志:疑似家族か。
蒼:でも、響鬼は絶対に明日夢君のことを名前で呼ばない。“少年”と呼ぶんだね。これは最終回まで伏線になる。その後に出てくる説教もいい。「現実につらいことがあるのは当たり前だ。けれど、君の人生は君のものだ。もし今の境遇がつらいなら、つらくないようにすればいい。何度も転んで何度も傷ついて、立ち上がればいいんだ。心を強くもて、少年」これこそ子どもに見せるべき作品だろうと思った。それが、響鬼さんがほとんど変身しない回なんだね。最後の最後で変身はするのだが。メッセージを伝えるシーンと、変身した後の背中を見るんだ。
志:つまり、その一回で、日常に立ち向かう強さ(説教)と、非日常で戦う強さ(変身した背中)の双方を響鬼が教え込む、という回だったわけか。
蒼:その通り。その後も一ひねりある。厨二病の屁理屈野郎が明日夢君の学校に転校してくる。音楽も弾けて楽器も弾けて頭も良い。流暢にフランス語を話せる。オールマイティな奴だ。明日夢君が学校を案内してあげているのに、感謝もせず「夢も持っていない、つまらない人間だな」と言われたりする。
その転校生、桐矢京介は、響鬼が戦うところを見てしまう。そこで響鬼さんに憧れて、響鬼に勝負をけしかける。いなされるのだけれど。一方で明日夢君は、お母さんが分かれたお父さんに会いにいこうかと思い始めるのだが、ギリギリのところで直接本人には会わないで帰ってくるというくだりがある。
志:響鬼・伊吹鬼・轟鬼・斬鬼の4人が出てきたところで四重奏〔カルテット〕が成立して、それでだいぶ人間関係の話がクリアになってきたように思う。さらに明日夢君と響鬼は、日常/非日常のアンサンブルをそれぞれ代表している。12話以降の話の展開はけっこうクリアに聞こえる。
蒼:次に、開発部長の偉い人がやってきて、新しい剣を持ってくるんだけど、波動が強すぎてライダー4人はライダーに変身できなくなる。一方、京介君は体育の旅に傷だらけになって帰ってくるようになる。これも伏線だ。それでも京介は響鬼と会うたびに生意気な言い方をしている。「僕はもう大人です」とか。そこで響鬼さんの説教モード。「尊敬する人、また会いたいと思う人。そういう人との出会いを通じて、自分自身も強くなっていくんだ」と。少年二人はピンとこないんだけれども。一方その頃、響鬼さんの最終パワーアップ〈アームド響鬼〉が完成する。さっき言った強すぎる武器が若干弱体化するのだけど、敵の技術力と味方の技術力が拮抗してうまいバランスが生まれる。後は人間模様だね。
シュキと斬鬼の話とかもあるのだが、そろそろ巻いていこう。転校生の京介君が響鬼に弟子入りを御願いする。でも、響鬼は断る。明日夢もその気になって二人で頼んだら、響鬼は「しっかり学校に行きなさい。しっかり遊びなさい。しっかりボランティアをしなさい。これが修業だ」と言ったりする。京介はさっぱりその修業の意義がわからないんだけど、明日夢は黙々とやる。一方、伊吹鬼の弟子の女の子である天美あきらが、親を殺された過去を持っていて憎み始める。でもそれが間違いだったことに気づく。そしてとうとう、師匠の伊吹鬼を助けるために変身を決意し、そしてライダーを辞める。そこであきらが響鬼に言うんだね、「京介と明日夢を“本当に弟子にしてください」”と。で、一通り終わった後――ここが『響鬼』全体で屈指の名シーンなんだけど、響鬼が言うんだ。「――どうした、いくぞ、“明日夢”、“京介”」。これ、“少年”じゃなくて、本当に名前を呼んでいるわけだよ。
志:おおー。
蒼:その後。斬鬼の身体がボロボロになっていく。響鬼は弟子を二人から一人に絞ることを迫られるんだけど、ここで体育の時間の伏線が回収される。京介は運動音痴だった。「でも、鬼の力で(運動音痴は)なんとかなるんじゃないですか」と京介が言う。対して響鬼は「地道な修業でしかない。運動音痴を変えようとすべき」と言う。
そんな折り、大事件が発生する。轟鬼が致命傷を負って、二度と変身できなくなってしまう。ところで根っからのライダーだった轟鬼が以前、『どうして殴ってくれないんですか』と斬鬼に聴いて、『お前は殴る価値もない』と返されたシーンがあった。それを踏まえて聴いて欲しいのだが、今回、しょげる轟鬼に「――いいか、俺は今、心の中でお前を殴った。鬼というのは、変身するのが鬼じゃない。鬼として生きていくのが鬼なのだ」と言った。これが43話、『響鬼』中最高のシーン。ライダーというのは変身できるからライダーじゃない。厳しい修業をくぐり抜けてきた末の生き方なんだ、というわけだね。心の中でも殴ったと宣言するのは、斬鬼が初めて、轟鬼を“一人前の鬼”として認めたという意味でもある。このシーンは、昭和ライダーからの全シリーズで伝えられてきたことを代弁していると思う。
志:そういう解釈がここまで『響鬼』を熱く語らせるわけか……。〔この時点で、響鬼の話だけで90分以上経っている。〕
その後、斬鬼はボロボロになった身体を呪術で誤魔化しながら戦う。そこで響鬼は轟鬼に『お前がいつまでも斬鬼に頼っているから死にきれないんだ』と諭す。斬鬼の身体を触ると、既に死人のように冷たい。それによって轟鬼は師匠を救うべく決意して、必死のリハビリで奇蹟の復活を遂げる。ついに斬鬼とギターセッションをして〔これは『え?』と思ったんだけど〕それを見て安心したのか、斬鬼は事切れる。轟鬼は、斬鬼の剣を持って二刀流になる。この展開は個人的に好きだ(笑)。
志:二刀流(笑)。
蒼:一方で、明日夢と京介の修業も続いている。弟子二人に対して、響鬼さんが変身せずバチだけで勝っちゃうシーンが出てくる。「どうだった」「響鬼さん、怖かったです」「すまなかったな、俺の練習に付き合わせちゃって」。これが鬼の戦いだ、とは言わない。カッコイイね! 変身ではなく、心の強さがライダーなんだ、というモチーフがここでも出てくる。
志:ベタに褒めてばっかりだ(笑)
蒼:しょうがない(笑)。そろそろ明日夢・京介と響鬼の師弟関係は終盤に入る。明日夢は「響鬼さんは、後悔しない生き方をしろっていったんですよね。でも自分にはそれがなんだかわからない」と言う。そこで響鬼は彼を突っ放す。「自分の人生も決められない奴に、他人を助けることができるのか」。そこで明日夢を置いていってしまう。そして儀式を始める。
志:儀式?
蒼:石碑を武器で叩くことで、敵の大量発生を防ぐことができる。その代わりにその儀式を実行した人間は死亡してしまう。そういう設定が明かされた。それをやる予定だったのは元々伊吹鬼だったんだけど、それを響鬼が黙って代わりに実行してしまう。結局、伝説を塗り替えて生き残るんだけどね(笑)。この後、明日夢君は日常世界で医者を志す。京介はライダーの道を志す。
いよいよ最終回。明日夢が「響鬼さん、僕はライダーにはなりません。医者になることで人を助けたいと思います」。響鬼はすまなさそうに言いながら、最後の言葉。「――鬼になるだけが、俺の弟子になることではない。鍛えたな、明日夢。お前はずっと、会った時から、俺の弟子だったよ。俺についてこいよ」。この「鍛えたな、明日夢。」が大事であって、ライダーかどうかというのは関係ないんだ。
志:すっごいなあ。でもあれだね、『響鬼』一話を改めて考えると、なんだか山王戦を読み終えた後に『スラムダンク』一巻のコメディタッチの展開を読み直すのに近いおかしみを感じるんだけど(笑)。
蒼:まあね(笑)。でも、これで自分がライダーという括りで考えていたヒーロー観が過不足なく示されたね。
志:順序はなんだっけ。
蒼:『クウガ』『アギト』『龍騎』『555』『剣』『響鬼』『カブト』『電王』『キバ』『ディケイド』ね。
志:これわかんないと整理できないな。
志:いやー『響鬼』だけで2時間たってるよ(笑)。
蒼:まあ正直俺は『響鬼』について喋れればそれでいいから(笑)。
07『カブト』08『電王』09『キバ』10『ディケイド』
志:その後の『カブト』『電王』『キバ』はどう?
蒼:それについては〈チート〉の話をしよう。チートが入るのは『555』『剣』『カブト』『電王』。この中でカブトが一番チート。カブトは水嶋ヒロ名言集とチートぶりが見物かな。あとダブル主人公なんだよね。水嶋の噛ませ犬のようになっている。
志:ふーむ。Wikipedia読んでるとまるでジョジョ第三部か第五部かという戦いだ。
蒼:The WorldにThe Worldで返すみたいなチートぶりだね。で、『電王』なんだが、あれは終始コメディタッチだ。ケラッケラ笑えるくらいコメディだ。でもやっていることは仮面ライダーそのもの。だから評価が高くなる。『キバ』は新しいことをやろうとして中途半端に失敗した感じ。『ディケイド』は倉田てつを最高の一言。
志:倉田?
蒼:元『RX』の人。これで平成ライダーは終わり。
志:響鬼以外はやっ!!(笑)
蒼:いや『電王』は凄いんだけど、言うことが少ないんだよ。語るとすればやっぱり『響鬼』になっちゃう。
志:なるほどねえ。ここでさっきちょろっと話した『Final Critical Ride』をもう一度引いて尋ねたいんだけれど、『電王』は超能力の外部化が『ジョジョ』や『ポケモン』より徹底している、憑依してライダーになるという世界観が、少年系コンテンツの極致だ、という話をしている。ここで言われていることは、要するに『電王』は『ペルソナ』とか『シャーマンキング』の系列で仮面ライダーやってるってことになると思うんだけど、その辺見た人にとってどうですか。
蒼:あー! そうかもしらんね。『電王』は正直、時間の流れが複雑で、時間軸通りに説明できない。だから『電王』は直接見る方が良いと思う。
二人の平成ライダーまとめ
蒼:個人的には、イチオシは『響鬼』。でもライダーらしいとは言えないので、スタンダードなら『クウガ』。ライトにライダーを知りたくなったら、実際には深い話ではあるんだけど『電王』かな。テーマとしては、『アギト』『555』『剣』がよかった。ただしわかりやすさがイマイチ。もっと『響鬼』のようにシンプルにやってよかったと思う。ベタに観て一番なんじゃこりゃと思うのが『龍騎』だろうな。『クウガ』から『ディケイド』までを全部見直したのは今年の三月だったんだけど、通してみてよかったと思う。
志:蒼助にとって、『大人も楽しめるようになるライダー』というのは、『単に小難しくする』ということを意味しないのか。
蒼:そう。難しくすることはいいんだが、やっていること自体は伝わりやすく作らないといけない。『クウガ』はいかにもライダーらしいやり方で示した。『響鬼』はとても巧い。『電王』は完璧にヴィジュアル重視にすることで、成功している。俺の良作ライダーの定義は、「『子どもが観ていて純粋に“これがヒーローなんだ”と解釈できるよう作られた作品」のことになる。そういうものであるからこそ、大人も楽しめる。大人と子どもの両方が〈ヒーロー〉という概念について考えられて、初めてライダーは名作と言えるんじゃないかなと思う。
志:片方だけではだめ、ということか。なるほど、とても参考になった。
蒼:俺は別にライダーって作品が好きなわけじゃないと思う。ヒーローもの作品においてとりわけライダーシリーズが“ライダーという生き方”を示しているのが面白い、好きだなと思うだけ。昭和ライダーは全部みているわけではない。
志:それでも結構見てる方みたいだな。
蒼:今は『ウルトラマン』シリーズ全部見てるよ。
志:特撮ディレッタンティズムに満ちあふれ過ぎている。
(090822_Sat_0400-0800 対談を編集しました。編集責任:高橋志臣)
*1:先日『ヱヴァ破』を観て、エヴァンゲリオンという映像作品が『ウルトラマン』や『仮面ライダー』の面白さを庵野監督が説得的な形で示してくれて、私のような特撮素人にも「特撮って面白いのかなあ」と思わせてくれたのですが、さていざ実際にどっぷり浸かりたいかというと、それほどでもない、というのが正直な気持ちです。
*2:TRPGの流行を追うためには、漫画、アニメ、ライトノベル、特撮の教養を不断に身につけておくべきだ(なぜなら10代から20代の若者にターゲットを絞っているのだから)というような話はよくあるのですが、私はべつにTRPGがそういう層にしか遊べないものだとは特に限定していないので、その「べき論」には乗る気がありません。そんな特撮・ラノベのリテラシーなんかなくてもTRPGという仕組みは問題なく動くじゃないか、それを実際に示すために今までゲーム批評をしてきたと言ってもいい(なぜなら私自身がそういうTRPG消費をしているからです)。ところがそういうスタンスで居ると、「お前は私たちが同時に消費してきたオタク文化を否定するのか」と、まるで私がオタク文化に対して〈認知的不協和〉に陥っているかのように解釈する人が多い。そうではない、と説明するのも面倒なので、よほど説得的な議論でないと私はまじめに応答しないことにしていますが、とりあえずそんな単純な心理でTRPG批評をしているわけではない、ということはここに記しておきます。
*3:東浩紀・宇野常寛編『波状言論+PLANETS 2009 SUMMER SPECIAL Final Critical Ride』同人出版物.
*4:井上明人,2009,「作品を解体し、融合させるシステム――ファイナルファンタジーシリーズを例に」『コンテンツ文化史研究』