「タカハ信者」だけはつくってはいけないと思った。/追伸:議論と悪事についての私の考察再発掘
昨年末ごろから、私のBlogに関して厳しい批判を下さっていたxenothさんから、こんな言葉を頂きました。
ちょっと紹介されっぱなしなのもなんなので(笑)、転載させていただきます。
ggincさんは、TRPGを文化にすることを目指し、また、TRPGに関する評論を学術研究のレベルにまですることを目指しているのだと認識しております。
であるならば、自覚してください。
今、現在、日本で、発表されている中では、ggincさんのTRPGに関する評論は、この分野において最先端にあるものの一つです。
最先端にあるものとして、今後、いつでもどこでも取り上げられる可能性があります。
学問として、あるいは、学問を目指して提示するからには、それに伴う責任があるのです。
新分野の論文を書く時、Citationが、まだ少ないからといって、おざなりに書いて良いものではありませんよね。むしろ、新ジャンルを切り開く論文であるからこそ、学問的に誠実である必要があります。
「個人の随筆」ではなくて、評論、しかも、学術研究を目指すことを前提の評論というのは、それくらいの重みがある、と、私は理解しています。
であるのなら、単なる思いつきではなく、データを集めた検証を。検証前なら、反証可能性を前提とした、検証方法の提案とそのありうる結果に対する思考実験を。仮説に対しては謙虚に。事実に対しては貪欲に。議論や新事実の中で、変化をためらわず、現在の自分のスタンスを常に明確に。
以上、研究者であるggincさんには釈迦に説法でしょうが、是非、それを目指して欲しいということです。
(xenoth氏のコメント)
自己評価とあまりに食い違っていたので、モニタの前でのけぞってしまったのですが……F.E.A.R.の評判をいつも気にされているxenothさんの考えの背景には、「私の文章から始まる議論で、もしかしたら特定のシステムを遊んでいる人が傷ついてしまうかもしれない」ということを常に危惧されているのでしょうね。
であれば、安心してください。
私は、特定の企業だけを貶すようなTRPG批評に、価値を認めません。
「特定企業の努力は、この点において不十分だ」と言うことはあるかもしれませんし、実際にそのような見地からF.E.A.R.の改版戦略の構造的な問題点を批判したことはあります。しかしそんなこと、HJだろうと*1SNEだろうと*2FEARだろうと*3冒険企画局だろうと*4スザクゲームズだろうと*5アルファシステムだろうと*6アトリエサードだろうと*7雷鳴だろうと*8サンセットゲームズだろうと*9エルスウェアだろうと*10遊演体だろうと*11まあこれくらいでいいか、平等に批判にさらされるべきです。注釈みてそのぶっちゃけぶりに慄け!!
どんな点においても完璧な企業なんているわけもないですからね。それは今、世界で一番権勢を誇っているWizards of the Coast社だって、同じことです。D20システム戦略の批判なんて、それこそいくらでもある。*12
そういうのを踏まえた上で、どの企業にもいいところ、わるいところがあるのを「当然のもの」として認めず、自分の経験論だけに拘泥し、特定企業を意味なく信奉したり、特定企業を意味なく貶したりした時点で、批評というものは効力を失います。つーか、今まで見てきたTRPGファンの98パーセントくらいは、みんなそういう批評でしたよ、ぶっちゃけ。
そういう批評が、NIFTY RPGフォーラムTRPG.NETや2chの卓上ゲーム板で、絶え間のない罵倒や中傷にさらされてきたのは、みなさんご存知の通りでしょう。そして私も2004年にScoops RPGに登場した当初は、そういう「一貫性のないことを言っている奴」の一人に過ぎませんでした。今でもそうかもしれません。その点については、甘んじて批判を受けるつもりです(まあ、直接メッセージをくれない人については、特に何もお返しできませんけれど)。
けれど、そういうことをやめなかったのは、ほかでもない、議論を守ることで、TRPG企業が挑戦できる環境をつくるためです。「企業の商品を買う以上のことに、無力な僕達にいったい何ができるんだ」と口々にがなりたてる人たちとは別の手段で、私は私なりにできることを細々とやっているだけです。
もちろん、企業の製品を買うのは大事です。けれど、よいギターが次々と売れても、ギタリストを志す若者が、そして武道館を埋め尽くすほど人気のプロミュージシャンが生まれなければ音楽産業が育たないのと同じように、システムを「わかってる奴」が買う“それだけ”では、なんにも事態は変わらないのです。TRPGシステムを、そしてTRPGセッションのよさを、もっと多くの人に知ってもらうような努力が必要だし、そんな一人一人の活動の価値を、単なるアジテーションでない、ごまかしのない理性的な思考によって保証し、勇気付けるような“ことば”を、守り育てる必要があるのです。
そういうものをなんというか?
私は、それこそが〈ゲーム批評〉であると考えています。
もう一つ、あなたに出来ることがある。理論を守ることだ。
誤解しないでほしいが、誰かの理論を守るとか攻撃するとか、そういう話ではない。理論を語ること、理論を論ずること、その営み自体を守るということだ。「私はあなたの理論に反対だ。しかし、あなたが自分の理論を提示する権利を、私は命をかけてでも守る」ということだ。いや,別に命をかける必要はないが、少なくとも妨害をしてはいけない。論説を妨害する行為、論考や議論を貶めるような発言、論考を発表するのをためらわせるような動きには、決して加担しないでほしい。
繰り返しになるが、「理論」や「論考」や「議論」、それら自体の価値を否定するものを除けば、真に有害な理論などないのだ。どんな極論も、偏見を広める理論も、事実に立脚してない空論も、排斥してはならない。誤った理論も、それを否定しようとする人々が優れた競合理論を生み出したり、乗り越えようとする過程でそれまで見逃されていた重要な論点に光が当たったり、批判的に発展されたりすることで、「理論」全体の発展に寄与することは、よくあることだ。
xenothさんのありがたい指摘を噛み締めつつ、馬場さんの上の言葉にもうなずいて、私はこういいたい。
「みんな、ありがとう。俺……もっと強くなります」*13
追伸:「安心できるかぼけー」に関して「マジすまんかった」
xenothさんにしかられてしまいました。すみません。
自分に偏見がない、とか、自分が中立だ、と断言する人間は、自省能力を失った危険な存在です。
(xenoth2008.03.13「安心できるかボケぇぇぇぇえ」)
まあ、無自覚に人を傷つけかねないほど強烈な事業をやるって宣言した上でやっているんだから、まあ完全に防ぐのは無理です。限界があります。
この辺、福田和也『悪の対話術』なんか思い出します。
私は自分をそんな善人だとは思ってませんし、少なくとも「悪を為しうる存在」だとは思います。
善人を装うほど気持ちの悪い奴っていないですよね。で、私もその「気持ち悪い奴」にはいつだってなりえる。
けっこうそれでいろんな人を傷つけたことはあります。「自分だけは善の側に居る」って思う時ほど道を踏み外す危険性が高いです。
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結局ある種の学術的・言論的運動はいつだって“政治化”しやすいわけで、そこについて責任を持ってもっと丁寧に考えてしゃべってくれ、というxenothさんの意見は正しいんですよね。むずかしいところです。私も方法論を齧っただけで、間違いもありますからね。人より少しばかり転びにくい杖を培ってきただけの、ただの人間です。
意図せず悪事に加担している時に、誰かが(どっかでヒソヒソ話をするのではなく)「お前はここが間違っているよ」「それはちょっと極論だよ」と言ってくれる人のことは、ちゃんと受け入れないとな、と思います。
「馬場信者」と呼ばれた人々は、馬場秀和さんの言葉をかさに着て沢山の人々を傷つけたそうですが、そういう人を私はキッチリ否定したいな、と思います。
2004年に書いた、私の言葉を思い出しつつ。
RPGファンの皆さんに、こう言いたい。「馬場理論なんてさっさと乗り越えて、自分なりの言葉でRPGの魅力を伝えられる人になろう。そこから、RPGという趣味が普遍的な魅力を持つ道が開かれるのだ」と。
これが私の、第2の主張である。そして、以上の2つの主張が、「まず馬場理論に背を向けるところから始めよう」という言葉に、結実する。
とまあ、以上のようなことは、既存の友人関係を壊さない程度に、ほどほどに実践して欲しい。何だかんだ言ったところで、RPGは面子が揃わなければ遊べないゲームである。RPGの世間的な価値を高める活動と、RPGそのものを楽しむ活動は、実際には相容れない時もある。RPGを愛するあまりに、RPGが遊べなくなってしまうのでは、間違いとは言い切れないが、悲しいことだろう。
主張が論理的に正しいことと、その正しい主張を誤解なしに受け取ってもらうことは、まったく異なることだ。そして、正しい主張をもとに行われる行動が正しいかどうかという保証は、どんな理論もしてくれないのである。馬場理論の主張がある程度当を射ていたとしても、「馬場信者」の愚かな行動がそれで全て正当化されるわけではないのは、当たり前のことである。その面でも、私達RPGファンは、社交能力を高めなければならないだろう。論理の正しさに酔ってはいけない。誤った正義感で正論をぶって、勝ち誇ってはいけない。ディベートに勝って人生に負けるなんて馬鹿らしいことは、あってはならない。焦らず、自信がつくまで、じっくりとやさしい(優しい/易しい)言葉を練ることが、結局は一番の近道となるだろう。もし焦れば、私達はまた「馬場信者」の二の舞になってしまう。力が無いのに、早急に結果を求めてはいけない。私達は、RPGを語る言葉を蓄えなくてはいけないのだ。
(白河堂(現・高橋志臣)2004『まず馬場理論に背を向けるところから始めよう』)
ある程度「自分自身のことば」が整いつつある今、再度初心に還る時に、来ているのかもしれません。
でも、4年前の自分がこういうことを書いていたっていうのは、心強いですよね。続けてきた甲斐があったと思います。過去の自分にも感謝を。Thank you for let me be myself, again.
*1:せっかくの高品質なシステムの価値を、好事家以外に伝えられない状況にある。
*2:90年代のファンタジーブームの遺産とデザインワークスに頼りすぎ、ゲームデザインの制作技術に関して他社競合企業に後れを取っている。革新がそれほど進んでいない。
*3:色々言ってはいるが、彼らほど〈ゲームコンセプト〉に意識的な企業はない。国内で「TRPGシステム」という製品を提供するベンダーとしては、彼らに匹敵する企業はいないだろう。その首尾一貫した商業スタイルに関しては、私は批判を通じて、全身全霊で褒めているつもりだ。今後はもっと攻めに転じるべきだとすら思う。
*4:ゲームデザインの革新についてはFEARやSNEよりも先鋭化されている。それは必ずしも〈アカウンタビリティ〉を現場で補完しまくる必要のないよう、TRPGをボードゲーム化する路線を推し進めているためである。サポートも充実。しかしFEARやSNEよりは個別システムの育成に慎重で、全力を出せていないように見える。
*5:朱鷺田祐介自身のコンセプトデザインは国内屈指のものだろう。しかし、流通やサポートを手助けする人材が、プロの側に圧倒的に少ないことが難点。都内のコンベンション活動で献身的な協力を続けるスザクファンのアマチュアGMは、彼にとってかけがえのない財産に違いない。
*6:芝村裕吏もまたコンセプトデザインとゲームデザイン技術に優れた鬼才。TRPG業界がどうあるべきかについての批評眼も冴えている。だが、いかんせん「無名世界観」にこだわるファンと、それを外部から覚めた目で見ているファンとの断絶が強すぎ、本来彼の言葉を知るべき人が彼の言葉が届く範囲の外にあるようにも見える。彼の〈背景世界〉戦略は、強力であると同時に、コアなTRPGファンを遠ざけている。これは問題だと私は思う。
*8:古典システムを出すのはよいが、それを紹介する人材がプロ・アマともに枯渇している。
*9:『ゆうやけこやけ』や『ハーンワールド』などを普及する人材に欠けている。どれもコンセプトを把握しなければフルスペックを引き出せないシステムばかり。
*10:『秘神大作戦』のデザイナーは『クトゥルフと帝国』に参加していたが、今後こっちの動きはあるのだろうか
*11:ローズの今後の展開はよくわからん。ファンも愛でる以外にどうしていいものやら困っているのではないだろうか/xenothさんのご指摘により修正しました。どうもありがとうございます。/ローズに詳しい人から「そのままの方がとりあえずローズだってわかっていいんじゃね」という話があり、元に戻しました。どうもどうも。
*12:季刊RPGで芝村さんが海外の企業動向についてT&Tと絡めつつ言っていましたね。もっとも、D20メチャクチャ遊んだ上で言っているようだけれども。
*13:バキネタかよ!!