GOD AND GOLEM, Inc. (はてなダイアリー倉庫版)

2007-2012まで運用していた旧はてなダイアリーの倉庫です。新規記事の投稿は滅多に行いません。

“環境開発ツール”市場の未来─MOD,改造マリオ,初音ミク,そしてTRPG(あと野尻先生)

 私は以前、ゲーム・ジャーナリストである新清士氏が注目するMOD論について、ニコニコ動画の「改造マリオ」と絡めて論じたことがあります。

新清士,2007a「ユーザーが勝手に作ってしまった『ガンダム』新作ゲームタイトル」
 (http://it.nikkei.co.jp/digital/column/gamescramble.aspx?n=MMITew000013042007 , 2007.04.13)
新清士,2007b「ゲーム業界のユーザー参加型コンテンツ『Mod』が流行る理由」
 (http://it.nikkei.co.jp/digital/column/gamescramble.aspx?n=MMITew000019042007 , 2007.04.20)
■高橋志臣,2007.06.22「新清士のMOD論から“ゲーム開発キット”としてのTRPGを捉えなおす」
 (http://d.hatena.ne.jp/gginc/20070622/1182495980

 MODとはModifyの略です。今は「あるジャンルのゲームを開発する環境そのものを提供するキット」として捉えられ、多くのデジタルゲーム開発にさまざまな好影響を与えていることで、世界的に注目されている考え方です。
 そのMODの動向を踏まえて、私は日ごろから注目していたTRPG製品の立ち位置を

  • 「ゲーム開発環境を提供するためのツールキットであること」
  • 「そのツールキットは、ゲームとしては“半完成品”であること」
  • 「アマチュアが手を入れる*1ことを前提として販売されていること」

 と見立てた上で、「MOD」と「TRPG」を、デジタルゲームアナログゲームにおけるそれぞれの「半完成品商売」あるいは「開発環境提供商売」として捉えなおす見方を提示しました。*2

 さて、今回は、アナログ/デジタルゲームの話から少し外れて、昨年オタク界隈をにぎわせた
「半完成品の」
「開発環境ツールキット」
についての市場分析を、ご紹介しましょう。
 それは、「初音ミク」をはじめとする、クリプトン社のVocaloidに関する記事です。
 しかし、このVocaloidに関する分析に、TRPG市場が引き合いに出されていることが、非常に興味深いのです。*3

VOCALOID2 HATSUNE MIKU

VOCALOID2 HATSUNE MIKU

初音ミクの未来を国内TRPG史から考えた記事

■azuki-glg,2008.02.16「TRPGの興隆と衰退と初音ミクの未来」『さぼり記』
 http://d.hatena.ne.jp/azuki-glg/20080216/1203133061

 論旨を追うため、いくつか引用させていただきます。
 まずazuki-glgさんは、90年代のTRPG市場の失敗の原因を考察します。

 このゲームは電源も要らないしルールブックが一冊あればどこででもできるので、非常にローコストで遊ぶことができた。また、初期のTRPGはルールがシンプルだったこともあって、ゲームマスター一人がルールブックを買っていれば用が足りたし、ルールをよく記憶している馴れたゲームマスターは、ルールブックが無くてもゲームを成立させることができた。
 つまり、商品としてのルールブックは、ルールを憶えてしまったらなくても困らない。
 また、商品としてのルールブックがゲームマスターに行き渡ってしまうと、それ以上は売れゆきが止まってしまう。ゲームマスターが1000人いたら、1000冊行き渡るとそれ以上は商品としては売れなくなってしまう。
 ゲームマスターなどそうそういるものではなかったので、それ以前は「少人数に売れるだけでペイする値段」で売られていた。1000人に行き渡ったら、その商売は終わり、というもの。
 でもそういう焼畑農業では商売が続かないので、「もう少し難しくした新しいルールブック」というのを出すようになった。そうすると、最初のルールブックを買った1000人のゲームマスターは、再びより高度なルールを買うので、また1000冊……とはいわないけど、それに届くかどうかくらいは売れるが、高度なルールは難しいので売れ行きは下がる。
 やはりそのままでは、コア層をだんだん切り捨てながら高度化していってしまうことになってしまうので、今度は市場そのものを拡大する方向に舵を切った。
 高度化したルールは、ゲームマスター一人だけでは処理しきれないので、ルールブックをゲームマスターだけではなく、ゲームプレイヤーにも必携させる方向に向く。これによって、それまでゲームマスターが一冊持っていれば需要が満たされていたものが、プレイヤーの人数分だけ売ることが出来るようになり、市場が拡大した。
(中略)
 市場が大きくなったところで、やはり「ルールブックが行き渡ったら、商品寿命が終わる」という焼畑農業的な頭打ち感から逃れることはできなかった。
 ここから逃れるために、
 1)ルールブックの高度化
 2)追加ルールの販売
 3)新しい物語背景&システムの、新作の発売
 という形で、TRPG市場に商品を投入した。市場がある程度大きくなったことで、ユーザーには多様性や選択の余地が生まれたが、結果的に「同一の客を、複数の供給者が食い合う」というパイの奪い合いが発生。他社商品との差別化のため、一層システムが高度化して難しいものになっていく。
 ルール(システムや性能)が高度化すると、やはりついて行けないユーザーは増えていく。そうなると、頭打ちどころかユーザー離れというマイナスへの逆転現象が起きてしまう。
 このため、TRPGは当初の「ルールブックを売る商売」から離れて、「ルールブックを必要とする世界観をベースにしたスピンオフ商品を売る商売」に発展を始める。
 同時に、高度化しすぎてプレイできない一般/初心者ビギナーを、その「世界観」に繋ぎ止めつつ、TRPGを実際には遊んでいないのに遊んでいるような気分にさせる、
 4)リプレイ
 という商品が登場する。
 これは、プロによるゲームプレイの様子を書き起こした読み物で、小説の一形態。世界観や登場人物を基軸に据えた、一種のキャラクタービジネスに進化した。「ロードス島戦記」などがこれに当たり、ロードス島戦記の元々のプレイシステムだったD&Dは態を潜め、ロードス島戦記の世界観、登場人物、ストーリーなどが、主商品となっていく。
 ロードス島戦記の成功を手本に、「世界観とストーリーと登場人物に、システムがオマケで付く」というようなものを複数の出版社が競って新作を出すに至った。
 キャラクタービジネスが成功したものはそれなりにキャラクター商品としてはヒットもしたのだが、高度化しすぎたTRPGそのものは、次第に遊ばれなくなっていった。
 そして、数年に渡るブームが収束した後のTRPGは、マジック・ザ・ギャザリングのブームに取って代わられる。
(後略)

 この方は、TRPGを扱う雑誌の編集部に居たことがあるそうです。
 そういった「プロ」の側の視点を知っていながら、この分析はまるでアマチュアTRPGコラムニストの、ともすると“乱暴”“偏向”とも言われたTRPG市場分析と、一致しているところが大変多いです。*4そして少なくとも、このazuki-glgさん自身の分析は、私から見ても、それほど乱暴なものではない。*5

 もちろんこの元・TRPG編集者さんの目的は、一読した方ならおわかりの通り、現状のTRPG市場分析をすることにはありません。そうではなく、「今後の初音ミク(も含めた、Vocaloidによる“歌モノ音楽環境開発ツール・コミュニティ”とでも呼ぶべき空間)のよりよい未来を考えること」に問題意識が向いています。
 私はここでのTRPG市場に関する分析に対して、TRPG者の視点からとやかく言うつもりはありません。*6

 それよりも、

 と並べた時に共通する、商品としての「環境開発ツール」の未来について、私は注目してみたいと思うのです。

「環境開発ツール」の消費と、その制作物の消費

 azuki-glgさんは、初音ミクのような音楽ツールを「ミドルウェア*7と位置づけた上で、以下のように補足しています。

 TRPGは面白かったけど、その面白さの品質を作るのはシステムじゃなくてプレーヤーの質に関わってるところがありまして、「おもしろそうだから」と言っても、GM含めて全員が経験ない状態だと、始めることすらままならないというハードルの高さもありました。
 実はこれは本題であるところの「初音ミク」にも言えるところでして、ソフトウェアとしての初音ミクを使って作られた多くの楽曲やそれを取り巻く展開が面白いからといって、初音ミクを買った人がいきなり同じことができるわけではない、という。
 TRPGのシステムルールも、その意味では「それを使って面白くできる人」と「そうでない人」の間に、評価の点で大きな壁ができてるところはあったのかもしれません。
 TRPGはリプレイ本を、「初音ミク」は楽曲をそれぞれ産物として残し、それらの産物に触れた人が遡って作成ツールであるところのシステムルールや初音ミクに興味を持つという点も似ているなと思います。
 TRPGは次第にリプレイ本を売ることがビジネスモデルの主眼になり、システムそのものはあまり収益性がないものになってしまったわけですが(収益を上げるために次々に新システムを売るということは、結局それぞれのシステムはあまり遊ばれていない、買い換え/買い支えているのは、少数の熱心な購読者、ということになります)、「初音ミク」の場合もソフトウェアは買わない(使えない)が、楽曲は聴くという聞き専=視聴者を生んだものの、初音ミクの楽曲はリプレイ本のような「システムルール本の販売が飽和状態になった後も儲け=ユーザー拡大と市場維持の牽引力になる」という位置づけにはなっていません。
 ミドルウェアである「初音ミク」を使って作られた産物である「楽曲」の活用(いろいろな意味で)が進まないことには、早晩にTRPGと似た展開になりかねないかな、という心配は潰えていません。

 ここでazuki-glgさんは、「初音ミク」に集まる二つの顧客層を想定しています。

  • 初音ミク」を実際に使って楽曲制作をするユーザー
  • 初音ミク」によって作られた“作品”を受容するユーザー

 そしてこの対比が、TRPG市場においては

 に通じるものだと捉えているのです。

 まとめると、

  1. Vocaloid〈システムデザイン〉
  2. 「〜〜P*8〈ゲームマスター〉
  3. Vocaloid楽曲=〈リプレイ〉

 という対応関係がここで想定されている。
 そして、Vocaloidの「環境開発ツール」としての本質的な魅力がうまく普及できないままこのまま行ってしまうと何が起こるかを憂えている──「初音ミク」をはじめとするVocaloidもまた、90年代末のTRPGのように、「作られた制作物を中心に展開されるキャラクタービジネス」として形骸化し、本質を見失ってしまうのではないか──。
 そういうたとえ話をするために、国内TRPG市場の失敗を取り上げたのだと私は読みました。
 先ほどのazuki-glgさんの文章の最後を、もう一度取り上げます。

 ミドルウェアである「初音ミク」を使って作られた産物である「楽曲」の活用(いろいろな意味で)が進まないことには、早晩にTRPGと似た展開になりかねないかな、という心配は潰えていません。

 この考え方については、大塚英志『物語消費論』で論じられた「物語消費」と「物語作品消費」の関係との類似を指摘することもできるかもしれません。*9

達人の最終目的地は、「ミドルウェア」を作ること、“ではない”

 さて、azuki-glgさんは、Vocaloidプロデューサのような高度な技術を持った方々の〈表現技法〉が継承されず、Vocaloidコミュニティが徐々に衰退していく未来について危惧を表明しました。
 私はたとえば、“伝説のMEIKOマスター”ワンカップPや、“護法少女ソワカちゃん”のkihirohitoPなど、Vocaloidを利用して優れた作品を生み出している人たちをBlog上で何度も絶賛しています。
 しかし、そんな私がVocaloidを買って彼らより優れた作品を作りたいと思うかといえば、そういうわけではありません。私にはDTMを扱う基礎的な教養が欠けており、そのためにどんな教習所や教育機関へ通えばいいのか、あるいはどんなマニュアルを買えばいいのかも大してわかっていないからです。こんな私は、今後ずっと「プロデューサ達の活躍をただ享受するだけのただ乗りリスナー」で終わってしまうでしょう。私のような楽しみ方では、彼らの技法が継承されることはないわけです。商業〈リプレイ〉を読んで「あ、TRPGってこんな感じなのね」で止めている人たちと同じように。
 ところで、比較対象となったTRPGの「P」たち、つまり〈ゲームマスター〉たちの中には、未だに「開発環境ツール」に過ぎないTRPGシステムを作ることが「TRPGゲーマーの目指す最終到達点」だと考えているところがあります。
 この立場に立った批判(?)は、私がゲームに関する言論活動をしている際に、私の活動が不十分であることを指摘する文句として使われることすらあります。確かに「ろくに〈マスターリング〉経験も積んでいないくせに、偉そうなことを言うな」なら、「実践にも精を出し、それが議論の説得力に反映されるよう努力させていただきます」と言うしかないのですが、「システムも作ったことないくせに偉そうなこと言うな」と言う人が、たまにいるのですよね。
 ちょっとまってください、TRPGで頑張る究極地点は、必ずしも「〈システムデザイン〉に熟達すること」ではないでしょう──私はそういいたくなるのですが、TRPGのアマチュアには、どうしてだか、〈システムデザイナー〉ヒエラルキーの頂点とする市場のあり方がよいのだ、という考え方以外認めない人が少なくありません。もちろん、〈システムデザイン〉がなければTRPGそのものが成立しないのですから、尊敬するのは当然としても、それがアマチュアたちによる〈マスターリング〉独自の価値を無視するところまで行き過ぎてしまう場合があります。私はそのような傾向に、少なからぬ不満を抱いていますし、それこそが、TRPGがうまく普及しないボトルネックになっているのではないかとすら推測しています。
 このズレた到達点をVocaloid関係の言説で言い直すとと、こうです──「より使いやすいVocaloidシステムを開発し、販売するところまで行かなければ、Voacaloid市場に貢献したとは見なされない。それをしない人は誰も、Vocaloidマスターとは呼べない」
 そんなわけはありませんね。たとえ「環境開発ツール」が不完全なものであっても、そのツールを活かした〈運用〉を示せることこそが、正しい「達人」への道行きであるはずです。しかし、「環境開発ツール」を利用した文化においては、どうしても、「ツールを開発した人」に比べ、「運用する人」のクリエイティヴィティが発揮されない瞬間があります。
 先日のドワンゴ・クリプトンの間での権利争いが、いかにVocaloidマスターたちの創造意欲を殺いだかは、彼らの公開日記にあたってみればすぐにわかることでしょう。
 TRPGの達人ゲームマスターも同じです。彼らは、新作ゲームを売らなければ生きていけないTRPGベンダの都合に振り回され、研鑽を続けてきた技量が市場の都合とかみ合わなくなる瞬間を、何度も経験してきました。そのうち、TRPG市場に貢献できなくなったまま、「死んだシステム」で面白いゲームを提供しているローカルな人々を、私は何人も知っています。それは、既存のTRPG市場の都合に合わせてプロ化し、その上で活躍しているゲームマスターと同じくらい、貴重で、尊敬すべき人々です。

 Counter Strikeを一から作るために、Half Lifeをデザインできる必要はない。
 改造マリオで友人を楽しませるために、任天堂に入社する必要はない。*10
 RPGツクール『コープスパーティー』を作るために、コンピュータRPGのプログラミング技量を磨く必要はない。
 TRPGの達人になるために、TRPGの職業デザイナーになる必要はない。*11
 同様に、Vocaloidでより優れた作品を作るために、YAMAHA楽器やクリプトン・フューチャー・メディアの技術部に入社しなければならないなんて理屈もないのです。

 「ミドルウェア」あるいは「環境開発ツール」を中心とした文化興隆を支えていこうとする際、こうした基本的な「中間の職人」の立ち位置を尊重する議論が、あまり足りていないように思います。
 azuki-glgさんが初音ミクのプロデューサたちに対して抱いている不安は、放っておけば、国内の優秀な──しかしTRPG商業との齟齬ゆえに評価されないでくすぶっているゲームマスターたちと同じような、「市場から無視された達人」になってしまうのではないかと思います。*12
 ミドルウェアを売る人々は、新しいミドルウェアが沢山売れることにしか興味がありません。それは商売ですから、仕方がないでしょう。
 しかし、同時にそのミドルウェアを基盤に据えた、クリエイティヴな職人達による豊かな文化が育つためには、その職人達の〈運用〉の技術をどう「ミドルウェアの販売業者」と折り合わせ、かつ職人のファンとの関係も調停していくかという視点が、どうしても必要になってきます。

環境開発ツールにおける三者関係

 以上のような議論を踏まえた上で、私は「ミドルウェア」(=環境開発ツール)を機軸とした市場モデルについて考える際、最低でも以下の三者関係を考慮に入れなければならないと主張したいと思います。*13

  1. 環境開発ツールの開発者(「システム・プロバイダ」(仮))
  2. 環境開発ツールの運用者(「システム・マスター」(仮))
  3. 運用者の作品を楽しむ者(「エンドユーザー」(仮))

 そして私は、このうち「プロデューサ」(Vocaloid)や〈ゲームマスター〉TRPG)における人々をどう扱えば、そのジャンルのクリエイティビティが維持されるか、という課題について、一貫した興味を持っているのです。
 TRPGがどうとか、Vocaloidがどうとかという個別の関心を超え、21世紀の創作活動に生きる一人の人間として、関心を持たないわけにはいかないのです。

余談:野尻センセイ

 ところで、言及元のBlogの別のエントリに、野尻抱介センセイを発見しました。

野尻抱介 2008/02/17 00:48
 ゲームの件についてはVOCALOIDユーザーの目的とは直接関係してないので、デP作品の削除ほど強い反発は持ちませんでした。しかしクリプトンの「イメージ・コントロール」については違和感を持っています。
 ヘタを打ったことはクリプトンも自覚したんでしょうか、16日づけの開発日記に対応の軟化がみられますね。ちょっとほっとしました。
 しかし依然として、イメージをコントロールしたい意向のようです。シチューにはニンジンも要ると思うんですけど。
 ミクのイメージはわずかな公式設定と膨大なユーザー作品の総和でできているんだから、後出しジャンケンみたいな仕切りをするのはよくない。CGMを考えるならオープンソース界に学んで、「伽藍とバザール」を読んでこいと言いたいです。あと「スタージョンの法則」も。

 野尻先生、初音ミク好きすぎるぜッ。

*1:「手を入れる」=「与えられたツール・キットを利用して完成させる」

*2:違いは、MODによって開発された「Counter Strike」が完成品として消費されるのに対して、TRPGではD20システムなどをいくらカスタマイズしたところで、現場のGMが手を入れなければ決して完成しない(それゆえに、“完成品”に金を払うということが、ほとんどTRPG業界においては考えられない)ということでしょうか。私個人は、TRPG市場全体の活性化のためには、システムデザインだけでなく、マスターリングにもプロとしての位置づけの確定や、しかるべき報酬を得た方がよいと思っているのですが、その具体的方法・基準については未だ答えが出ていません。TRPGにおける“完成”とは、〈システムデザイン〉〈マスターリング〉〈プレイング〉の3者が相互作用している瞬間にしかありませんから、この場合誰に金を支払うべきかが問題になり、結局答えが出ないのです。

*3:『ゴッド&ゴーレム商会』は、アナログゲーム(特に、〈ロールプレイング・ゲーム〉)をできるだけ学術的に取り上げ、分析していくことをコンセプトとして活動しているWebサイトです。

*4:ちなみに私は〈RPG世代論〉という言葉を良く使いますが、ここのリンク先にある馬場秀和氏の世代論は一切無視しています。私が「世代論」という時、それは安田均多摩豊の〈RPG世代論〉を指しています。

*5:なぜならTRPG市場にはかつて、雑誌『ゲーマーズ・フィールド』以外、TRPGを扱っているページがほとんどなく、新作TRPGもほとんど登場しなかった「TRPG冬の時代」と呼ばれる時代があったからです。厳密な時代区分は難しいですが、おおむね1996年〜1999年あたりでしょうか。国内TRPG市場の「衰退期」といった場合、大体この「冬の時代」を指します。

*6:もちろん、指摘しようと思えば、指摘できる点はあるでしょう。しかし、むしろコメント欄の人々が、TRPGの話ばかりをして、肝心のVocaloid市場の話をしていないことにげんなりしてしまって、そんな気はすっかりうせてしまいました。ところで、ここの「元・TRPG者」によって語られるTRPG観は、〈キャラクター・プレイ〉を肯定する人にとってあまりにショッキングな物言いなのではないかと思います。私はこういう問題を危惧して、〈キャラクター・プレイ〉に関する批判をしてきたつもりなのですが……。

*7:私もはじめは、MODやTRPGのようなものを「ミドルウェア」と呼んでいました。しかし氷川霧霞氏から「それではOSとアプリケーションの間にある“狭義のミドルウェア”と混乱してしまう」という指摘を受け、その語を避けるようになりました。ところが、このazuki-glgさんの文脈では、あくまで「開発環境ツール」としての「広義のミドルウェア」のことを指しています。ここでは、「環境開発ツール」と「ミドルウェア」をほぼ同じ意味で使うことにします。

*8:プロデューサの略語。アイマスのMADやVocaloidを利用して独自の楽曲を提供する人々をこう呼ぶ。Vocaloid界隈では「ワンカップP」「デッドボールP」などが有名か。

*9:

定本 物語消費論 (角川文庫)

定本 物語消費論 (角川文庫)

*10:合法的に楽しませるなら、という問題はありますが。

*11:もちろん、TRPGデザイナーは素晴らしい仕事をしています。ですが、だからといって、GM自身のクリエイティビティは、TRPGデザイナーの貢献とはまた別の領域で評価すべきものではないでしょうか。

*12:無視されなかった達人は、TRPGデザインの方に食い込んで、ライターとして生き残っていますが、それは「中間の職人」としての道行きには見えないのです。

*13:もちろん、この周囲にも沢山のステイクホルダーを想定すべきでしょう。これは創造的な活動に関わる最低限のステイクホルダーを抽出したものに過ぎません。