GOD AND GOLEM, Inc. (はてなダイアリー倉庫版)

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死に急ぐ奴らのバラード/ガンメタルブレイズ

玄兎さんの最新エントリより。

ジ「『ガンメタル・ブレイズ』ってやつ、遊んできたんですよ」
玄兎
「ああ、ガンメタ。ファッキンチップ、じゃない、なんとかカード投げだけは面白いとか、色々とアレな評価ばっかり聞いてるけど。どうだった?」

 なんてサラッと本質的なことを言うんだろうと,ちょっと笑ってしまいましたが。
 地元のよしみで紹介しておきます。
『死に急ぐ奴らのバラード』という,マフィア映画的なシチュエーションを遊ぶ同人TRPGシステムが,過去オンライン(http://www6.ocn.ne.jp/~sinibara/)で公開されていました。
 管理人は,自作のシステムから取って死薔薇さん。『死に急ぐ奴らのバラード』それ自体を彼の卓でプレイすることはありませんでしたが,彼の「ファッキンチップ」のアイディアが独特であることは,札幌のコンベンションに長くいるTRPGゲーマーたちにとってはそれなりに知られ,評価されていたことでした。

 現在サイトはリンク切れを起こしていますが,インターネットアーカイヴで2006年までの更新情報を追うことは可能です。
〈ファッキンチップ〉のオンラインでの初出は2001年09月23日です。

ファッキン・チップは、ファッカー自身がイベントを誘発できるカードであり、
死にバラのシステム最大の特色だ。
ファッキン・チップは全部で27種類有り(2001年8月現在)、
死にバラらしいイベントが各カードに記されている。

ファッカーは最大で3枚までの手札を有し、
ゲーム中いつでもファッキン・チップを出してイベントを起こせる。
ただ、ひとつだけ制約があり、それは自分自身に対してカード効果を適用できない。
カード効果は、他人(ファッカー、NPファッカー)に対してのみ適用されるのだ。
ファッキン・チップを使われ、その対象となったファッカーは、
甘んじてその内容を受け入れ、演出として活かさなければならない。
ファックする者の義務である。
セッション中、単独行動をするファッカーは、他のファッカー全員の注目を浴びるため、
余計にファッキン・チップの対象となる可能性が高い。
逆に言えば、他人の単独行動により舞台裏に身を置いたファッカーも、
ファッキン・チップの使いどころを考える楽しみがあり、暇は感じないはずだ。
死にバラに、ヒーロー・ポイントという卑俗な概念はない。
ファッキン・チップがその役割を果たすが、自分自身に対しては使えない。
他人のロール・プレイ、セッションの流れを見た上で、それに介入できるだけだ。
自分のチンポを自分でシゴくな。
まずは相手を感じさせろ。濡らせ。そして、相手の愛撫には目一杯に応えろ。
それが真のファッカーというものである。
また、ファッキン・チップは補充も行える。
ただし、手札の枚数は3枚が限度である(ファザーのみが5枚まで)
補充の方法は、お前が勝手に考えてくれ。
GMのもつファッキン・チップの手札の数、補充のタイミングも好きに決めろ。
また、セッション中に死亡したファッカーは、即座に手札を最大数まで補充できる。
カードを出すという形で、以後もセッションには参加することが可能となる。
ファッカー死亡後も、プレイヤーに暇な思いをさせてはイケないのである。

以下に、ファッキン・チップを記す。
死にバラのプレイをしようという酔狂なナイス・ガイは、
以下の内容をどうにかして、カード状のものに印刷し、活用してくれ。

『死に急ぐ奴らのバラード』(2001年版,インターネットアーカイヴより)
http://web.archive.org/web/20011103203058/http://www6.ocn.ne.jp/~sinibara/

 これに対して,『ガンメタルブレイズ』における〈シチュエーションカード〉の説明がWikipediaにあります。

シチュエーションカード
 本作品のルールブックには51枚の「シチュエーションカード」が同梱されている。シチュエーションカードはセッション開始時に、プレイヤーとゲームマスターの手札として配られる。セッション中、このカードはゲームマスターやプレイヤーから、別のプレイヤーに向けて提示される。提示されたプレイヤーは、カードに書かれているシチュエーションをロールプレイで再現できれば、そのカードを「ブレイズトリガー」として自分の場札に加えることができる(プレイを拒否することも可能)。
ブレイズトリガーは、自分のキャラクターが(使用コストのかかる)モーションエフェクトを使用する際、カードに書いてある数値の分のコストとして使用できる。
(LightWriterほか,「ガンメタル・ブレイズ」(Wikipedia)より)

 もちろん,この二つの記述は,ルール的な位置づけがだいぶ異なっていますし,また前提としている〈背景世界〉も異なります。さらに言えば,前者は商業的な展開を行わない同人TRPGであり,後者は出版流通に乗りISBNコードを持つ商業TRPGシステムだ,という違いもあります。また,こうした記事によくあるような「パクリだ」とか「アイディアに欠ける」とか,あまり意味のない主張をするつもりもありません(なにしろ,ルールの組み合わせ次第で,TRPGシステムの質感などいくらでもかわるのですから,その一部がたまたまほかのシステムと似ていたところで,何の瑕瑾にもなりません)。

 しかし,本質的に,この〈ファッキンチップ〉のコンセプトが,2001年に札幌で遊ばれていた頃から『ガンメタル・ブレイズ』発売に至るまでの8年間,ほとんどTRPGシステムの表現史において論じられてこなかったことに,TRPG批評の貧しさ(というか「無いも同然」)であることを感じずにはいられません。
 8年もあれば,『死にバラ』と比較する必要も無いほどの,飛躍的なシステムのイノベーションを見たい,とも思いたくなるものです。しかし,サポートがいくら手厚く責任感があっても,システムの革新は相変わらず緩やかです。
 CRT表の使い回しでシミュレーションゲームを根付かせたアヴァロンヒル社の過去を考えるならば,私の言っていることはむだにSPI社的なものをTRPG市場に求めているだけかもしれません。今のTRPG市場で,新しいアイディアがガンガンと発売されるTRPGシステムに盛り込まれている,ということを期待するのは,筋違いというものかもしれません。
 ですが,商業ではなかなか挑戦できなかった前衛的な表現への挑戦が,忘れ去られ,今頃になって「商業作品のイノベーション」として論じられてしまいかねない今の状況は,一体自分たちユーザーはシステムデザインというものについてどれだけ真面目に考えて来られたのか,疑わざるを得ません。
 
 今年の五月,私は札幌に帰ったときに,『死にバラ』をよく知るゲーマーの先輩と飲みました。彼は『ガンメタル・ブレイズ』に『死にバラ』的なギミックがあることについて,大層憤慨していました。
 これを,「地方の同人TRPGなんて知ってるわけないだろ」というのは簡単です。しかし,商業に乗れば,はじめてTRPGはゲームシステム批評の対象となる資格を得る,というようなことになるのでしょうか? 私には,そうは思えません。なにしろ『死に急ぐ奴らのバラード』は,誰でもインターネットさえあれば閲覧できるシステムでした。日本中のだれもが,遊ぼうと思えば遊ぶことができたのです。
 安心して遊べるゲームが継続的に提供されることと,それが表現として新しいことは,別の評価軸です。そして『死に急ぐ奴らのバラード』は,手厚いサポートや高い整合性は確かに望めなかった作品でしたが,八年後の『ガンメタル・ブレイズ』と比較しても,コンセプトデザインにおいてまったくひけを取らない,斬新なメカニズムデザインでした。
 馬場秀和が述べたゲームマスターの三つの作業分野*1の一つ,〈システム選択〉を支えるための批評を考えるならば,私たちは『死に急ぐ奴らのバラード』の2001年の成果を,忘れるべきではないと考えています。
 同人ゆえに「ユーザーサポート」に難があった『死に急ぐ奴らのバラード』の代わりに,ぜひとも『ガンメタル・ブレイズ』には,長く続いてほしいものです。

*1:〈システム選択〉〈シナリオ作成〉〈セッションハンドリング〉のこと。これを一通りこなすことを馬場は〈マスターリング〉と呼んだ。これに〈ヒューマンアフェア〉と〈啓蒙活動〉を含めると5つとなるが,馬場秀和個人の思想的立場を抜きにして考えると,三つに限定することがおそらく妥当だろう。