D&D4e PHB「切って貼るだけアップデート・ファイル」
polypousraceさんという方が、『ダンジョンズ&ドラゴンズ プレイヤーズ・ハンドブック 第四版』の膨大なエラッタ&アップデート情報を更新するためのPDFファイルを公開してくれています。
polypousrace,2010,「D&D4版PHBアップデート米国2010年05月分まで」(※用法の注意書きがあります。必読)
http://d.hatena.ne.jp/polypousrace/20100828/1282938355
polypousrace,2010,「D&D4版PHBアップデート米国2010年07月分」
http://d.hatena.ne.jp/polypousrace/20100829/1283065874
たぶん、もうすでにD&D4eはD&Dv4.5になってるんじゃなかろーか……(笑)。新しいPHBが出てないだけで。
僕も遊んでますので、さっそく適用してみようと思います。種族固有特技からしてもうガラッと変わってたりするので、こういう情報がないと大変なんですよね。D&D Insiderの恩恵を得られない日本語環境では、こうした草の根の方々の独自サポートがいかに大切か、しみじみ感じ入ります。
polypousraceさんのお話も、「本当に新しい事態だよなあ」と思うことが多いです。
私は普段TRPGをしていても、あんまりルールのエラッタとか気にしないで遊んでしまえる方ですし、その場その場でマスターが決めてくれればいいよと思っているのですが、D&D4版を遊ぶにつれてこの定期的に発表されるアップデートにはどうしてもちゃんと向き合わないといけないなと感じていました。特にDMをするようになってからは。
最初からそういう設計思想だったかは知りませんが、ここまで頻繁にアップデートを繰り返す(そもそも今まで遊んだゲームにアップデートという概念はなかった)ゲームに出会ったのは初めてですし、しかもその内容がダイレクトにゲームを変化させます。公の場で遊ぶ場合にはレギュレーションとしてアップデートの内容を踏まえるのは当たり前となっています。
なのですが、その膨大なアップデートの量にただ圧倒され途方に暮れるのもまた事実。書き込むのも馬鹿らしいし、中にはそれすら難しい長文も存在します。本国のようにプリントして切って貼れればどんなに楽か。
他力本願な私は今までD&Dを遊ぶ場で「このルールって今どうなっているんでしたっけ」と人に尋ねるのが基本姿勢で、アップデートの必要性を感じ始めてからも「アップデートって皆さんどうしているんですか?」と訊きまくり、何か良い解決策を持っている人に頼ろうとしていました。
同じゲームグループの方が自身の為に作成した簡易貼りつけアップデートを頂いたり、D&D愛好家の皆さまのブログを「切って貼るだけの楽なアップデートをつくっている人いないかな」などと邪な考えで眺めていたりしました。
でもそんなに都合のよい物はそうそう見つからない。なので7月も終わりに近づいた頃、一念発起して時間を見つけてはちまちまと作成してまいりました「切って貼るだけアップデート」。
要りようの方はご自由にお使いください。
ところで最近の僕は、大抵のプリントアウトを「セブン&Y」のゼロックス・コピー機に、USBメモリを挿し込んで、1枚10円でプリントアウトすることが多いです。ゲームについても、セッション前にさっくりコピーして行くこと多し。レターサイズでもない限り、家にプリンタを置かずに済んでとても便利です。家が狭いとプリンタのメンテナンスが大変なんですよねえ……。*1

ダンジョンズ&ドラゴンズ プレイヤーズ・ハンドブック第4版 (ダンジョンズ&ドラゴンズ基本ルールブック)
- 作者: ロブハインソー,アンディコリンズ,ジェームズワイアット,桂令夫,岡田伸,北島靖巳,楯野恒雪,塚田与志也,柳田真坂樹
- 出版社/メーカー: ホビージャパン
- 発売日: 2008/12/05
- メディア: 大型本
- 購入: 6人 クリック: 60回
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RuneQuest, Basic Role-Playing and Gloranthaの三十五年略史(1975-2010)
こないだのRQ東京会で、いつもお世話になってるまりおんさんに「ここ10年のイサリーズとかマングースの商品展開ってさっぱりわかんないので、どういう風になってるのか、教えてくださーい」と超ワガママなことを言ったら、まりおんさんが素晴らしい記事をまとめてくれました。
せっかくなので、peekaboo30さんの年表と合わせて、僕のところでもまとめ年表を作って支援しようかと思います。」
RPG.Netで確認できる細かいサプリ・シナリオ集関連の情報はある程度除外しつつ、HQ2とMongoose版RQ2(ついでにChaosiumのデラックスBRP)にたどり着くまでの最低限の話を押さえてみます。間違いもまだあるはずなので、適宜修正コメントください。やってみたところ、RPG.netのクレジットはかなり信用ならん感じ。Amazon.comの方が信頼度高し。
デジタルゲーム関連では「The Elder Scrolls IV: Oblivionのデザインにも関わっているKen Rolstonの移籍騒動があったためにRQ3の命脈が1994年で途絶えた」というような話があり、こういう話はけっこう大事だなーと思う次第です。
PendragonでGregがどんなことをしていたのかということはほとんど知らないのですが、そのうち調べてみたい。今回はひとまずグローランサとBRP関連に的を絞る。
■ルーンクエスト製品史参考リンク一覧(2010年08月版)
- Pete, 2009, "The History of Runequest" (http://www.maranci.net/rqpast.htm,2009.01.14).
- RPG Net, "Index system Search: RuneQuest"(http://index.rpg.net/display-search.phtml?key=system&value=RuneQuest)
- Mongoose RuneQuest公式(http://www.mongoosepublishing.com/home/runequest.php)
- peekaboo30,「年表について」(http://d.hatena.ne.jp/peekaboo30/20060307#p2,2006.03.07).
- まりおん,「ルーンクエストの歴史」(http://d.hatena.ne.jp/mallion/20071214/p1,2007.12.14).
- まりおん,「ルーンクエストの歴史2(近代編)」(http://d.hatena.ne.jp/mallion/20100831/p1,2010.08.31).
年 | 製品・出来事 | 関連会社 | 担い手 | |
---|---|---|---|---|
1975 | White Bear and Red Moon (original title of Dragon Pass) | Chaosium | Greg Stafford | |
1978 | RuneQuest First Edition | Chaosium | Steve Perrin, Ray Turney, Steve Henderson, Warren James, Greg Stafford | |
1979 | RuneQuest Second Edition | Chaosium | Steve Perrin, Ray Turney, Steve Henderson, Warren James, Greg Stafford, John Sapienza | |
1979 | Cults of Prax | Chaosium | Steve Perrin, Greg Stafford | |
1980 | Basic Role-Playing | Chaosium | Greg Stafford and Lynn Willis | |
1981 | Cults of Terror | Chaosium | Paul Jaquays, Ken Kaufer, Rudy Kraft, Charlie Krank, John Natzke, Sandy Petersen, Greg Stafford, Sean Summers, Anders Swenson, Lynn Willis | |
1981 | Dragon Pass (republishing) | Chaosium | Greg Stafford | |
1982 | TrollPak | Chaosium | Sandy Petersen, Greg Stafford | |
1984 | RuneQuest Third Edition | Avalon Hill | Steve Perrin, Greg Stafford, Steve Henderson, Lynn Willis, Charlie Krank, Ray Turney, Ken Rolston, and Sandy Petersen | |
1987 | Land of Ninja | Avalon Hill | Bob Charrette, Sandy Petersen | |
1988 | TrollPak (revised) | Avalon Hill | Sandy Petersen, Greg Stafford | |
1988 | 『ルーンクエスト』3版BOXセット | ホビージャパン | 田中勇樹(翻訳) | |
1992.10.01 | 『ルーンクエスト・ナインティーズ』*1 | ホビージャパン | 桂令夫・石垣憲一・内田智也・山本達*2 | |
1993.11.01 | 『ドラゴンアトラス――ルーンクエスト'90s ワールドガイド』 | ホビージャパン | 桂令夫・内田智也・山本達・たのあきら | |
1994 | Lords of Terror | Avalon Hill | Stephen Martin, Sandy Petersen, Greg Stafford | |
1997 | Issaries,Inc.設立 | Issaries | Greg Stafford | |
1998 | 以前から債務処理にあえいでいたAvalon Hill社が業務を停止 | Avalon Hill | ||
2000.04 | Hero Wars (HeroQuest Prototype)*3 | Issaries | Robin D. Lows(main design), Greg Stafford, Roderick Robertson, Shannon Appel | |
2001.11.30 | 『ヒーローウォーズ――英雄戦争』(HW基本2冊の翻訳編集版) | アトリエサード | 翻訳・編集:桂令夫&グレイ・ローズ(岡田洋・小川涼・桂令夫・北島靖己・山下暁士・山本達)*4 | |
2002 | Steve Perrin's Quest Rules*5 | (personal) | Steve Perrin | |
2003 | HeroQuest First Edition | Issaries | Robin D. Laws(main design), Greg Stafford | |
2003 | 米国の玩具メーカーであるHasbro社が、既に1998年ごろに解散していたAvalon Hill社の権利を600万ドルで買収*6。Hasbro社はRQやGloranthaの版権を行使する企画開発能力がなかったため、RQの商標を失効させた。このためRuneQuestの版権はChaosium社へ、RQ時代に蓄積されたGlorantha設定の版権はIssariesへ、それぞれ戻ってくることになった。 | Avalon Hill, Hasbro, Chaosium, Issaries | ||
200x(?) | Issaries, Inc.が事実上Greg Stafford個人の版権管理会社に。以降、グレッグはTRPGのルールデザインには関わらなくなった。これ以降、HQラインはMoon Design社に開発を委任。一方BRP-RQは英国Mongoose Publishingに開発を委任。このようにしてAvalon HillとIssariesはともにTRPG開発から退き、A.「RQ3を継承する新BRP(Chaosium)」B.「RQ2に回帰したオリジナルRQ(Mongoose)」C.「ナレーション重視のHQ(Moon Design)」の3つのGlorantha的TRPGが鼎立することとなる。 | Issaries | Greg Stafford | |
2004 | Basic Roleplaying Players Book (Deluxe BRP First Edition)*7 | Chaosium | ||
2006 | RuneQuest: Core Rulebook | Mongoose | Matthew Sprange | |
2006 | 『RuneWars』*8 | (personal) | Vampire.S | |
2007 | RuneQuest Deluxe: Core Rules Compilation | Mongoose | Matthew Sprange | |
2008 | Basic Roleplaying: The Chaosium Roleplaying System (Deluxe BRP Second Edition) | Chaosium | Jason Durall, Sam Johnson | |
2008 | 『ひーろーうぉーず 1.1』*9 | (personal) | なゆた | |
2009 | HeroQuest Second Edition | Moon Design | Robin D. Laws, Greg Stafford | |
2010 | RuneQuest II Core Rulebook | Mongoose | Lawrence Whitaker |
修正はトラックバック・直メールで随時受付中です。
*1:RQ世界を基にした完全オリジナル
*2:チーム「グレイローズ」で有名。なお、編集には当時のホビージャパン開発室の平原靖彦が関わっている。
*3:Hero Wars: Roleplaying in Glorantha と Hero Wars Narrator's Book: Game Mastering in the Hero Warsの2冊が基本ルールブックとなっている。
*4:特定は避けるが、ここに記したグレイ・ローズ以外の協力者としてまりおんさんが関わっているのはもっと称賛されていいと思う。
*5:初期RQ開発に関わったペリン自身によるホームメイドなTRPGシステム。
*6:これはWikipedia日本語版の記述であり、{要出典}。M:tGとD&D3e以降で有名なWizards of the Coast社も、1999年にHasbro社の傘下に入っている
*7:ルールはRQ3準拠。
今年の夏のソワカちゃん
まとまったゲームの話はそこそこしたので、後は裏で学会発表とかに向けて準備しようと思います。
また他の趣味の話をだらだらしようと思います。
すごく久しぶりにkihirohitoサウンドの話。
- bold;">『非Q正伝』〔なるきゅーせいでん〕:kihirohito夢の旧作シリーズの本人によるリミックス・アルバム。2010年07月19日の「ボーカロイド・マスター」即売会(於:浜松町都立産業貿易センター)にて頒布。名義は円盤刊行会。定価1000円。通販へ移行した後、完売。
- bold;">『ヰタ・サブテラネウス』:ソワカちゃんファンによる同人バンド「地下102階」に原作者kihirohitoがベースとして加わった、バンドサウンド・スタイルのアルバム。『非Q』と同様、2010年07月の「ボーカロイド・マスター」の同ブースで頒布された。lope(vo.),アーサー(g.,vo.),a_kira(kb.,arrangement),kihirohito(b.),reopon(dr.),monado(chorus ,produce),namak(chorus, management)。定価1000円。現在も通販で入手可能。(参考:http://item.rakuten.co.jp/kaimonoz/enban02/)
動画で紹介したのは、それぞれのキラーチューンですね。全部手に入れました。とてもよいです。
蔵原大さんからコメントを戴きました
戦略学・歴史学の立場からウォーゲーミング(=軍事演習を設計・実践するにあたっての方法論)の歴史を研究されている蔵原大さんから、今月の25日ごろ *1、「会話型RPG(TRPG)における〈プレイング〉の内実(改訂版)」(http://d.hatena.ne.jp/gginc/20100822/1282520395)についてのコメントを戴きました。
幸いにも掲載許可を戴くことができましたので、こちらに紹介させて戴くことにしました。どうもありがとうございます。
蔵原大さんは、基本的にmixiの日記において考察を進められている方ですが、一部の記事は文芸批評の岡和田晃さんのBlogに転載されています。本エントリで蔵原さんの研究領域に関心を持たれた方は、以下のエントリもぜひ読んでいただければと思います。
- 蔵原大,2009,「ウォーゲームを製作する歴史学の講義」(http://d.hatena.ne.jp/Thorn/20091125/p1,2009.11.16).
- 蔵原大,2009,「ウォーゲームを製作する歴史学の講義 その2」(http://d.hatena.ne.jp/Thorn/20091127/p1,2009.11.27)
- 蔵原大,2010,「レビュー:The Grand Strategy of Philip II」(http://d.hatena.ne.jp/Thorn/20100302/p1,2010.03.02).
- 蔵原大,2010,「レビュー:ダニガン『ウォーゲームズ・ハンドブック第三版』」(http://d.hatena.ne.jp/Thorn/20100504/p1,2010.05.04).
- 蔵原大,2010,「レビュー:J・キーガン『戦闘の顔』(The Face of Battle)>(http://d.hatena.ne.jp/Thorn/20100812/p1,2010,08.12.)
蔵原大さんからのコメント
「会話型RPGという手続きの基礎」を拝読しました。
あれだけの長い、しかもシッカリした記事が日本人の筆で出るようになったのですから、時代も変わったものです。ようやく日本人も、自分の言葉でRPGを専門的に語り始めたわけですが、この流れが今後も持続すればいいのにと思う次第です。
また題材や専門用語についてしっかり定義を示しているのもイイですよね。主題や用語の概念があいまいですと、そもそも批評の俎上にさえあげられないのですが、その点で今回の記事は誰が見ても少なくとも論旨はしっかりまとまっているのが助かります。こういう記事が増えてくれると、日本におけるゲームの製作や普及、教育の土台が固まってくれるのかなとも期待するばかりです。
今回のこの記事、ひょっとして「研究ノート」かなにかの下敷きなのでしょうか?
ところで、記事について気になった事が二点ありますので、簡便にコメントします。
1.ロールプレイングの「質的」と「量的」?
情報の「定量性」と「定性性」から派生して論を組み立てているのはよくわかりますが、実際のロールプレイ(役割演技)においては両者を完全に区分して演技をしている事例の方がむしろ少ないかと思います(これは実際の政治や経済の実務と類似しているでしょう)。となるとはたしてロールプレイングを「質的」と「量的」とに二分する意味があるのでしょうか。むしろこの場合、情報のどちらに重点をおいてロールプレイをするのか、という筋道で書かれた方がすんなり理解できたかな、とも感じました。
2."LARP"は「会話型RPG」のカテゴリーに当てはまるのか?
これは本論でも触れられていましたが、LARPは本質的には実世界の資源を使い、しかもその用途は私的のみならず公共の場にも広がっているため、主題であった(とクラハラが理解している)個人の娯楽としての"RPG"と並列させるのは、ちょっとどうかな?、とは思いました。
もちろんLARPの話を取り上げるのがイケナイという意味ではなく、逆に紹介されるのは大いに結構なのでしょうが(きちんと注も入っていますしね)、もう少し丁寧にLARPの説明をしてからの方が全体の収まりがよかったのではという印象は受けました。日本ではそもそもライブRPGという概念自体まだ周知されていないので、LARPとはそもそも何なのか(ただの娯楽ではないという点)、LARPの具体例(教育や公的な大会など)、その辺にまでご配慮いただいて論を進めていただけますと、さらにイイ感じに見えるかもしれません。
高橋の返信
蔵原さん:
コメントありがとうございます。
今回の文章は研究ノートというより、以前したためたプレイング論の推敲として提示しました。いずれこの件についてはゲーム関連の学会などでも仮説として提示できるところまで持ってゆきたいとは考えていますが、その段階より数ステップ前だとは自覚しています。
戴いた質問に回答致します。
1.量的/質的の区分の意義
これは確かに、混ざるものだと思います。排他的な区別をしているわけではありません。
ただし、混ざるだけでなく、「あるメカニズムを前提に相互に翻訳される」というところを掴む為に、敢えて規定したものでもあるのです。一度定義したものが、「べつべつに・相互排他的に」駆動しているわけではないのですね。
Vampire.Sさんとのチャット(http://d.hatena.ne.jp/gginc/20100825/1282708102)でも述べたのですが、「行為判定」のメカニズムに放り込めるような変数と、そこまで加工され切れていないその他の雑多な情報とを、indexical data/symbolic dataと言い換えた方が適切かも知れない、と言う話をしました。
というのは、GMとPLが共同で「まあ、こういう解釈で行きましょうよ」と考える部分と、既存の設定情報から厳密に行為判定ルールに落とし込みうる部分とが、現場のセッションではぐちゃぐちゃに混ざる。そういう相互の変換作業というものがあることは、(純粋に・経験科学として)取り出せるかどうかはかなり難しいものの、一ゲーマーの経験としてはあるんじゃないか、と感じているのです。
ですから、量的/質的(あるいはindexical/symbolic)と分けたことによる意義というのは、「相互排他的に認知可能だ」というよりは、2つの解釈システムを同時に、高速に入れ替えたり、二重写しにしたりするような、プレーヤーの認知モデルが(もしかして)見いだせるのではないかなあ……というような予見を、ここで立てているわけでした。
もちろんこうした考えをすぐに脳神経科学や実験心理学などの実証へ持っていくということは極めて困難なのですが、中間報告として、ここまで書いてみた次第です。
2.LARPのくだりについて
これは別の読者の方からも意見を戴いて、別記事として分離したところでした(http://d.hatena.ne.jp/gginc/20100822/1282750657)。重要な部分でさえかなり長いのに、これがあることで混乱を招きかねないかなと思い、対処した次第です。
この方面は、ご存知のKammさんの研究から示唆を受けたもので、「せっかくプレイングの話をしたのだから一緒に書き留めておこう」というくらいの気持ちで入れたものでしたが、きちんと分けて書いた方がreadabilityが上がるのはその通りで、軽率に合わせてしまったことを反省しております。以後の議論を進める際に配慮したいと思います。
3.文献紹介
ありがとうございます。早速入手・読解してみます。
今後とも、ぜひコメント頂ければ幸いです。とても励みになります。
*1:その後のエントリにより文意を補完する前のやりとりとなっているため、他既出エントリと重複している部分もある場合があります。ただ、蔵原さんの文は簡潔明瞭であり、僕が応答する中で思考を整理する際とても助けになったため、時系列と関係なく紹介したいと考えたのでした。
共感/理解/誤解をめぐって――問題関心を処理する時の、個人的感覚
acceleratorさんからコメントを戴きました。
個人の興味、一般の興味 - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む
http://d.hatena.ne.jp/accelerator/20100830/p1
コメントありがとうございました。前回の記事も、そして今回の記事も、ともにとても参考になり、助かります。
一連の助言から、どうして僕がしばしばこういう事態を招くのか、反省してみました。
この文章は、「自分がふだんどういう風にこのブログで問題関心を提言しているのか」ということを正直に述べつつ、「会話型RPGにおいて、ほんとうに“読者の問題関心”について書く」ということはどういう風景にまでたどり着けばよいのかを、考察してみました。
acceleratorさんのコメントについてはほぼ全肯定のつもりなのですが、いろいろ総合して考えると、「おや、こりゃどうもむずかしいぞ」と思ったので、ここは正直に書いて、意見を伺ってみようかなと思います。研究という狭い領域での言葉とその他の領域をつなぐ言葉を作るという点で、今感じた「困難さ」を、言葉にしてみたかったのです。
自分の問題は、「個人的興味」すら書かない、ということにある
当ブログの基本的スタンスをあらためて明言するとすれば、それは結局のところ「個人的な研究ノート」という位置づけになるでしょう。ひとまず思いついたことを思いついたままにメモし、本格的に他者に向けた記述は後で改めて仕上げる、という方針で、このブログは運営されています。そのことは、玄関口での基本方針(http://d.hatena.ne.jp/gginc/20501224/1203071409)や、先日書き下ろした言及の際のお願い(http://d.hatena.ne.jp/gginc/20100827/1282872423)として、示されています。
そして、本格的な議論の背景は、書いた後に読んだ人が、ポジティヴな反応を下さった人が出てきた後でもかまわない、と考えています。こうした態度は、(acceleratorさんが「かけだしの研究者にありがちな話」として挙げられていますが(笑))少なくとも短期的には、10人くらいしか関心を持たなくても、特に問題ないとすら感じているわけです(そして――驚くべきことに――僕の周りには、10人近くは、ある程度まで関心を共有・理解してくれる人がいるようなのです。これは、小難しいことを考えてばかりの人物にしては、極めて異例の、幸せなことだと思います。)
その上で、僕という人間が何かを書くにあたって抱えている致命的な問題点は、「『プレイングの内実』および『演技に関するメモ』について、個人的興味を導入とするどころか、個人的興味についての論述すらバッサリと切ってしまっている」ということにあるんじゃないかと、今回思ったんですよ。
エントリを書いた経緯については「会話型RPGにおける〈プレイング〉について考えます。以前の論をリライトします」と述べてるだけで、思考した経緯と、暫定結論のみポンと置いてしまったので、先の文脈補足エントリを書くまで、個人的興味の所在も確定できなかった方が多かったのではないでしょうか。
acceleratorさんは、
という2つの助言を僕に下さっています。けれど、この2つの助言を組み合わせると、僕はその2点だけではカタのつかない、ややこしいスタンスをTRPG論において維持していたのだと思います。
つまり、
- 関心の方向性が、多くの人が考えるようなTRPG論とは異なるように見られるため、短期的には、共感を期待しない。
- 一方で、たまたま関心の似た人が気付いてくれればよい。個人的興味について述べることも、できるだけなしで済ませたい(したがって、文面からだけでは、何に興味をもってるのか、よくわからない)。
こういう態度が、僕のブログには蔓延していたわけです。なんかこう書いてみると、ものすごくムカツク奴ですねwww
けれど、僕はこれが別に不遜な態度とは特に思ってなかったのです。
どうして不遜な態度だと思わないのか? という話を、次の節で述べます。
「理解できない」ならまだしも、「誤解(=筆者が想定できなかった理解)をされ続ける」ことについてどう責任を取ればいいか?
前段の話を続けましょう。僕の態度というのは、「読者の側が個人的興味を推測せざるを得ない」という、きわめて不親切な文章を作るのに向いてしまっている、ということになります。
そういう観点から見れば、僕の文章は「悪文」と言って差し支えないと思います。「読む人によって挿入可能な解釈の幅が広すぎ、その結果として読んだ結果の利得がてんでばらばらになってしまうような設計がなされてしまっている文」は、悪文だという発想です。
そして、そういう意味での悪文を量産するくらいなら、(acceleratorさんやVampire.Sさんのアカデミックな助言には背きますが)個人的見解を最初に書いてしまう方が、価値は下がるでしょうけれども、害はなくなると言う点ではマシなのではないか、と思います。
ところが、僕は実のところ、こうした「悪文」を書く自分を、少なくともこのブログにおいて否定していません。なぜなら、
- 自分が関心を持たない高橋のテーマに、皆さんがわざわざ時間を掛けて付き合う必要はそもそもまったくないはずだ(論じる価値がないことに時間を掛けるなんて、なんてもったいないんだ!)。
- 高橋が想定しない別の見解でもって、高橋の文から問題点・批判点を見いだし得た(それはきっと、あるだろう)として、僕がそれに付き合う必要もまたない(相手がその方向性では論じる価値がないと思っているはずのことに、僕が付き合うのは、相手の不幸を単に後押しすることになる)。
というようなスタンスを、僕が持っているためです。
僕のこうした考えは、以下のような要素を「考慮の外」に置いてしまうことで、はじめて可能になるものです。
- 読者なりの理解をした結果、高橋の論はなんとしても批判・否定しなければならない(なぜならそのように読みうる限り、彼がそうした方向の誤った・有害な見解をまき散らす可能性がゼロではないからだ)
僕は、意図するにせよしないにせよ、「ああ、それはまったく予測のしない、ネガティヴな解釈でした。けれどその解釈を生んでしまったのはほかでもない自分の書き方の甘さだったから、自分の側が申し訳ないことをしたなあ。あるいは、どれだけ論旨を精確に述べ直したところで、結局のところ本当に自分の方がどこかで決定的に間違っているのかもしれない。相手はそのことを不愉快に思って、訂正を求めているのかもしれない……」と後で筆者自身が思ってしまうような理解のことを「誤解」と、ひとまず呼んでいます。もっと短く言えば、僕にとっての「誤解」とは、「少なくとも読み手とのあいだに、テキストを通じて見解の相違が発生していると、書き手の側に把握されている状況」のことです(僕の「誤解」は、書き手から読み手への一方通行的な誤解ではなく、双方向的な見解にズレが生まれているような状況を念頭に置いているものと、イメージしてください)*1。
僕個人に関して言えば、(先ほどのスタンスにより)もともとの文章のねらいがはっきり読み取れないことが多いので、おそらく沢山の読み方が発生しているはずです。その中で、「こう読んだよ」とサラッと言われれば、「ありがとうございます。そういう読み方もあったのかあ」と、新しい発見があります。著者の意図していない理解や解釈も、それが何かの利得を生み出しているなら、それでいいかな、という考えが僕にあります。これもまた広い意味で「誤解」かもしれませんが、読み手にとってなにかポジティヴなものが発生していれば、僕はポジティヴな誤解もまた、肯定的に考えています。
けれど、「こんな読み方をした。お前はけしからん奴だ」と言われたら、それは「すみません、そういうつもりではなかったのですが」と言わなければなりません。そして、そのように応答した後でも、そのことを信じていただけず、読者なりの見解によってその議論を進めるのであれば、「これは……僕には想像もつかなかった、その人にとってきわめて切実で新しい問題が、その人の考えを推進させているのだろう。おそらく僕には協力する能力がないけれど、問いの方向性が異なっている以上、僕なりのスタンスを説明しても意味がないことは明白なので、とりあえず協力できないことは先に謝っておかなければならない」と考えてしまう。
僕は、こういう状況が、安定的・持続的に続いてしまうことを、「誤解が発生している」とします。
ここで重要なのは、そこで僕の論を批判している人の方が、よほど優れた問題を立てている可能性が大いにあることです。その人にとってみれば、僕の論は、「自分にとっての問題関心」とは異なる問題を立てたものとして映っているはずです。そして、僕がスタンスを変えない限りは、その論を何としても論破しなければ、その人の思考は推進されないことになることすらありえます。それはその人にとって明らかに「やり甲斐のある」ことですから、僕はそれを止めることができません。
ところが、僕はその人の問題関心がわからないことが、往々にしてある。「誤解を生んだ」状況は、なかなか僕の方からは解決できないわけです。なので、「協力はできませんが、その問題は価値があるものと考えます」と伝えて、その後はべつべつに進めていくのがもっとも互いにとってよいだろうというところに、着地点を求めます。理解しきれない申し訳なさとともに。
僕は、こういう発想で問いの領域を分け、べつべつの道を探し求めることを(ビジネス等で分科会を形成する際、同じ課題を共有するグループを区分することから)「ワーキング・グループ思考(WG思考)」、あるいは「ワーキング・グループを分ける」と勝手に呼んでいます。要するに僕は、「僕の議論にもし問題があって、しかし僕がそれを懸命に努力しても理解できないようであれば、僕の見解など放って独自のWGをつくって戴くのがもっとも効率的であって、僕に直接関わるのは、ご本人の心の平寧のために、諦めた方がよいのではないか」と、素朴に思ってしまう人間なわけです。
僕は個人レベルで、こういう発想でものごとに接することにすっかり慣れきってしまっているのですが、なんだか今回の件を通じて、「そういうスタンスは、あまり一般的じゃないのかなあ」と思ってしまいました。
やっぱり
- 読者のニーズを事前に想定した上で、「こういう読者に向けて書いてますよ」ということを明確に述べる。
- どのような解釈をされても、結論が一緒になるような、堅牢な文章を書く(相手の理解の志向性に決して委ねない。「これはなんとしても批判しなければならない文だ」と思われたら、それは書いた側の責任として引き受けなければならない)。
というようなスタンスに切り替えた方が、お互いに面倒がなくていいのかなあ……と思ったりするわけです。
そして後者の方は、acceleratorさんのおっしゃるような「〔職業意識を保った〕研究論文」のアプローチだと思うんですよ。そして、確かに僕が当ブログを「研究ブログ」としている以上、たぶん後者のような書き方をした方が、職業意識的には正しい、ということになると思います。
そういう見地から、acceleratorさんの仰ることは、言論のスタンスへの提案としても、また研究という行為上の示唆としても、もっともな指摘だと僕は受け止めております。
会話型RPGのワーキング・グループのカタチはどうなっているのか?
でも――僕の文章がどこに向けて書かれているのかが見えにくいことは承知の上で正直に告白すると(笑)――研究論文のアプローチって、そもそもが事前に「学会」というかたちでワーキング・グループを分けているためにある程度有効なのではないか? と思えることも、実はあるんですよね。究極的には「あれ、私たち、問題共有してなくね? じゃ、別れよっか」みたいなことを、個々人でやっていかなきゃならない。そして別れてしばらくした後、「あ、また関心が似てきたかもね。じゃ、付き合おっか」みたいな節操のない感じの事態が、何度繰り返されてもいい。その結果、学会同士で喧嘩をせずに済んでいたり、棲み分けていたりする。アカデミズムという領域は、そもそもが果てしなく分化していったワーキング・グループの群だというような理解を、僕はしています。
そして、会話型RPGについての議論って、たぶん「プレイの役に立つtips」という話が一番わかりやすいと思うんです。僕もしばしば、「そういうtipsを提供することこそがTRPG論であって、あなたの議論はそういうものになっていない」と言われることはあります(笑)。でも、「じゃあ、何がプレイの役に立つtipsなのか?」とゲーマーに尋ねてみたとしたら、それこそ千差万別の答えが返ってくるはずなんです。
つまり、「プレイの役に立つtipsを書けばよい」というような問い/解決のセットは、実のところ、具体的なTRPG論を書くための最大公約数として、それほど強い紐帯じゃないんじゃないの、と僕は思っちゃうんですよね。――だから大上段に議論をぶち上げるのが正しい、とかではなくて(笑)――「プレイの役に立つtipsを書こう」というのも、ある意味で幅が広過ぎて、大上段な議論とほとんど変わらない問題共有しか生まないのではないか、と感じるわけです。
そして僕は、「それだけバラバラなら、自分なりに関心を編んでいくところから始めてもいいんじゃないか」と思うわけです。何度か「TRPG学会みたいなのはないんだから……」と僕は書いてますし、僕の書いていることが何か権力的・押し付け的なものともあんまり思っていない。
もうこの辺から、「高橋志臣の個人的関心はいったいどこにあるのか」という話すら、共有してもらうのはむずかしいんじゃないか、と思っているわけです。だから、個人的関心にもあまり言及しない。しかし、言及しなさすぎると、僕の文章を読んで怒りに駆られてしまう読者の方が混乱してしまう。かといって、個人的関心は、説明しようとしても相当に入り組んでいるし、そもそも文脈を編纂するにあたって参照できそうな言説(アカデミズムにおける先行研究)も、人によってイメージするものがばらばらです。
こういう状況では、研究論文としての体裁を整えながら、まだほとんど誰も聞いたことも理解しようとしたこともない先行研究の文脈を述べなければ、話が始まらないわけですよ。そんなことを考えると、「やっぱり、ワーキング・グループ思考がいいなぁ……」なんて、怠惰な自分は思ってしまうわけです。
将来的な展望、あるいは祈り
こうした考えをめぐらせて、結局何が言いたいのかというと、こういうことです。
acceleratorさんの「望まない方向で自分の文章を読まれて、読者に混乱や怒りを招いてしまうことはできるだけ文章家として避けるべき」という提案には大いに賛同する。けれども、acceleratorさんの助言を実践しようとした時、実際の多くの議論の前提となっていることが多い「アカデミックな言説の相互区分」をサポートする主体というのは、見渡しても見つからない。その結果立論の初動コストが(ほかの議題について論じるよりも)ものすごく掛かってしまう。どんな主張が誰にとっての地雷であり、何が誰にとって役に立つ主張なのか、先行研究もまだ出揃っておらずそれを担保する共同体もない、そんな状況で、自らの主張の前段で、主張の背景を網羅的に解説するということ(=acceleratorさんの言う「論文として成立する条件としての、『読者の関心』なるものを発見し、解説することを互いに要求すること」)は、既存の会話型RPGの言説状況において、実際のところ極めて困難な、その要求基準さえ定かではない営みになっていないか――特に高橋のように、tipsみたいな部分とはまた異なる視座から(も)論を立てようとする人間にとっては。
もちろん、この話は「考えすぎだよ」とか「もっと簡単なことに取り組めばいいじゃんwww」とか「そんなことよりゲームしようぜ」と笑われてしまうだけのことなのかもしれないです。僕もそれでいいんじゃないか、とはちょっと思います。Vampire.Sさんが示唆したように、僕は解決不能なアプローチで問いを立てて、その問いに迷い込んでいる可能性すらあります。それ以前に、これがもし「社会学」という自分の学問領域であれば、「単に同業者の関心を分析しきれてないだけじゃない。精進しな」で終わりでしょう。あるいは、「会話型RPGを研究事例にしているだけで、実際はゲーム全般について論じようとしているから、会話型RPGのtipsを求めている向きの方の需要には、究極的にはお応えできません、すみません」と言って、以後そのように割り切ってしまうのも、アリなのかもしれません。
でも、acceleratorさんの提言を、僕がほかでもない、会話型RPGという領域に対してシンプルに実行しようとする時、こういう言説状況を取巻く圧倒的な困難を取り払う冴えたアイディアというものが、まったくみえてこないんですよね……個人的な感覚として。これはものすごく、暗い感覚として、あるんです。その感覚を払拭できないから、このエントリを書いたと言ってもいい。
前回のエントリで、誤解させてしまった方に謝罪しましたけれども、こういう謝罪は、今後何度もしなければならないと思います。「僕の個人的な関心」が「〔潜在的な〕読者の関心」とどれだけズレているのかは、書いて、応答を戴かない限り、わからないからです。そしてもちろん、僕はTRPGゲーマーを怒らせることを目的で何かを書いていることなんて全くありえない(そんなのに労力をそそいでいる人が居たら、凄いです。羅刹か何かです)。そのありえなさが、それでも怒ってしまった時、僕はとりあえず謝って、「少なくとも、こういう主張をしたわけではなかった」ことを述べ直さないといけないと思います。
ただ一方で、僕の問題を、まだ明瞭とは言えない段階から、奇跡的にわかって下さる方、代弁して下さる方すらいるわけです。その落差が、個人的にすごく受け止めにくい。「これだけ分かってくれているなら、このままでもいいかな」という「個人的関心」の充足がある一方で、「少なくない人たちが、僕の発想に思いがけず苛立っている」という哀しさもある。そして、僕は僕の考えたことをできるだけ率直に(しかし、意図はほとんど捨象されて)切り出しているわけで、ほとんどそれは――ポジティヴな理解にせよ、ネガティヴな理解にせよ――“奇跡”、としか言いようがない感じすら受けます。
アカデミックな言説としてのTRPG批評というものがもし担保されていれば、僕はこういう“奇跡”に惑わされずに済むのかもしれません。そういう努力は、僕よりもずっと優れた人がエイヤッとやってくれれば、数年で整ってしまう程度のものかもしれません。
でも、そういう環境は、少なくとも今はあるとはとても思えないし、あったとしても共有されているとは信じられません。だから、「個人的関心」も、「読者の関心」もうまく言葉にできないまま、僕は僕なりに「何が自分と他者のワーキング・グループを区別しているのか」ということを、逐次判断していくしかないと思っているのです。
「共有できない/理解できない/誤解を生む。だから、もう少し巧く書けよ」という気持ちと、「共有できない/理解できない/誤解を生む。それは、たぶん(まだ)仕方ないから、その都度誠実に書いていくしかない」というのは、行動指針としてはほとんど同じことになります。僕は結局のところ、もう少し巧く書くべきだし、巧く伝えるべきなのでしょう。
けれど――それが伝わらなかった時、「これは鼻持ちならないことを言っている」と判断されてしまった時、そのネガティヴな解釈を打破しようと足掻く虚しさを、感じてしまいます。
たぶん、銀の弾丸はないのでしょうけれども。
*1:僕はテキストの中に「意図」というものが内在しているという立場を、とって居ません。厳密な書き方を志向すれば、誤解の余地の少ない文章を書くことはもちろん可能であるとは考えていますが、それは「テキストの中に意図を精確に埋め込む」というようなものではなくて、「テキストを媒介として、書き手と読み手とのあいだに見解を調整するような何らかの工夫が埋め込まれている」ために可能である、と僕はとらえています。つまり、意図の伝達とは直接的な現象ではなく、常に間接的だと考えており、しかし間接的なら間接的なりに不可能ではない、という立場を取っているのです。
「プレイングの内実」関連の文脈補足について
acceleratorさんからご意見をいただきました。
http://d.hatena.ne.jp/accelerator/20100828/p1
ありがとうございます。丁寧にかつ好意的に読んでいただけて感謝すると同時に、誤解ばかり招いてしまいがちな僕の言葉づかいについて申し訳なく思うばかりです。結論だけあって意図がわからない(それゆえに、何らかの攻撃的な意図をもって書いているのではないかという疑念を捨てられない)ような文面になってしまっていたことを、謝罪します。
そうした読み方は僕の本意ではありませんでしたので、読者の皆さんにまず謝り、かつ文脈や意図について補完しなくてはならないことを、いま一度お伝えしようと思います。
その1――プレイング論とそれ以外の話題についての関連
「会話型RPG(TRPG)におけるプレイングの内実」(http://d.hatena.ne.jp/gginc/20100822/1282520395)は、あくまでTRPGの〈プレイング〉の扱いについて述べたものであって、ほかの要素(たとえば雑談の面白さなど、多様な面白さ)を否定しているわけでは決してありません。それらはもちろん存在しますし、時間のある時に論じる魅力のある課題だと考えていますが、敢えて焦点を〈プレイング〉に当てたとして、その時にどういうことがより明らかになるか、ということを記してみたつもりです。
しかし、焦点を当てるということは、いきおい他の点については同時に述べきれなくなってしまうということでもあります。もし、そうした書き方により、それ以外の楽しみを否定されたと感じられた方がいらっしゃいましたら、訂正すると同時に、そうした意図がないことをご理解戴ければ幸いです。
では、どんな意図で書かれたのかというと、
「定量と定性という言葉によってゲーム的なものと非ゲーム的なもの」を切り分ける事自体が目的じゃなくて、切り分けた上でそれらが織り成す様相であるとか、それらの相互作用であるとかを記述しようとする試みの取っ掛かり」(びじうさんからのコメント)
ということで間違いありません。始まったばかりで、稚拙な部分も多い試みではありますが、今後の展開にご期待いただければと思います。
その2――なりきり関連に関する文脈の補足
「会話型RPGと演技に関するメモ:演技・immersion・LARP」(http://d.hatena.ne.jp/gginc/20100822/1282750657)について、「なりきり」や“演技”ということに関しては、
- 「他のさまざまなプレイ・スタイルの可能性の模索を論じにくくなるようなかたちで、なりきりや“演技”だけにこだわるのはよくない」
という極めて弱い提言であって、決して
- 「単に、なりきりはよくない(排除されるべきだ)」
ということはぜんぜん主張していないことを、今一度確認させてください。「なりきり」は、10年以上も前から「適切に利用することでより場を楽しくする技術」として肯定されているものとしてほぼ決着がついているとみられ、僕もそのような考え方に基本的に賛同するものです。それに対して、「なりきりを重視したプレイングは(何らかの正統的なプレイング・スタイルに対して)邪道である」というような意見を僕は全く持っていませんし、また主張する意図もありません。そして、だからこそ、僕の提案した〈プレイング〉のワークフローにも“演技”の項目が選択的要素(=新規参入者へのチュートリアルを考慮した場合、当面意識しない方がやりやすい場合はあるので、必須項目とは断定しない)として設けられているわけです。
もし、僕の文面を上記のように誤解された方がいらっしゃいましたら、不愉快にさせてしまい誠に申し訳なく思います。
その3――量的/質的という語彙の扱いの重みについて
「戴いたコメント紹介」(http://d.hatena.ne.jp/gginc/20100827/1282871487)で、極端な例を出すことで「重要なのは語彙に対応する部分について伝えること」をできるだけ面白い言い方で補完しようとしましたが、まったく効果のない補足だったようでさらに誤解を招いてしまいました。やり方としてつたなかったこと、まずは謝罪します。
〈量的情報〉/〈質的情報〉という言葉それ自体については、(後で述べ直した)indexical data/symbolic dataよりも比較的日常語に近く、また「そのデータが意味する、何らかの変量についての(一対一対応の)情報」と「そのデータが意味する、何らかの言語的意味についての(さまざまな解釈・転用が可能かもしれない)情報」とを区分する時に、短くてよいかな、と言う文脈でひとまず設定したものでした(しかもこの2つは、記述一般について言っているのではなく、より対象範囲を限定したもの、「会話型RPGにおける裁定・行為判定という営みを背景として参照されるデータ群」についての術語であることが前提とされています。かっこつきでない(=会話型RPG以外の話題で流通しているようなふつうの意味での)量的情報/質的情報と、〈量的情報〉〈質的情報〉と山かっこつきで表記したものの意味を分けて考えて戴きたかったのです)。
ただ、それより僕が伝えたかったのは、「その2つを(どちらか一方だけを重視すればよいというものではなく、)どちらも情報としてバランスよく大事にすることが必要です」という結論部分でした。この件に関しては、紅茶檸檬さんの読解図(http://d.hatena.ne.jp/koutyalemon/20100826/p1)が、僕のことばよりさらに整理されたものになっています(おすすめです)。
そして、その結論部分さえ伝わっているならば、後は言い換え部分について個々人で吟味して、より優れた言い方を探っていただければ、それに勝るものはない(僕の語彙を頑なに保存することよりも、より含意を活かした優れた討論を交していただくことが、なにより大事だと考える)ということです。決して語彙定義の効用を軽んじているわけではありませんし、その巧拙にはちゃんと責任を持っていますが、結論部分が伝わることに比較すれば、優先度が低くても構わないという気持ちを持って、書きました。
その点、ご理解戴き、また僕なりに伝達しやすい工夫を努めた結果として拙い部分があったことを、お詫びします。
上記の意図をいま一度ご確認いただいた上で、どうぞ僕の論を何らかのかたちで活かして下されば幸いです。
『モノトーン・ミュージアム』のマスタリングをしてきました
今月は一ヶ月準備して、『モノトーン・ミュージアム』のシナリオを作って遊びました。
『モノトーン・ミュージアム』とは、イラストレータの すがのたすく さんが作った、現在PDFルールブックとして無料公開・頒布されているオリジナルRPGで、F.E.A.R.のStandard R.P.G. System(http://www.fear.co.jp/srs/index.htm ,SRSと略)を基底としたものになっています。
元々は「背景世界が面白そうなので、ぜひGMして欲しい」と言うリクエストに応えて「OK、マスタリングしまっせ」と引き受けたものの、最終的にはプレイグループ内でかなりのルール解釈や補完を加えた上での運用になりました*1。自分はこの頃『T&T』や『HeroWars』、『Aの魔法陣』みたいな、自然言語のゲーム的解釈を重視するゲームデザインの可能性*2にばかり頭が行ってたもので、特技表重視のゲームに思考を切り替えるまでに物凄く時間がかかってしまいました(笑)*3。PL陣の協力がなかったらたぶん巧く行ってなかったと思います。感謝することしきりです。幸い、それなりのゲーム的手応えを感じて貰えるシナリオになっていたようで、安心しています。
春先に、SRSの一つである『天下繚乱RPG』に「データを読み込むこと」の面白さを再発見させてもらったのですが*4、今回は「SRSを使って、独自色の濃い世界の描写をするとはどういうことか」ということを論点とし、『モノトーン』の示すデザインコンセプトを基に様々なアイディアを発展させていくことができました。その実りが多い回になったかなあと個人的に思います。また『モノトーン』は背景世界のデータへの反映の仕方が、他のSRSのアプローチと全然違って、そこが面白かったですね。
ちなみにシナリオ自体は、其達〔それら〕や“筐体型の海”のような、他のゲームにはあまりない設定を活かして、地図内を旅するというギミックを手続き化したものになりました。
- PERT式*5にフローチャートを作る
- 他SRSからデータを引っ張ってくる際のレギュレーションを取り決める
- 事前にキャラクターを作ってもらってから、セッショントレーラとハンドアウトを設計する
- FS判定の使い方を利用して、クライマックス戦闘を謎解きに近い手応えに実装する
などをしましたが、これは他のマスタリングでも結構応用できるなあと感じたところでした。旅ゲーを作るにあたって、個人的には『T&T』『Mage:the Ascension』『りゅうたま』『深淵』『シノビガミ参』『Aの魔法陣』あたりは物凄く参考になりました。後、TRPGシステム以外での参考としては村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』,森見登美彦『四畳半神話大系』,藤原カムイ『ロトの紋章』,スタジオジブリ『もののけ姫』あたりを思い出しながら作っていた。特に村上春樹の「世界の終わり」は、背景設定の本質的部分と強く共鳴しているだろうと思い出し、シナリオ設計前にさらっと読み返したくらいです。id:Thornさんが以前『季刊R.P.G.』3号のコラムで述べていた「村上春樹をTRPGする」というアイディアも、今回とても役に立ちました*6
来月以降は暫くGMの予定がないですが、夏コミで買った『ファミリーズ!』という同人TRPGは、ぜひGMやるために読み込み始めたいところです。
マスタリングの際に参考にした作品

シャドウラン 4th Edition (Role&Roll RPGシリーズ)
- 作者: ロブボイル,朱鷺田祐介,シャドウランナーズ
- 出版社/メーカー: 新紀元社
- 発売日: 2007/06
- メディア: 単行本
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シャドウラン 4th Edition 上級ルールブック ストリート・マジック (Role&Roll RPGシリーズ)
- 作者: ラースブルーメンシュタイン,朱鷺田祐介
- 出版社/メーカー: 新紀元社
- 発売日: 2007/09/04
- メディア: 大型本
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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1988/10
- メディア: 文庫
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- 作者: 小太刀右京,協力:F.E.A.R.,まごまご,すがのたすく,他
- 出版社/メーカー: ジャイブ
- 発売日: 2010/03/13
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シノビガミリプレイ シノビガミ参 るつぼ奇譚 (Role&Roll Books) (Role & Roll Books)
- 作者: 河嶋陶一朗,冒険企画局
- 出版社/メーカー: 新紀元社
- 発売日: 2010/03/30
- メディア: 新書
- 購入: 4人 クリック: 80回
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- 作者: 森見登美彦
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2008/03/25
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ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章 完全版(1) (ヤングガンガンコミックス)
- 作者: 藤原カムイ,川又千秋
- 出版社/メーカー: スクウェア・エニックス
- 発売日: 2006/07/25
- メディア: コミック
- 購入: 2人 クリック: 12回
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- 作者: 岡田篤宏,テーブルトークカフェDaydream,永盛綾子
- 出版社/メーカー: ジャイブ
- 発売日: 2007/12
- メディア: 単行本
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- 作者: スザク・ゲームズ,朱鷺田祐介
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
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*1:特に、ゲームの目玉である紡ぎ手の縫製能力については、GMの独自運用に委ねられている部分が多いので、かなりプレイグループ内で話しあいました。最終的には、GMの好きなShadowrunの武器焦点具ルールやアストラル戦闘の発想を持ち込んでみましたが、これも最適解ではないだろうとは思っています。
*2:これがこないだ言ってた、「symbolic dataからindexical dataへ」というような話の元ネタになっています。設定情報の束から、行為判定系に関連しそうな変数をどのように見いだし、裁定に取り込んでいくかというアプローチですね。
*3:こちらが、「indexical dataからsymbolic dataへ」という方向性ですね。定義された変数を行為判定系とひとつひとつ関係づけることを通じて、そのRPGのゲームデザイナーがどういう世界、どういう物語的帰結を志向し肯定しているのかをじっくり推論するようなアプローチです。
*4:FEARのゲームに慣れていない向きにとっても、『天下繚乱』は買いです。数値データや特技の構造がとても洗練されたつくりになっていますし、遊べる状況設定も色んな投錨の仕方がありえます。今は小説でも冲方丁『天地明察』などが人気ですし、江戸ものをカジュアルなアプローチで語り直すにはとても魅力的なゲームデザイン・ツールではないかと感じているところです。今年は『シノビガミ 参』と合わせて、国産TRPGデザインが一つの転換点を迎えているのではないかと思いますね。凄く好い時代になったなあと思います。
*5:土木・建築系などで利用されている、作業工程を「結節点」と「矢印」と「作業時間」の組み合せで記述・考案するプランニング技術の一種。とても便利なので、KJ法やMECEと合わせて利用している。
*6:岡和田晃,2008,「〈地図〉を携え、〈地図〉の彼方へ」『季刊R.P.G.』4: 26-33.なお、この『季刊R.P.G.』4号は地図特集でした。会話型RPGにおいて空間を扱うことについてのさまざまなトピックが盛り込まれており、今でも折りに触れ読み返します。4号で終わってしまったのが残念でならない。復活しないかなあ。