「プレイングの内実」関連の文脈補足について
acceleratorさんからご意見をいただきました。
http://d.hatena.ne.jp/accelerator/20100828/p1
ありがとうございます。丁寧にかつ好意的に読んでいただけて感謝すると同時に、誤解ばかり招いてしまいがちな僕の言葉づかいについて申し訳なく思うばかりです。結論だけあって意図がわからない(それゆえに、何らかの攻撃的な意図をもって書いているのではないかという疑念を捨てられない)ような文面になってしまっていたことを、謝罪します。
そうした読み方は僕の本意ではありませんでしたので、読者の皆さんにまず謝り、かつ文脈や意図について補完しなくてはならないことを、いま一度お伝えしようと思います。
その1――プレイング論とそれ以外の話題についての関連
「会話型RPG(TRPG)におけるプレイングの内実」(http://d.hatena.ne.jp/gginc/20100822/1282520395)は、あくまでTRPGの〈プレイング〉の扱いについて述べたものであって、ほかの要素(たとえば雑談の面白さなど、多様な面白さ)を否定しているわけでは決してありません。それらはもちろん存在しますし、時間のある時に論じる魅力のある課題だと考えていますが、敢えて焦点を〈プレイング〉に当てたとして、その時にどういうことがより明らかになるか、ということを記してみたつもりです。
しかし、焦点を当てるということは、いきおい他の点については同時に述べきれなくなってしまうということでもあります。もし、そうした書き方により、それ以外の楽しみを否定されたと感じられた方がいらっしゃいましたら、訂正すると同時に、そうした意図がないことをご理解戴ければ幸いです。
では、どんな意図で書かれたのかというと、
「定量と定性という言葉によってゲーム的なものと非ゲーム的なもの」を切り分ける事自体が目的じゃなくて、切り分けた上でそれらが織り成す様相であるとか、それらの相互作用であるとかを記述しようとする試みの取っ掛かり」(びじうさんからのコメント)
ということで間違いありません。始まったばかりで、稚拙な部分も多い試みではありますが、今後の展開にご期待いただければと思います。
その2――なりきり関連に関する文脈の補足
「会話型RPGと演技に関するメモ:演技・immersion・LARP」(http://d.hatena.ne.jp/gginc/20100822/1282750657)について、「なりきり」や“演技”ということに関しては、
- 「他のさまざまなプレイ・スタイルの可能性の模索を論じにくくなるようなかたちで、なりきりや“演技”だけにこだわるのはよくない」
という極めて弱い提言であって、決して
- 「単に、なりきりはよくない(排除されるべきだ)」
ということはぜんぜん主張していないことを、今一度確認させてください。「なりきり」は、10年以上も前から「適切に利用することでより場を楽しくする技術」として肯定されているものとしてほぼ決着がついているとみられ、僕もそのような考え方に基本的に賛同するものです。それに対して、「なりきりを重視したプレイングは(何らかの正統的なプレイング・スタイルに対して)邪道である」というような意見を僕は全く持っていませんし、また主張する意図もありません。そして、だからこそ、僕の提案した〈プレイング〉のワークフローにも“演技”の項目が選択的要素(=新規参入者へのチュートリアルを考慮した場合、当面意識しない方がやりやすい場合はあるので、必須項目とは断定しない)として設けられているわけです。
もし、僕の文面を上記のように誤解された方がいらっしゃいましたら、不愉快にさせてしまい誠に申し訳なく思います。
その3――量的/質的という語彙の扱いの重みについて
「戴いたコメント紹介」(http://d.hatena.ne.jp/gginc/20100827/1282871487)で、極端な例を出すことで「重要なのは語彙に対応する部分について伝えること」をできるだけ面白い言い方で補完しようとしましたが、まったく効果のない補足だったようでさらに誤解を招いてしまいました。やり方としてつたなかったこと、まずは謝罪します。
〈量的情報〉/〈質的情報〉という言葉それ自体については、(後で述べ直した)indexical data/symbolic dataよりも比較的日常語に近く、また「そのデータが意味する、何らかの変量についての(一対一対応の)情報」と「そのデータが意味する、何らかの言語的意味についての(さまざまな解釈・転用が可能かもしれない)情報」とを区分する時に、短くてよいかな、と言う文脈でひとまず設定したものでした(しかもこの2つは、記述一般について言っているのではなく、より対象範囲を限定したもの、「会話型RPGにおける裁定・行為判定という営みを背景として参照されるデータ群」についての術語であることが前提とされています。かっこつきでない(=会話型RPG以外の話題で流通しているようなふつうの意味での)量的情報/質的情報と、〈量的情報〉〈質的情報〉と山かっこつきで表記したものの意味を分けて考えて戴きたかったのです)。
ただ、それより僕が伝えたかったのは、「その2つを(どちらか一方だけを重視すればよいというものではなく、)どちらも情報としてバランスよく大事にすることが必要です」という結論部分でした。この件に関しては、紅茶檸檬さんの読解図(http://d.hatena.ne.jp/koutyalemon/20100826/p1)が、僕のことばよりさらに整理されたものになっています(おすすめです)。
そして、その結論部分さえ伝わっているならば、後は言い換え部分について個々人で吟味して、より優れた言い方を探っていただければ、それに勝るものはない(僕の語彙を頑なに保存することよりも、より含意を活かした優れた討論を交していただくことが、なにより大事だと考える)ということです。決して語彙定義の効用を軽んじているわけではありませんし、その巧拙にはちゃんと責任を持っていますが、結論部分が伝わることに比較すれば、優先度が低くても構わないという気持ちを持って、書きました。
その点、ご理解戴き、また僕なりに伝達しやすい工夫を努めた結果として拙い部分があったことを、お詫びします。
上記の意図をいま一度ご確認いただいた上で、どうぞ僕の論を何らかのかたちで活かして下されば幸いです。