応答
はてブにコメントが来てますので、それぞれ書きます。
夢のあるいい記事。でも”批評”に対して愛がないと伝わらないようだ。何がこの態度の差を生むのか?良い批評との出会い?言葉に対する信頼?一般の人にとって”批評”はどうして必要なのでしょうか?/id:acceleratorさん
いつもお世話になっております。
もちろん、優れて論理的であり、かつ多くの人の共感を呼ぶような批評がウケる/売れることは間違いないでしょうし、そういう批評を書いてもいいと思います(むしろ、商業作品にするならそれが望ましいことなのかもしれません)。しかし重要なのは、「批評に愛がある」ということが、批評を批評たらしめる条件ではないだろう、ということです。別に愛がなくても、優れた説得力をもつ批評に感心することができます。逆に批評に愛があふれているのはわかっても、どうしようもなくへぼい批評というのもあります。つまり、愛と批評の出来とのあいだには、書く側にとっても、作る側にとっても、大した因果関係がないんですね。
そして最後の方の質問。私は「一般性」とあいまいにぼかして書きましたが、「一般の人すべてにとって批評が必要である」とは言っていません(「あらゆる人に批評は必要である」かどうかなんて、私にはわからない。少なくとも無前提にそんなことをいう気にはならない)。ですから、その疑問は私の立場とは無関係です。
この人の文章を読むといつももの哀しい気分になってくる。/id:tokoroten999さん
もの哀しいですかー。すみません。でも、こういう批評的営みについて、文化圏の比較的近い方に愛を振りまく必要は特にないと思っているんですよ。
また、tokoroten999さんの生活と今のところ接点はないですが、もし接点があったとしたら、よほど求められでもしない限り、いきなり批評的な話なんかしないでしょうね(批評だのなんだの以前に、生活者同士、気を遣います)。ですから、特に気にする必要はないのではないでしょうか。
言いたいことはわからなくもないけど、「ああ、あなたの意見はわかりました。しかし、それはあなたと、あなたの愛を偶然理解する人以外の誰にも、届きませんね」という文章ですね。知らない人は冒頭でひくと思う/id:gensouyugi
確かに、少々下品だったかもしれませんね。特に本題ではないので流してしまいました。次に真面目に語る時はもう少し丁寧に紹介することにします。ご指摘ありがとうございます。
テクストが批評か感想なのかを決めるのはテクストの作者なの?そんなの「立論の基礎」でもないですし抑も責任を取るってのはそういう意味じゃないでしょ。/id:dolbyawさん
ロラン・バルトの「作者の死」の問題ですねー。提示したものがどう受け取られるかを作者は制御できないですね。文芸批評がまずもって創作理論(どう作るべきかの方法論)ではなく受容理論(どう解釈するかの方法論)であるゆえんです。
というような基礎的な補足をありがとうございます。
ちなみに先日、批評の楽しさがイマイチわからないという方に「作者の神話」の考え方をかんたんに伝えたところ、目を輝かせて喜んでくれました。そういう体験は珍しかったのですが、嬉しいものですね。