GOD AND GOLEM, Inc. (はてなダイアリー倉庫版)

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TRPGにおいて「理論を論じる」とはどういうことか

 コメント返信用に書かれたエントリです。
 このまま宣言どおり年末まで平常文で押し通したかったんですが、しょうがない。ラフに行きましょう。
 パンツを脱いででも伝えたいことがあるなら、表現方法に構っちゃいられないんすよ。

 注釈も気合入れて書きましたので、文字を拡大してじっくりお読みくだされば幸いです。

 ただし、そもそもの書くきっかけとなったid:mallionさんの議論の流れとはもうまるで違うところに来ているので、あくまでそうした「議論」というのではなく、私個人の論説として読んでいただければ幸いです。(まりおんさんの「理論と実践」の使い方と、このエントリでの「理論と実践」の意味合いとはかけ離れていますので、誤解は決してされないと思いますが、一応)。


 id:acceleratorさんから、「馬場コラムをそれほど読んでいないから、“理論”が何を意味するのかちょっとわかりにくい」というコメントをいただきました。
 確かに、その通りですね。『ロールプレイング・ゲームの批評用語』では、個々の用語がどこで定義されているのかについては、文献単位で定義文の末尾に書かれているのですが*1、リンクを貼っているわけではないし、巻末の文献から辿ってもどこにあるかをすぐに追跡できるわけではない。

 基本的には、acceleratorさんのおっしゃるとおり、

RPG理論〉とは?
TRPGとはそもそも何であり(〈定義論〉)、どのような要素から構成されており(〈構造論〉)、それらをどう組み合わせてどう遊ぶべきなのか(〈表現技法〉)、そのためにどのような練習と教育が必要なのか(〈訓練方法〉)といった各種の問いに対して提示される、有用な仮説の集合のこと。*2
RPG理論〉を論じるとは?
RPG理論〉を構築したり、補完したりするにあたって障害となるさまざまな「問題群」について論じ、明らかにし、時には解決策*3を提案すること。*4

 これが、TRPGにおいて「理論について考える」「論考を書く」「理論を論じる」といった時の〈RPG理論〉の意味範囲になります。また、そのような考えの下に書かれた表が、先に紹介したTRPG理論のクロス表になります
 ですから、たとえば「TRPGセッションに遅刻しちゃいけないよね」といった規律に関するTIPSも、実は立派なTRPG理論の一つになりえます。
 「そんなバカな」と思われるかもしれませんが、実際「遅刻をしない」というルールは、集団芸術である演劇においては重要な〈教育方法〉の一つとして取り上げられています。私が以前、演劇理論とTRPGを比較する際に述べたスタニスラフスキー『俳優修業』でも、「鉄の規律なしに演劇は成立しない」といった主張をしており、そのもっとも大事な点が「遅刻をしない」ということだったのです。

俳優修業 第2部

俳優修業 第2部

 TRPGでは、しばしばこういった時間の問題が、個人の人間性の問題に還元されたり、「まあ、遊びだし、しょうがないよね」といった馴れ合いに終わってしまいがちです。
 しかしTRPGは、皆さんのご存知のとおり、集団が一同に介して、みんなの意志で好みのゲームを構築してナンボの遊びです。その前提となる面子がキッチリ揃わないと、お話になりません。これが野球やラグビーといったスポーツのスタメンだったり(スタメンでなくても揃わなければ無礼です。手伝うことはいくらでもあります)、大事な定期演奏会当日だったりした場合に、遅刻して許されるかどうかというと、なかなか通用しないでしょう。「みんなが同じ時刻にきちんと集まり、プレイする」という基本を破る人は、それだけで、一日楽しめるはずだったゲームのポテンシャルを、大幅に減じさせてしまうかもしれないですよね。
 もちろん、遅刻した人に怒鳴りつけたらその日のゲームは成功しようもありませんし、次善の策は常に考えてしかるべきですが*5、特別な事情がない限り、基本的には規律を重視するのが、ゲーム・コミュニティの質を向上させるための適切な選択でしょう。*6
 ところで私は、こういった比較的「当たり前のこと」を論じるのを、どちらかといえば後回しにしてきた人間です。なぜなら、私が語らなくても誰かが語ってくれるだろうと、安心しきっているからです。ですから、こうした議論の大事さも十分分かっていて、だからこそ誰もわざわざ論じたがらないような〈定義論〉〈構造論〉に着手しているのですね。戦士のロールプレイだけではなく、僧侶や盗賊、魔術師みたいな変わり者も必要なわけです。〈RPG理論〉の構築だって、そういう役割分担で、ようやくクリアできる難題なのではないでしょうか。
 それぞれのTRPG環境で感じてきたこと、経験してきたこと、悩まされたことが異なるのは当然です。RPGコラム『うがつもの』の筆者、回転翼氏が数年前、「個別のゲーム感覚」を乗り越えることの難しさを述べたことがありますがTRPGを論じる上で障害になってきたのは、まさにその「個別のゲーム感覚」でした。*7
 しかしだからこそ、まずこうした大きな枠組を想定した上で、どんな悩み・どんな解決策もまとめて一つの大きなFAQとして機能するような、そんなRPG理論(ベーシックセオリー/テクニック/トレーニング・メソッド)*8を構築できればいいのではないでしょうか。
 というわけで、「今自分がTRPGについて悩んだり考えたりしていることは、このクロス表のどれに当てはまるんだろうな?」と考えながら、ぜひ皆さんに色んなTIPSや考察をしていっていただきたいと思います。よりよいプレーヤー、よりよいマスターを目指すための〈教育方法〉について語るも良し、より良いゲームを構築するための〈表現技法〉について論じるもよし、です。さらには、そうした議論が齟齬や衝突を引き起こさないように、その都度言葉を整理し、基本的な考え方に立ち返らせる〈基礎理論〉を構築する人材も、手は足りていないはずです。
 馬場氏が夢見た「将来ありうべき〈RPG理論〉」がもしずっと後になって完成するとしたならば、そのような〈RPG理論〉は、「個別のゲーム感覚」を破り、互いの実践的ノウハウを真に共有していくためにこそ用いられるべきだと、私は考えています。


 

*1:たとえば「馬場2005b」など。

*2:もちろん、提示された仮説の妥当性を検証する機関は必要です。実際そのような批判によって誤った理論=仮説は淘汰されていきます。そこには歴史による審判が必要不可欠です。しかし、〈RPG理論〉の定義については、これだけで十分ではないかと私は考えます。

*3:ただし、必ずしも解決策を提示する必要はありません。ただ問題点を明らかにするだけでも、それは立派な「論文」です。「問題発見能力」こそが、私たちを知的に前進させてきた大きな原動力なのですから、何かをすっきり解決させること“だけ”が、論じる目的であるはずがありません。「なんだ、大げさな話を」と思われるかもしれませんが──人類は本当に、そのように「少しずつ間違ったり、答えを遅らせながら」一歩一歩、いろんな分野の知的体系を築き上げてきたのです。そのことに思いを馳せることもなく、「そんなに偉そうにいうなら、解決策を出してみせろ、さあ、いますぐだ!」とヒステリックに叫ぶのは、そうした人類の組織力の真のメリットを単にまったく理解していないか、なんらかの理由で、それだけ急かさなくてはならないほどリアルに追い詰められている人物であるかの、いずれかでしょう。

*4:ちなみに、TRPG文化において、「実践的ノウハウ」を蓄積する際に障害になってきたのが「理論の不在」のせいであったと考えると、ここの定義はよりクリアに伝わるのではないでしょうか。「ノウハウなんて人それぞれだから、理論なんか語るのはムダだ」と嘆く、そんな“孤独なヴェテランゲーマー”のノウハウをうまくみんなに共有してもらうためにこそ、〈RPG理論〉を論じ、構築する必要があるわけです。したがって、楽しく遊ぶためのノウハウを共有することを重視している人ほど、その「伝えたい」という気持ちの当然の帰結として、自分のノウハウを他者に伝えるツールである〈RPG理論〉をも大事にしなければならないはずです。この事実を認めず、他人の理論構築の努力を腐して、自分のマイ理論、俺ノウハウを押し付けたいだけの人は、ダブルスタンダード、二枚舌、傲慢、etc.だと批判されても仕方がないでしょう。

*5:このあたりの話は、Scoops RPG2007年12月号の読者の声で、ルリエさんという方が投稿していました。

*6:もしこの主張に反対される方は、まず自分が遅刻することで誰かを不愉快にさせるリスクや、「もしほかのコミュニティで同様の遅刻をしたらどうなるか」をきっちり想像してから、きちんと発言していただきたいと思います。ちなみに私が中高生の頃は、まさに遅刻魔だらけの名物社会人ゲーマーが揃っているようなコミュニティでした。私は今でも、その年上の凄腕ゲーマー達のことを大変尊敬していますが、しかし同時に、そのような運営である限り、TRPGが他の文化と同様に「まともな大人と、夢と希望にあふれた子どもの両方が安心して楽しめる趣味文化である」と認知される日は永遠に来ないだろうとも思っていました。「ぼく(わたし)、こんな共同体に参加してて、ダメ人間にならないのか?」と、将来参入する子どもたちや、他の大人に呆れられてしまわないよう、ゲーマーがまず率先してモラルを高くもつ気風を築くことが、非常に大事なことじゃないかと思いますね。私くらいの年齢の世代が、そうしたゲーマーをなし崩し的に許して育った、最後の世代であって欲しいと思います。「ダメ人間ほどゲームが巧い」とかいった言説がもしあったとして(私のコミュニティにはそういう言い回しもありました)、なんとなく慣習的にはそうとも言えるかもしれませんし、TRPGはヒッピー文化とか対抗文化とものすごく関連の深い娯楽でもありますが、未来永劫それが常識であり続ける必然性もまたないんじゃないかと、そう思います。

*7:このエントリの論調は、「個別のゲーム感覚」によって培われたノウハウは「RPG理論」を介して伝達されるべきであり、そのために〈RPG理論〉は「個別のゲーム感覚」を不毛から救い出し、共有可能なものとして構築・運用してゆかなければならない、という文脈の元で参照しました。それは実際のところ、大変難しい課題だとは思いますが、それはそれとして、TRPGの理論的考察において、しばしば論争が衝突し、不毛化する根本原因がほかでもない、「個別のゲーム感覚」であることを指摘した回転翼氏の功績は大きいでしょう。

*8:これらはすべて「理論」と呼ぶことができますが、『ロールプレイング・ゲームの批評用語』で言えば、このカタカナ英語はそれぞれ〈基礎理論〉〈表現技法〉〈教育方法〉に対応します。私はどちらかといえば、みんなが論じるにあたっての共通用語となる〈基礎理論〉を優先的に論じてばかりいますが、ほかのRPGユーザーの皆さんは〈表現技法〉〈訓練方法〉などをメインに論じることが多いようです。しかし、それらは「理論と実践」といったような対立があるわけではなく、3つに分割されたそれぞれの理論カテゴリで、別々の戦線で戦っているだけなのですね。本来の意味でロールプレイ(=役割分担)しているわけです。このことは、ぜひご理解いただきたいと思いますし、何度でも強調してお伝えしたいとも思っています。