GOD AND GOLEM, Inc. (はてなダイアリー倉庫版)

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2007年08-09月のRPG論考まとめ

 8月冒頭からやってきたBlog活動のうち、RPGに関連する活動を一覧にしておきます。
 同時に、これより過去の文章を“自分も”そして“他人も”読み直す必要がないよう、さらに術語〔テクニカル・ターム〕を整理しました。
 どうしてそういう術語が必要になったのかは、リンク先を辿ることで読み直すことができますが、読者のみなさんがそれを読みに行かなくともとりあえず意味が通る程度にはなっていると思います。*1一度読んで「わかりにくい」と思われた方は、こちらを読むことで「あ、なるほど。そういう意図があったんだ」と納得できるかもしれません。

 サブカル批評は、RPGの議論が落ち着いてからにしようと思います。

〈意志決定〉と〈一意的描写〉の区別

■キーワード群(1)

bold;">〈一意的描写〉:キャラクターの行動を決定するにあたり、「キャラクターは間違いなくこのようにするだろう、ほかは決してありえないだろう」という発想ができることこそ最善のプレイ感覚であると考えること。ゲームの直線性を仮定し、物語の〈結果に対する責任〉*3を減退させるため、結果として〈意志決定〉を失わせる可能性がある。また、RPGでは、〈目標の多層構造〉*4が保障されていることがゲームの面白さを支える最重要条件にもなっているため、このような発想でゲームをすることは、しばしばゲームをつまらなくさせる原因となりやすい。
bold;">〈意志決定〉:〈参加者〉〈目標〉〈ゲームトークン〉〈管理資源〉〈制限/情報〉〈障害〉を与えられた上で、〈葛藤〉〈アカウンタビリティ〉〈結果に対する責任〉の3つの条件を考慮しつつ、有限の〈選択肢〉の中から、可能な限り最良と思われる〈選択/決断〉を下そうとする行為のこと。〈ゲーム〉をプレイするにあたり、もっとも重要かつ本質的な概念であるとされる。コスティキャンの提唱する〈ゲーム〉の7要素の1つ。

他のRPG批評家のレビュー─多摩豊(&芝村裕吏),馬場秀和,俵ねずみ,Vampire.S,鏡

■キーワード群(2)

bold;">〈RPG世代論〉:RPGのシステムデザインに関する歴史的変遷を、安田均(1986)が3つの「勢力」に分類したのち、さらに多摩豊(1995)が「世代論」として簡潔に要約したもの。システムデザインは〈シナリオ作成〉に直接関わることから、RPGの遊び方も世代ごとに特徴的なものとなる。多摩はRPGを〈第一世代RPG〉〈第二世代RPG〉〈第三世代RPG〉に分類し、それぞれ定義している。
bold;">〈馬場理論〉:馬場秀和(1995-2005)によって執筆された、RPGに関する主張の全て。そのうち、ゲームマスターの表現技法とは何かについての網羅的な考察『馬場秀和のマスターリング講座』が特に有名。彼がどのようなことに言及したかを調べるには、ひとまず高橋(2007)が作成した「馬場理論ディレクトリ」を読むのが便利だろう。
bold;">〈キャラクターのロールプレイ〉:俵ねずみ(2003)が提唱した概念。〈キャラクター〉の「描写」を楽しむのではなく、〈意志決定〉の際に考慮されるべき〈制限/情報〉を「キャラクター属性」に集中させることで、通常のゲームよりも遥かに難易度の高い〈目標の多層構造〉を生み出す〈プレイング〉のこと。意志決定に力点を置いているという点において、〈キャラクタープレイ〉*6とは完全に異なるプレイング技法である。
bold;">〈ポリシー/メカニズム論〉:Vampire.S(2000-6)が、RPGシステム批評の理論的基盤を築くことを目的として執筆した一連の考察文のこと。「1.〈ポリシー〉と〈メカニズム〉の区別」と「2.その区別に基づく〈メカニズム解析〉」そして「3.〈メカニズム解析〉を応用したシナリオ作成技法の構築」の3つを主題とする。なお、彼の問題意識の特徴は、「ルールブックによって与えられたメカニズムだけから、どのようにして〈典型的な運用〉を適切に導き出すことができるか」という点にある。*7
bold;">〈意図〉:鏡(2007)によって論じらた、「RPGセッションの形成に影響を及ぼす諸個人の観念」のこと。鏡はRPGにおいて、「システムデザイナー/ゲームマスター/プレーヤーの3者のそれぞれに“ゲームの面白さ”を追求する権利と、その権利を行使する自由が与えられている」と考える。*8

日常系RPGに関する問題群の明確化

■キーワード群(3)

bold;">〈日常ゲームスケール問題〉:既存のRPGより想定すべき〈ゲームスケール〉*9があまりに小さすぎて、現行のRPGデザイン技術ではそれらの状況をゲームとして記述しにくいというゲームデザイン上の問題のこと。
bold;">〈日常ゲームデザイン問題〉:〈参加者〉に対して日常的な〈目標〉以外のゲーム要素*10を提供できない限り、ゲームとしてまともな体裁を取らないまま終わってしまうにもかかわらず、平坦な日常ではそのようなゲーム要素をうまく発見・抽出することができないというゲームデザイン上の問題のこと。
bold;">〈日常リアリティ問題〉:われわれが日ごろ〈現実の状況〉で学んできた〈常識〉には実はさまざまなヴァリエーションがあり、それらを持ち寄った時に「お互いの〈現実〉のズレ」に直面し、ゲームを破綻させる可能性が想定される。そんな気まずさを防ぐために、RPGはしばしば、まだしも認識を共有しやすい〈架空の状況〉の方を無難に選び続けてきたのではないかという、ゲームデザイン上の問題のこと。

国内RPG雑誌リスト作成

 情報を下さった方々には大変感謝している。改めて御礼を申し上げたい。

その他、システムデザインの批評理論(“ほめの理屈”)編纂の試み

■キーワード群(4)(以下、「遊び方」を「運用」と言い直して使用する。)

bold;">〈運用〉:与えられたRPGのゲームメカニズムを、〈システム選択〉〈シナリオ作成〉〈セッションハンドリング〉の3つのマスターリング技法においてどう適用するかを判断し、遊べる〈ゲーム〉として完成させるための一貫した解釈のこと。〈運用〉は1つのゲームメカニズムに対して複数あることが普通であり、それはシステムデザイナーの著作によって提供されることもあれば、現場のゲームマスターやプレイグループが独自に編纂・保有していることもあり、どちらか一方が絶対的に正しいということはありえない。また、望ましい〈運用〉にも〈典型的/アクロバティック〉という2つの段階的区別があり、その2つはゲームマスターやプレイグループの技量に合わせて採用されるべきであると考えられる。
bold;">〈典型的な運用〉:システムデザインによって与えられたルールやシナリオから推論していけばどんな遊び方が推奨されているかがある程度しっかりと把握できるシステムを選択した上で、その「妥当な解釈」に基づいて“無難な”セッションを運営すること。システムデザインがどのようにゲーム性を提供しているかを楽しみながら学ぶには最適な遊び方だが、そのシステムデザイン自身の性能を完全に発揮するには向いていない遊び方であると言える。Vampire.Sの〈メカニズム解析〉は、この〈典型的な運用〉を導出するための具体的方法論と位置づけることができる。*11
bold;">〈アクロバティックな運用〉:システムデザインに示された要素をもとに、ゲームマスターやプレーヤーが自由にシステムデザインを解釈し、その解釈にもとづいてセッションを運営すること。「どうすれば面白いゲームが成立するか」をある程度経験的に理解している上級者ならば、この運用で優れたゲームを楽しむことができるが、一方で〈典型的な運用〉すらおぼつかない初心者では破綻する危険性の高い、むずかしい遊び方でもある。
bold;">〈理想的な運用〉:上記2つの〈運用〉とは異なり、実際には実現不可能な遊び方。文芸批評における「理想的な読者論」の誤謬と同じく、「特定のシステムには唯一にして絶対のルール解釈がある(あるべきだ)」と信じ、その通りにゲームを運営すること。この方法で面白いゲームを提供することは不可能ではないかもしれないが、システムデザインに対する解釈の多様性を根拠なく否定しかねない。考え方として、認めるわけにはいかないものである。
bold;">RPGにおける2つの法思想─〈法律〉と〈判例〉:法学における2つの法思想と同様、RPGにも「論理的に書かれたものに権威をもとめる思想」「健全な常識を備えた人間の決断に権威を求める思想」の2つの思想が見出される。その考えをもとに、システムデザインによって記述されたルールの集合を〈法律〉と呼び、現場でセッションを運営するゲームマスターの裁定の積み重ねや、さまざまな〈運用〉の蓄積を判例と考えることで、システムデザインとマスターリングの2つの領分を守ることができる。ちなみにこの〈法律〉と〈判例〉が相互作用することによってRPGというゲームの面白さは保障されているため、究極的にはどちらも欠かすことができない(どちらかだけが重要だ、という考えはゲームの面白さを破壊する原因となる)。ついでに言っておくと、RPG関連製品については、ルールやサプリメントなどが〈法律〉であり、実際の運用TIPSやリプレイ、シナリオ集などが〈判例〉にあたると言える。*12
bold;">RPGにおける〈法律主義〉:RPGで経験することができる「ゲームの面白さ」の基本的な根拠を、ゲームマスターが独自に研究し、蓄積してきた「より好ましい裁定の基準」(判例)よりも、論理的に整理された〈法律〉と、法律を作ったシステムデザイナーの知性に求める立場のこと。この場合、法学における〈法律主義〉とは違い、「ゲームの面白さ」(ゲーム性)が発揮される状態が「正しさ」であると解釈する。なお、この「主義」という言葉にネガティヴな意味はない。「豊富なデータやルールを提供するRPGが“よいRPG”である」というシステムデザイン上の立場を単にこう呼ぶだけである。〈リーガルマインド〉を遵守することは、〈法律主義〉的なRPGにおいても重要なことである。代表的なRPGシステムには『D&Dv3.5』やD20システム,『GURPS』などがある。*13
bold;">RPGにおける〈判例主義〉:RPGで経験することができる「ゲームの面白さ」の基本的な根拠を、システムデザイナーが記述したルールの集合(法律)にではなく、ゲームマスターが伝統的に蓄積してきた裁定基準(判例)と、ゲームマスターの〈リーガルマインド〉に求める立場のこと。法学における〈判例主義〉とは違い、「正しさ」は「法の正しさ」ではなく、「ゲームの面白さ」(ゲーム性)が発揮される状態が「正しさ」であると解釈する。なお、この「主義」という言葉にネガティヴな意味はない。「ゲームマスターのやりたいようにルール・データ・背景世界を自作しても、柔軟にゲーム性が発揮されるようなRPGが“よいRPG”である」というシステムデザイン上の立場を単にこう呼ぶだけである。〈法律〉が生み出すゲームの面白さを尊重することは、〈判例主義〉のRPGにおいても重要なことである。代表的なRPGシステムには『T&T』や『トラベラー』『Aの魔法陣*14などがある。
bold;">RPGにおける〈リーガルマインド〉:本来の〈リーガルマインド〉には、(単なる法律ではなく、概念としての)「法」を尊重する立場、という意味がある。この「法を尊重する立場」をRPGのゲームマスターが持つべき「精神」に転用したものが、「RPGにおけるリーガルマインド」である。まず、「RPGセッションにおいて、ルールよりも“ゲームの面白さ”(ゲーム性)を常に尊ぶ立場」をリーガルマインドα〉、「RPGセッションにおいて、ルールよりも、ゲームマスターの健全な常識による裁定を常に尊ぶ立場」をリーガルマインドβ〉とそれぞれ名づけよう。αとβの両方は「書かれたルール(法律)」よりも常に上位のものとして捉えられる。さらに、〈リーガルマインドα〉は、ゲームマスターがプレイグループにとっての「ゲームの面白さ」を提供するためには必要不可欠なものであるため、〈リーガルマインドβ〉よりも常に上位におかれるべきである。(つまり、「α>β」)以上より、「1.ゲーム性(α) 2.ゲームマスターの裁定(β) 3.ルールの適用(γ)」という優先度を常に遵守することが、RPGにとっての〈リーガルマインド〉であると定義することができる。*15

*1:ただし、一部は10月公開の文章から一部転用しているものもあるため、ほかのところで意味が通らないところがあるかもしれません。それはまあ、あと半月ほどお待ちください。

*2:ちなみに、この話を「萌え」と「ゲーム」の対立、「遊戯」と「ゲーム」の対立、「キャラクタープレイ」と「意志決定」の対立で何度も繰り返し論じてきたのが馬場秀和である。しかし私は、単に〈一意的描写〉を否定するのではなく、(RPGの演劇的可能性については部分的に否定しながらも)「“架空の状況を論理的に推論する思考能力”については、演劇とRPGの両方において必要な能力だろう」という仮説もここで同時に示している。

*3:定義:〈選択肢〉を選んだ場合の結果や損得を〈参加者〉が明快に理解しており、かつその選択した結果の責任が、他の誰でもない、〈選択/決断〉を下した〈参加者〉個人に帰せられるような状況が成立していること。〈意志決定〉を成立させる3条件のうちの1つ。

*4:定義:“同時に提示された複数の目標を、いかに矛盾なく同時に達成することができるか”という、しばしば実現困難な課題をプレーヤーに提示すること。また、そのような提示が為されていることを参加者全員が理解し、共有していることを指す時もある。RPG独自の面白さを提供する仕掛けの1つ。多層構造の中身については、〈課題の解決〉〈役割分担〉〈ロールプレイング〉〈ゲームコンセプト〉の4つにさらに分類される。

*5:俵ねずみ氏は、いわゆる「馬場理論」をきわめて冷静な立場から批判し、新しい論考を構築した先駆的な例でもある。また、彼の提示した「ありかた/ふるまいかた」についての研究については、後続のさらなる努力が必要となるだろう。私は彼の考察を、「キャラクター属性に関する〈判例〉作成の方法論として捉えるべきであると考えている。

*6:定義:キャラクターの行動を宣言する際、「伝達の工夫」や「場の盛り上がり」「感情移入・一体感」といった利点を満たすために、いわゆる演技的な口調によって〈キャラクター〉の描写を行うこと。一体感を目指しすぎて〈ロールプレイング・ゲーム〉の5つの条件を否定するような問題を起こさない限りは、伝達テクニックの一つとして非常に有効な手段であるが、〈ロールプレイング・ゲーム〉の定義とは直接関係がない部分である。

*7:したがって、〈典型的な遊び方〉を導出できないシステムは「良いシステム」と見なすことができないとも言える。また、〈典型的な遊び方〉で「つまらない」ゲームもまた、「良いシステム」とはいえない。〈典型的な運用〉のレベルで「面白い」ゲームを、製品評価の基準とするならば、この〈ポリシー/メカニズム論〉は非常に有効なRPG批評理論となるだろう。

*8:そして、その権利の配分が3者のうちどれかを過剰に権威化することでゲームの面白さが失われる場合を、〈自由/管理〉〉という概念を置いて説明している。しかし、私はこの区別よりも、のちに述べる〈運用〉という観点から見たほうがより広いパースペクティヴを獲得できるものと考えている。なぜなら、〈管理〉という概念では、この項目の後で説明している〈典型的な運用〉と〈理想的な運用〉の区別をうまく論じることができないからだ。

*9:多摩豊(1990)

*10:すなわち〈制限/情報〉〈障害〉〈ゲームトークン〉〈管理資源〉〈意志決定〉の5つ。2+5で7つの〈ゲーム〉要素を満たさなければ〈ゲーム〉とは言えない。

*11:なお、この〈典型的な運用〉を基本ルールブックのレベルでもっとも意識的に提示しようと努力しているのが、『アルシャード』初版以降のF.E.A.R.社の製品である。F.E.A.R.のゲームをプレイし、評価する際は、F.E.A.R.社の基本ルールブックがこの〈典型的な遊び方〉を過剰なまでに意識して(つまり、ユーザーのプレイ環境が基本的に不毛であることを意識して)作られていることを考慮すべきであると私は考えている。ヴェテランゲーマーがF.E.A.R.社の方針を非難する際、(それをシステムデザインに組み込むことの是非は別としても)この点が見逃されることが多いように思う。

*12:したがってRPGのユーザーは、〈法律〉と〈判例〉の両方の出来を批評することで、より良いゲームを模索する必要がある。〈法律〉だけや〈判例〉だけを見ても、良いゲームとは何かを十分に考えることはできない。

*13:背景世界が豊富な多くの第二世代RPGも、この〈法律主義〉に属するかもしれないが、〈判例主義〉とも重なるため、ここではひとまず除外している。

*14:しかし、この『Aの魔法陣』の場合、芝村氏が考える「RPGの面白さ」をルール化したものであり、「マスタリングにとって最低限重要といえる〈運用〉をルールとして形式化したもの」だと言える。そのため、解釈次第では『Aの魔法陣』のデザインコンセプトは、これまで〈判例主義〉的に遊ぶ方が面白かったゲームのよい部分をぜんぶ〈法律主義〉的な観点から再構成したゲームだと見ることもできる。あまりにルールらしいルール、データらしいデータが少ないので、そういう風には見えないかもしれないが。その意味で、『Aの魔法陣』がやってることは、実はF.E.A.R.の一連の製品が〈判例〉を〈法律〉の中に導入してきた努力とだいぶ近いことをやっているのかもしれない。

*15:詳しくは馬場秀和「初心者のためのRPG入門の一項目「ルールについて」を参照のこと。「ルールを守ることがゲーム性を守ることではない」という主張がそこで明快に示されている。