GOD AND GOLEM, Inc. (はてなダイアリー倉庫版)

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「RPGにおける2つの法思想」補論3題(acceleratorさんへの返信)

 あまりに長いので、メインコンテンツに移行しました。
 「続きを読む」で、上の文章「RPGにおける2つの法思想」の補足を読むことができます。


acceleratorさん:

コメントありがとうございます。
自分でも若干、見切り発車のまま提示したところがあるので、いろいろ補足すべきところがありますね。ほかにも疑問があれば、お答えできる限り答えていきたいと思っています。

 「リーガルマインド」については、これは今ちょうど注釈を作っていたところでした。

 しかし、注釈で書くと余計長くなってしまいそうなので、ここでは注釈と別のことを書こうと思います。(注釈部分は、「(とりあえず)のまとめ」の後半部分に書きました)。

  • 補論1:リーガルマインドはなぜ〈法律主義〉には割り振られていないのか?─あるいは、「汎用システム販売戦略」批判
  • 補論2:リーガルマインドの定義─αとβの間の“越えられない壁”
  • 補論3:公式製品が提供する〈判例〉の正当性評価について

 以下、これについて語ります。ものすごい長さになりました。ごめんなさい。

補論1:リーガルマインドはなぜ〈法律主義〉には割り振られていないのか?─あるいは、「汎用システム販売戦略」批判

 まず、acceleratorさんの仰るとおり、私もRPGにおいて「リーガルマインド」的なものは、どうしても必要なものだと思います。
 しかしですね、RPG市場の傾向を見ると、〈法律主義〉にリーガルマインドを含めない方が、うまく説明がつくことの方が多いんです。ええ、実にうまく説明がつく。
 その代表例の一つが、実は「D20システム」なんです。
 もっというと、この〈法律主義〉を唯一製品レベルで可能にする「汎用ルール」や「規格統一」といったRPGシステムの設計思想。それこそが、〈法律主義〉を誘引しやすいのです。

 たとえば、システムを運用する方の中には、「何かを裁定するためのルールは、(探せば)ちゃんとある」ことが、ゲームの面白さを評価する最重要条件だと考える方がいます。そして『D&D』v3.5は──これはD16さんの主張とはまた別のものとして捉えていただきたいのですが──驚くほどそういった需要に答えることに成功したゲームでもあります。

 しかし、私はそんなD&Dを「究極のゲーム」と呼んで、他のあらゆるRPGシステムを劣位に置くようなRPGシステム批評をしたくはないのですね。

 なぜかといいますと……えーとですね、それを認めたらですね……「いま、世界でもっとも優れたRPGシステムはD&DとD20である」……ってことになっちゃうんですよ(笑)。

 いや、半分冗談ですが、(言語の壁を除けば)半分本気の意見でもあります。数年前まで、世界は一時期、WotCによる「D20法律主義」が席巻していた時代だった*1と言っても過言ではないはずです。

 でもまあ、そういう風に「D20サイコー」とガンガンいっても、D20の判定方法だけなRPG製品業界になってしまいますし、それは翻訳元のホビージャパンさんには悪いのですが、“つまらない”ですよね?

 もちろんこれは、世界じゅうのRPGが『GURPS』だけになっても話は同じです。喜ぶのはGURPSファンだけで、他の人は「ふざけんな!」という話になります(笑)。日本のユーザーなら、この例えの方がむしろ通じやすいのではないでしょうか。

 要するに、D20やGURPSそれ自体がどうとかって話ではなく、「一つのRPGシステムが市場を席巻する」ということそれ自体が、市場としてあまり健全な状態じゃないのです。そして、そんな不健康な状態を許してしまうのが、「ルールは同じで、後はデータに金を払いさえすれば、考えなくてもかなり公正に裁定できるっぽいぜ。うへへ」という〈法律主義〉的な立場なのですよ。これを可能にするルールシステム販売戦略が、「汎用システム」であり、「規格統一」なのですね。「後はデータや細かいルールを延々提供すれば黙って買ってくれるだろ」という状態を成立させれば、寡占企業まで後一歩。

 ですから、そういう状況を前提として、私は〈法律主義〉に「リーガルマインド」を割り振ることに躊躇したのです。〈法律主義〉は確かに市場として成功しやすい。D20も成功したし、昔はGURPSも凄かったし、〈判例〉を〈法律〉の中にかなりのところまで組み込んだF.E.A.R.の製品も日本では大成功しています。*2

 もちろん、こういった「成功」には、不満も多いでしょう。でも、これだけ〈法律主義〉を取ったゲームが成功しているということは、要するに“ユーザーは「ルール」のレベルでRPGを理解したがっている”ってことでもあるんですよ。これを儲けの少ないRPGベンダが無視しないわけがないですよね。*3

 もちろん、D16さんはちゃんと、「国内D&Dには〈判例〉の普及が必要で、〈判例〉の紹介がそれに対して圧倒的に不足している」ことを強調していますが、これはあくまでD&Dの〈判例〉文化に乏しい日本に限ったローカルな話です。大本のWotCのデザイン思想および海外英語圏のRPG事情が「ルールを読めばよい」という“法律原理主義”に唯一答えようとしているシステムを中心に回っていて、その“法律原理主義”でもある程度うまくいってしまうだけのプレイ環境が構築されているだろうことに、変わりはありません。市場規模も、プレイグループの練度も、何もかも前提が違ってるんですよね。

 まあ、それはそれとして、本音としては、acceleratorさんと一緒の立場です。「ルールを遵守するだけでRPGは面白く遊べる」という考え方は、常識的にも、そしてゲーマーの財力的にも(笑。いや本当に)無理です。そんなわけで、「リーガルマインド」は(とりあえず)〈判例主義〉にのみ当てられているわけです。

 でも、“判例原理主義”にまで行ってしまうと、今度はプロのシステムデザイナーやゲームライターに全然お金が入らなくなります。率直に言って、ぜんぜん儲からない。たとえば今、前世紀に現役だったゲーム*4を延々と遊んでしまっている人々は、それが「ずっと遊べるほどに出来が良かった(良すぎた)」というそのことだけで、RPG文化を支える名ゲーマーとなりながら、現代のRPG市場の購買者層の統計には一切反映されないわけですね。もちろん、こういった「達人」を否定するRPG市場なんてものこそが、不健全な、“つまらない”にもほどがあるのですが……とても難しい……難しーい問題です。*5

補論2:リーガルマインドの定義─αとβの間の“越えられない壁”

 というわけで、前段でいろいろと〈法律主義〉の問題を取り上げました。
 しかしまあ、市場としてはともかく、少なくともマスタリングのレベルでは、〈法律主義〉にも〈判例主義〉にも「リーガルマインド」があると仮定してもよいのではないかと思います。

 さて、そのように捉えた場合、私が考えている(RPGにおける)〈リーガルマインド〉は、「RPGにおける裁定の基準を以下のように割り振ること」を意味します。


(A)は、いわゆる〈ゲーム性〉と呼ばれる(半永久的にワケワカメな)概念のことです。これは、ゲームマスターより優越します。プレイグループ全員が「面白い」と判断できる「ゲームの面白さ」を常に選び取るということです。(口で言うのは簡単ですが、これはとても難しいことです。)

(B)は、いわゆるF.E.A.R.の「ゴールデンルール」や、ゲームマスター自身の判断、そしてゲームマスター自身が考える「ゲームの面白さ」にあたります。これが(A)より下位にあり、しかし(C)よりは上位にある、というのがとても重要です。

(C)が、ようやく「ルール」です。しかし、「ルール」は多くの場合、考えなしに作られたものではありませんから、(B)や(A)に対してどのように有効に働きかけてあるかを、ゲームマスターおよびプレイグループは、常に解釈する必要があります。

そして、この上記3つのうち、私は(A)と(B)に「リーガルマインド」を割り振ります。このαとβの区別は、白田氏の言葉をそのままRPGに転用すれば、以下の通りになります。

bold;">リーガルマインドα:「RPGの面白さをいかんなく発揮できるような、伝統的精髄を身に備えた人間であること」(イギリス流リーガルマインドのRPG的体現)
bold;">リーガルマインドβ:「参加者全員が納得できるような“健全な常識”を備えた人間であること」(アメリカ流リーガルマインドのRPG的体現)

 そして、ここは強調しておきたいのですが、

リーガルマインドα>>>>>(越えられない壁)>>>リーガルマインドβ

です(笑)。
 少なくとも、私はRPGにおいては、この「α>β」の図式のほうが正しいと思っています(もちろん、「ルール」より「ゲームマスターの解釈」の方が常に優越することを前提とした上で、です! プレーヤーがマスターの裁定を覆すことは、相変わらず認められません。)
 (B)の「ゲームマスターの解釈」が“常に”正しいなんてことは……まあ、ないですよね。ゲームマスターがプレイグループに「何が“ゲームの面白さ”なのか」を教わる機会なんて、星の数ほどありますからね。優秀なプレーヤーの役割を無視することはできません。
 ですから、「βを否定してαを取る」というカタチでリーガルマインドが発揮される場合も、往々にしてあるんですよ。これはつまり「ゲームマスターの正しさよりもプレイグループ全員が考える〈ゲームの面白さ〉の方を優先する」ということであり、F.E.A.R.のゴールデンルールの部分的な否定でもあります*6

 というわけで、「裁定する人のリーガルマインド」と表現してしまうと、時に「裁定する人自身のリーガルマインドより上位のリーガルマインド」(α)があることを見逃してしまいそうなので、違いますね。

したがって、とりあえずは

 という優先度を私が支持していて、リーガルマインドαが最も重要である、という考えを仮説として表明していることをご理解ください。
 ちなみにこういった「α>β」の関係をクリアに説明するために、〈法律主義〉から「リーガルマインド」を外した、という意図もあります。あまりに完成されすぎた〈法律主義〉は「ルール主義」と同義で、でもそのやり方は、販売方式も含めて、RPGの本質じゃないんですよね。*7

補論3:公式製品が提供する〈判例〉の正当性評価について

 まずは、コメントを引用させていただきます。

 判例も<メカニズム>に入れた場合の話とします。
判例主義の怖いところは、考えなしに行いますと<ポリシー>のあっていない<メカニズム>を導入してしまう可能性があるところです。。(ポリシーとメカニズムの意味が分からない方、すみません)(右の注釈参照)*8
 ソードワールドリプレイシリーズでは、公式の運用は後出し優先などと言われていましたけど、僕はこの考え方は危ないと思っています。
 各リプレイで、どういうゲームをしようとしているのかが違っていれば、運用が異なるのは当然のはずなのに、その違いを見ずにどちらかが正しいと決めてしまっています。
 判例をまねるときには、どういう意図をもって運用したものなのかをよく考えなければいけませんよね。それを見極める目を養っていきたいものです。
(acceleratorさんのコメント)

 はい、まったくその通りだと私も思います。

 ここでacceleratorさんが言っているのは、「RPGシステムにとって相応しいと思う“ゲームマスター個人の〈ポリシー〉”(つまり〈判例〉の一つに過ぎないもの)を、まるで普遍的な〈メカニズム〉(つまり〈法律〉)のように受け取ってしまってはいけないよね」ことですよね。

 先日、鏡さんが〈自由/管理〉の悪弊について語っていた時に、「公式で示されたものを過剰にマネしてはいけない、もっと私たちは自由にRPGのルールを解釈すべきだ」とおっしゃっていましたが、その鏡さんの問題意識とも通じるものだと思います。

 やっぱり、「どこまでが〈法律〉で、どこからが〈判例〉だ」という話は、公式のリプレイやシナリオが出るたびに揺らぐんですよね。この問題を、アマチュアの側でもちゃんと冷静に判断しようという考え方を共有できただけでも、議論した甲斐があったかもしれません。

 それに特に、『ソードワールド』シリーズは、日本でデファクト・スタンダードになった初めてのRPGシステムでもありますから、初めてそういった壁にもぶち当たった国内最初の例だったのではないかと思います。ソードワールド時代が、国産RPGの「リプレイ文化」を築いたのですし、それにもともと「リプレイや文庫版システムの方がシステムそれ自体よりも捌けやすい」というRPG業界独特の現象がありますから(困ったものです。いろんな意味で)、そういう〈判例〉重視のリプレイ作成にまで目がいかなかったのかもしれませんね。

 そしてacceleratorさんがおっしゃるとおり、F.E.A.R.のリプレイは、(特に最近のものは)かなり「アクロバティックな遊び方」を紹介するというコンセプトをちゃんと重視して出版しているように思います。私もたとえば『アリアンロッド・リプレイルージュ』に関しては「なるほど」と思いました。ある意味SNEやその他のリプレイより志が高いんじゃないかと思います。

 そもそもが、F.E.A.R.のシステム設計は、まんが・アニメのお約束にある程度詳しい人にとっては「典型的な遊び方」がすぐに類推できるようデザインされています。システムに付属しているシナリオなんて、わかりやす過ぎて、「え、こんな単純なプロットでいいの?」と思いますが、あれも絶対わざとですよね。別に複雑な遊び方を否定しているわけではないですよね。

 ですから、リプレイに関しては、初めから「アクロバティックな遊び方」を狙った方が、うまく補完し合いますよね。F.E.A.R.はその点で、かなり妥当な商品開発をしているのではないかと思います。ストーリーの内容だけでなく、もっとこうした点でリプレイを誉める風潮が出てくることを私は期待しています。
 ただ惜しむらくは、まんが・アニメ的な状況を再現するRPGに対して偏見を持った人には、そのリプレイも含めたシステムの良さが、なかなか伝わらないことですね(なぜなら、買って読むことすらしないからです)。しかしそれこそ、草の根レベルでその運用を伝えていくしかないのかもしれません。

*1:もしかしたら、「今もそうなのかも。メタルヘッドも今度D20で進出するそうですし、かなりの勢いでデファクトスタンダードになりつつあるのかもしれません

*2:もちろん、個々のD20システムの良し悪しやGURPSのシステム、さらには最近のF.E.A.R.のSRSシステム製品を評価することはできます。できるだけでなく、面白いのであればちゃんと「面白い」と言わなければいけません。それはRPGを公正に批評したいと考える人の義務でもあるとすら考えます。つーか『天羅WAR』マジ面白いし。でも、それが行き過ぎたら、RPG文化の深みがずいぶんと制限されてしまうんじゃないか、という視点から、私は語っているわけです。

*3:近年のF.E.A.R.のSRSシステムも、もしかしたらこの潮流を見た、ひどく鋭い企業戦略なのかもしれません。うまくいくかどうかはわかりませんが

*4:新和D&Dルーンクエスト,トラベラー,旧ウォハン,トーグシャドウラン二版、アースドーン初版など

*5:ところで私は、そういった「市場に貢献しないが、素晴らしいマスタリングの達人」(ゴロゴロ居ます)が、どうにかRPGの経済的発展と接点を持つ方法はないかなぁと考えています。たぶん、マスタリングそれ自体が「システムデザインのプロ」とは別に「プロのゲームマスター」として扱われる文化が誕生しなければ、ムリなんじゃないかと思っていますが。もっとも、システムデザインだけで儲かろうとするなら、「汎用システム」を作って製品をお大尽的に売りまくるか、製品規格を統一するしかないのは変わらないわけで、こうなるとやはり「ゲームマスター」がシステムデザインとは切り離されたところで(あるいは、現役で売られているRPGシステムであるならば、互いの利益を強めあうようなビジネス形式で)商品価値を見出せる時代が来ないと、やっぱりまずいんじゃないかなあと思うのでした。これをやろうとしているのは、芝村さんの「公認SD制度」とかかな。他にも公認GM制度は作られたって話を聞いた気もしますが、今ちょっと思い出せません。

*6:解釈次第では別に否定しなくても全然いいんですが、文字通り受け取ると、部分否定しなきゃいけませんね

*7:口すっぱくして言いますが、D&DやD20やGURPSなどの〈法律主義〉的なアプローチのゲームの、“個々の製品の出来”をなんら貶めるものではありません。あくまでマクロな市場構造の問題で、システムの内容にケチをつけるといったミクロな問題じゃないのです。くれぐれも誤解しないでください。……本当に! 誤解なきように!(笑)

*8:ご存知ない方に説明しますと、〈ポリシー/メカニズム論〉とは、Vampire.Sさんというルーンクエストの大家の方が提唱している、「典型的な遊び方」を製品レベルで構築するための技法について考える、システム批評理論のことです。詳しくは私のBlogのタグ「Vampire.S」をクリック! 紹介記事や基本的な語句の整理が出てきます。