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仏教でどう自殺を食い止めるか

註(2009.02.04)

この記事の1年半後に突然この記事が注目されたので、追加の記事を書きました。これを読み終わった後は、こちらの記事も合わせてご覧ください。

高橋志臣,2009,「仏教と自殺の話がのびておる――“リーチ仏教”、〈祈り〉の純粋さ、自殺衝動の特効薬」(http://d.hatena.ne.jp/gginc/20090204/1233757683, 2009.02.04).

本文

 thalionさんが話題にしていらしたので、私もちょっと考えてみました。

■元記事:id:macha332007.09.11「自殺と向き合えない仏教」『浄土真宗@』
http://d.hatena.ne.jp/macha33/20070911
id:thalion2007.09.12「坊さまは『死ぬな』と言ってくれるとは限らない」『さり海馬』
http://d.hatena.ne.jp/thalion/20070912/p1

 私の意見を最初に述べますと、仏教徒は「どうせ死ぬなら悟る努力をしてから死になさい」という理屈で、自殺を止めることが可能だと思います。

 仏教の教義上、自殺はべつに倫理上たいしたことではありません。けれど、死んだって苦しみ続けることに変わりはありません。「お前、それでいいの? (来世も含んだ)人生の問題から逃げてるだけじゃん」と問いかけることで、仏教徒はようやく自殺志願者と向き合うことができるのではないでしょうか。

 詳しいロジックは以下に。


■仏教で自殺をくいとめるための理屈

  1. 仏教は「輪廻転生」を前提とする宗教である。*1
    1. より精確に言うと、バラモンヒンドゥー教的な「輪廻転生」から「解脱」することを究極目標とする宗教である。*2
    2. 「解脱」しない限り、「輪廻転生」の不毛さから逃れることはできない。
    3. これは裏返せば、「解脱」すれば、もう「輪廻転生」することはない、ということでもある。
    4. 「解脱」すること、すなわち「永遠に死ぬ」ための条件を達成することが、仏教の究極目標である。
  2. 単に自殺しても「輪廻転生」から逃れることはできない。
    1. なぜなら「解脱」していないからである。「悟り」を開いていないといってもよい。
    2. 死んだ後、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)のどこに生まれ変わるかはわからない。*3
    3. 仏教は六道のどの世界でも、生がつらいことには大して変わりないと考える。
    4. 仏教は、「輪廻の中で生きること」全体を「苦」だととらえている。*4
    5. 「悟り」を開かない限り「輪廻転生」し、「苦」は残り続ける。「今自殺したって来世でまた苦しむかもしれない」という問題が、いつまでもいつまでも残り続ける。
  3. したがって「自殺」は「苦」から逃げる方法にはなりえない。
    1. 「苦」を本当に取り除くためには、今の人生をめいっぱい駆使して「苦」から逃れることがまっとうな方法となる。
    2. 人は自殺する暇があったら、「解脱」を目指して、生きて修行しなければならない。
  4. めざせ涅槃〔ニルヴァーナ〕。*5

 仏教解釈学をマジメにやっている方からみれば「おかしい」ところもあるかもしれませんが、「輪廻転生からの解脱」を目指す仏教教義から見れば、まあ大体こんな言い方ができるのではないかと思います。

 生きる苦しみから逃れることが目標で、来世や輪廻転生を信じることを前提とすれば、「悟り」こそ真に効果的な「自殺」である、といっても、さしつかえないでしょうね。そしてそれは、むしろ一般的な意味での「善く生きること」につながり得るわけです。

 ただ、むずかしいのは、「来世生まれ変わったってどうせお前、つらいだけなんだぜ」というフィクションをどうやって自殺志願者と共有できるか、でしょうね。そこは仏教徒の手腕にかかってくるでしょう。来世の苦しみを前提としない仏教*6でどう自殺者を食い止めるかは、ちょっと今の私には思いつきません。来世の実在は、文字通り「方便」として必要になってくるでしょう。

 最後に大事なこと。
 仏教は「生」を「苦しいもの」と捉えていますが、同時に「死」も「苦しいもの」と考えています(生病老死のことば通り)。その辺を誤解して「仏教は生きることを軽視している」というと、おかしなことになります。仏教は「死ぬこと」すらダメだと言っているわけです。ただ生きるだけでも、ただ死ぬだけでも、仏教が問題としているものごとは解決しない。ここが一番のポイントでしょう。

 こんな偉そうなことをいいながら、仏教徒でないのがこまりものです。

*1:異説あるが、一般的な解釈。

*2:バラモンヒンドゥー教は、「今そういう辛い人生を生きているのは、お前の前世の行いが悪かったからだ」という理屈で、ヒエラルキーを正当化できるようになっている。それに対して仏教は、そういうヒエラルキーを否定するために修行を積みなさいと説く。ということは、原始仏教カースト制度ヒエラルキーをぶち壊すような思想をはらんだ過激な政治思想でもあり、ブッダは当世随一の大革命家であったともいえるのである。

*3:六道をどう解釈するかもまた、仏教によって諸説あるが、仏教の「死んだらどうなるの」に対する答えは「六道のどこかに生まれ変わる」というのが、まあスタンダードな解釈だろう。

*4:「苦」とは、生きること、死ぬこと、病に倒れること、老いること、感覚器官に翻弄されること、ムカつく奴とずっと付き合っていかなきゃいけないこと、愛する人と別れること、欲望が満たされないことの8つに分類される。これを「八苦」という。なお、ここで言われている苦しみは、「来世」の生も含んだ「苦」である。この発想が、自殺を食い止めるにあたって非常に重要である。

*5:「悟りをひらいた状態」という意味のほか、釈迦が入滅したこととか、いろんな意味がゴテゴテついている。詳しくは仏教入門書等をお調べください。

*6:この言い回しは定義矛盾を孕んでいる可能性もあるが、まあそういう仏教もあるかもしれないよね。