GOD AND GOLEM, Inc. (はてなダイアリー倉庫版)

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〈ゲームトークン〉の死と、システムレベルの〈目標〉デザイン(前編)

 TRPGは「〈目標〉が明確でないゲーム」とよく言われます。
 しかし、本当にそうでしょうか?
 RPGデザイナーの作ったシステムが、全部十把一絡げだったら、ちょっとおかしな話です。
 むしろRPGデザイナーは、システムごとに異なる、魅力的な“隠れた目標”を設定することで、そのRPGシステム独自の価値を与えようとしている。
 そういう風に仮説を立てた上で、ではどのようにRPGシステムは“隠れた目標”を設定しているのか、ちょっと考えて見ましょう。

 前後編に分けてお送りする今回は、〈システムデザイナー〉の基本的な役割と、そのシステムデザイナーの恩恵を受ける〈ゲームマスター〉の、2つの立場について整理します。
 その二者はたしかにそれぞれ違う役割を担っていますが、しかし1つだけ見逃せない共通点があります。その共通点とは、ともに〈ゲーム性〉という不明瞭な概念を追い求め続けるという点にあります。
 さて、まずシステムデザイナーの話から始めましょう。

A.システムデザイナーは〈ゲーム性〉を探る

 RPGシステムをデザインする職業(以下この職業に従事する人を〈システムデザイナー〉と呼びます)は〈ゲームコンセプト〉を考えて、システムをデザインします。
 ここでいう〈ゲームコンセプト〉というのは、「そのゲームではこういう風に楽しんでほしい」「こういう風にすれば(デザイナー自身の考える)ゲームの面白さが立ち現れる」という基本的な理念・思想のことです。この時、「ゲームの面白さ」は、しばしば曖昧に〈ゲーム性〉と名指されます。
 これは、RPGに限らず、〈ゲーム〉と呼ばれるもの全部に見られるものです。そして、しかし、肝心の〈ゲーム〉が実際に面白いかどうか──つまりそこに〈ゲーム性〉なるものがあるかどうか──は、今のところ、プレーヤーの主観的な感覚にゆだねられています。「これつまんねぇや」とプレーヤーに言われてしまえば、〈ゲームコンセプト〉は伝わらなかったし、〈ゲーム性〉もなかった、ということになります。
 しかし、その逆に「これおもしれぇや」とプレーヤーが言った際、デザイナーが想定したのとは全然別の運用をしていた、ということもよくある話です。この場合、デザイナーの〈ゲームコンセプト〉が伝わったと言えるでしょうか? RPGデザイナーにとっては予想外の嬉しい話かもしれませんが、たぶん、「いやー、そういう風にも遊べるんだなあ」であって、そればっかりで、自分の〈ゲームコンセプト〉を踏襲した遊び方がぜんぜんなかったりすれば、RPGデザイナーとして「失敗した」という感覚に陥るでしょう。
 そうではなく、「これおもしれぇや」とプレーヤーが言った時の遊び方が、デザイナーの「だいたいこんな風に遊べば“面白い”と感じられるように作ったつもりですよ」という思想と一致した時、システムデザインは本当の意味で成功したとみなされるのではないでしょうか。
 ちょっと「理想的な読者」論みたいな話になってきましたが、それでもボードゲームのデザインにおいては、ある程度までは模範的(あるいは初歩的)な遊び方というものが論じられると私は思っています。もっとも、究極的にはやはり「理想的な遊び方」というのは、限界運用を行うヘヴィユーザーの存在を否定しない限りありえないと思います。しかし一方で、システムレベルの批評を通じて「典型的な遊び方」を決定することは、じゅうぶんに可能なはずです。*1
 これは素人なりに考えた私の意見ですが、システムデザイナーの職業的な達成とは、「これおもしれぇや」の感覚を、自分の理屈に基づいて遊び手に発生させることです。〈ゲームコンセプト〉と、プレーヤーが感じる〈ゲーム性〉とが幸せに一致すること、これこそが、システムデザイナーにとってもっとも欲しい“手ごたえ”であり、そのようなプロセスのもとに自分のゲームが売れ、楽しまれ、評価される、ということを望むはずです。
 したがって、システムデザインは、だいたい次のようなステップを踏むことになるでしょう。

■システムデザインの方法─〈ゲーム性〉を中心に

  1. 「なぜゲームは面白いのか?」(〈ゲーム性〉への疑問
  2. 「それはゲームが○○であれば面白いからだ」(〈ゲーム性〉の作業仮説
  3. 「じゃあ自分も○○のようにゲームを作ろう!」(作業仮説の実践(システムデザイン)
  4. 「実際に作ってユーザーの反応を見よう」(作業仮説の評価)
  5. 〈ゲーム性〉と自分の〈ゲームコンセプト〉との間の距離を埋めよう」(システムの再設計)
  6. 1.に戻る

 ここで大事なのは、〈ゲーム性〉というものが何なのか、実はだれにもよくわかっていない、ということです。本当に〈ゲーム性〉というものがわかっていたら、この世からつまらないゲームなんか全部なくなってしまうでしょう。
 それでもなお、

  • 〈ゲーム性〉というものは“蛇”なんじゃないか」
  • 「いやいや、“水牛”なんじゃないか」
  • 「ちげーよ、“ガンダム”に決まってるっつーの」
  • 「そんなことはない、“アンドロメダ第三紡錘形統合体”だな」
  • 「馬鹿言うな、“愛”だよ“愛”。愛こそすべて」

という、さまざまな作業仮説*2が試みられては、成功したり失敗してきたりした、というのが、近代ゲームデザイン*3〈ゲーム性〉に対する挑戦だとまとめることができます。

 さて、ではもしシステムデザイナーが立てた〈ゲーム性〉の仮説が、たまたま合っていたとして、それはRPGセッションの現場に正しく届くのでしょうか?
 そういうわけではありません。そこにはまず、〈ゲームマスター〉という第一の解釈者がしっかりしていなければならないのです。

 そしてこれが、今回の本題となります。

B.システムデザイナーからゲームマスター

 ゲームマスターがやっていることは、実はシステムデザイナー、つまり本職のデザイナーさんがやろうとしていることと変わりありません。システムデザイナーは遊べるシステムをデザインし、ゲームマスターは遊べるシナリオをデザインします。
 どちらも「私のゲームデザインの狙いが、プレーヤーを楽しませること(〈ゲーム性〉の発現)に繋がっていて欲しい」と願い、そのために努力を惜しまないという点で、同じですよね?
 しかし、その二つの立場の間には、ある一定の距離があります。ゲームマスターは、与えられたゲームメカニズム(大抵は「ルールブック」という形で与えられるでしょう)を解釈し、適切に運用すれば、プレーヤーを楽しませることができます。これだって、みなさんご存知のように、そんな口で言うほど簡単なことではありませんが、システムデザイナーのようにゼロから〈ゲーム性〉を生み出す仕掛けを考えるよりは、ずっと簡単です。
 つまり、システムデザイナーの役目とは、ゲームマスター〈ゲーム性〉を模索する作業それ自体の負担を軽減しつつも、あいかわらずゲームマスターに独自の〈ゲーム性〉を探るという楽しみを残し続けられるような、そんなシステムを作ることにあるわけですね。
 でも、これがけっこうたいへんです。

 これって、矛盾していますよね?
 〈ゲーム性〉の重要な部分を造りつつも、作って楽しいと思えるような部分は、わざわざ空白のまま残しておく。これがRPGのシステムデザインの悩ましいところだと思います。
 他のボードゲームデザインだったら、こうはなりません。完成度100%でないと、遊んだ人は決して満足しないでしょう。「途中、ルールは決めてもいいから」と言われたら憤激ものです。
 でも、RPGは、逆にそれが、(主にゲームマスターの)“楽しみ”の一つとして、勘定されているわけですね。
 ゲームマスターという役割をRPGが想定しているということは、どういうことでしょうか。単なる「苦痛な作業」だったら、誰もやらないに決まっています。そして、私たちはゲームマスターの人口を(100万人のプレーヤーが巷にあふれているような状況を作れるほどには)増やせていないのが現状です。
 しかし、RPGは別にゲームマスターを「苦痛なだけの作業」とは言っていません。むしろ、喜びの大きい、素晴らしい役目であるということを色んなところで賞揚しています。ということは少なくとも、ゲームマスターという役目の遂行は、どんなに手間隙を惜しんでも挑戦する価値のある娯楽だ」という考えが、RPGでは前提となっている、ということですよね。
 そして、システムデザイナーは、そんな彼らのために“ゲームデザインの楽しみを売るためのゲームデザイン”をしている。──ああ、なんだかややこしいですねえ。
 ということは、RPGにおける〈ゲームデザイン〉=「〈ゲーム性〉の追求」というのは、職業として価値のある「仕事」であると同時に、アマチュアによる「娯楽」でもありうる、という、かなり境界不明瞭なものなのですね。
 まあ、この話はRPGの商業的なありかたに関わるので、私からはここまでにしておきましょう。
 ともあれここで大事なのは、ゲームマスターもまた〈ゲーム性〉を追求する立場にあり、けれどシステムデザイナーがその仕事の半分(もしかしたらそれ以上)を肩代わりしてくれている、ということです。

C.ゲームマスター〈ゲーム性〉を具体化する

 システムデザイナーの仕事は、ゲームマスターというアマチュア・ゲームデザイナーのために、当世最先端の優れたゲームデザイン技術を、わかりやすくうまい具合にゆずってあげることです。
 その具体的な商品として作られるのが、ゲームデザイン・キットであるところの「ルールブック」です。はい、私やみなさんがいつも買っている、あの「ルールブック」ですね。
 このルールブックには、最初の「ゲームコンセプト」に始まって、「ルール」「データ」「世界観」が収められており、時には「シナリオ」がちゃんと入っている“偉い”ルールブックもあります。シナリオは大事ですよね。ゲームマスターが参考にできるようなシナリオ記法の具体例がないと、けっこう手も足もでなかったりしますから。
 いろんなものが収められていますが、でも、これは実は全部一つのものだと考えて差し支えありません。これらすべては、システムデザイナーが〈ゲーム性〉とは何かを一生懸命考えた末に、その作業仮説のもとに作った「〈ゲーム性〉を生み出してくれそうな部品の集合体」です。これがシステムデザイナーのゲームデザイン的な知の結晶体というわけです。
 これら全部をひっくるめて、〈メカニズム〉と呼びましょう。*4そしてゲームマスターは、この〈メカニズム〉を解釈することで、システムデザイナーが狙っていた〈ゲーム性〉の何たるかを解釈して、その知見をセッション現場においてうまく活用しなければならないわけです。

 さて、ゲームマスター〈ゲーム性〉の何たるかを解釈して、実際にそれを実践できる場所というのは、どこでしょうか?
 システムデザイン部分、ではありませんね。そこはもうシステムデザイナーがやっちゃってくれてますから、ちゃんと深く理解する前にいきなり改造したら、綺麗に整えられていた(はずの)ゲームバランスが崩れます。そういうのは、遊びつくして、不満がでてからやりましょう。もともとわざと不完全に作られているものなのですから、ゲームマスター〈ゲーム性〉に対する意識が固まってきたら、不満が出てきて当然です。逆に言えば、不満が出てくるまでは、システムデザイナーが提示した〈メカニズム〉の範囲内でのみやりくりする。それでどこまで自分のやりたいことができるかが、システムデザインの出来/不出来を決める点でも重要な点になってきますから、やはり最初は一切〈メカニズム〉をいじらないで遊んでみることが、システムデザイナーにとってもゲームマスターにとっても、お互い有益でしょう。
 ゲームマスター〈ゲーム性〉を確かめられる場所、それは〈シナリオ〉です。セッションもありますが、そこではプレーヤーも関わってきますので、省いておきましょう。
 みなさんもう言わずともご存知の通り、〈シナリオ〉を作れるからといって、システムデザイナーの知見を全然活かさない、というのは、スジの悪いゲームマスターです。どうせならシステムデザイナーが考えてくれたものを生かして、それ以外の点に力を注ぐのがゲームマスターの腕の見せ所です。

 さて、私がこのエントリの最初に書いたことばをもう一度繰り返します。

 TRPGは「〈目標〉が明確でないゲーム」とよく言われます。
 しかし、本当にそうでしょうか?
 RPGデザイナーの作ったシステムが、全部十把一絡げだったら、ちょっとおかしな話です。
 むしろRPGデザイナーは、システムごとに異なる、魅力的な“隠れた目標”を設定することで、そのRPGシステム独自の価値を与えようとしている。

 ここまで話せば、「システムデザイナーが、ちゃんと目標をシステムレベルで大まかに設計してくれてるんじゃないの?」と考えて自然です。少なくとも、それがないシステムは、ゲームマスターの負担が当然のことながら、増大します。決めすぎも良くありませんが、まったく決まっていないシステムをわざわざ選ぶのは、本当に腕に自信のあるゲームマスターだけで十分です。*5
 そしてこれは「ストーリーを楽しむ」第三世代RPGだけの特徴ではなく、あらゆる完成度の高いRPGにおいて共通するものである、というのが私の考えです。
 そこで「〈ゲームトークン〉の死」*6という言葉が出てくるわけですね。
 次回、後編はこの「〈ゲームトークン〉の死」という観点から、システムデザイナーが暗に定め、ゲームマスターのシナリオ作成の大枠を決定するメカニズムについて、だいたい4分類くらいでお話していくつもりです。お楽しみに。

*1:この文章を公開した後、「典型的な遊び方」と「理想的な遊び方」とは異なる概念であることをわかりやすくするため、この部分を若干修正しました。ここで私は、「ある程度までは『理想的な遊び方』なるものを論じられるのではないか」と書いたのですが、それと同時に、注釈部分で「それは結局『典型的な遊び方』と呼ばれるものだ」とも述べていたのでした。これは誤解を招く恐れがあることに後で気づいたため、のちに「理想的な遊び方」の意味合いをさらに限定し、その上で否定することにしました。ここに文章を修正した事実を明言し、ここに補足しておきます。(2007.09.18)

*2:こんな作業仮説が実際にあったかどうかは知りませんが。もっとちゃんとしたものであることは間違いない。

*3:この「近代」というのは、「プロイセンの兵棋演習」とまではいかないまでも、ウェルズの「リトル・ウォーズ」かアヴァロン・ヒル社の登場あたりのつもりで書いています。20世紀前半から中盤にかけてが、近代ゲームデザインの黎明期です。

*4:ここではVampire.S氏の用語を引用させていただいている。私が解釈している〈メカニズム〉の正確な定義は以下の通り。定義:「ルール、データ、世界設定等から成り、ゲームマスターのシナリオデザインやプレーヤーのキャラクター作成、そしてセッションの運営の際にこの両者が参照できるよう提示され使用されるよう作られた、〈ロールプレイング・ゲーム〉の具体的なコンポーネントのこと。主に「ルールブック」という媒体でまとめて提供されることが多い。この〈メカニズム〉は、ゲーム中における言明の真偽を決定できるものでなければならず、そのためにはその言明(命題)が、「ルールブック」に書いてある文章から簡潔平明な日常的論理を経由して推論できるようになっている必要がある。」

*5:その日のプレーヤーにつまらない思いをさせた場合、それはシステムデザイナーの責任だけではなく、そんなシステムを力量が足りない状態で選んでしまったゲームマスターにも責任が帰せられるべきでしょう。そういう点で、ゲームマスターには〈システム選択能力〉というものが必要で、システム選択の段階からその手腕を試されていると考えた方がよいのです。

*6:〈ゲームトークン〉の定義:〈参加者〉〈管理資源〉にアクセスし、操作するために使われる手段。ボードゲームにおける「コマ」、カードゲームにおける「カード」RPGにおける「〈キャラクター〉」、スポーツゲームにおける「プレーヤー自身」などがこの〈ゲームトークン〉に該当する。コスティキャンが定める〈ゲーム〉の7要素の1つ。(Costikyan[1994]1995,2006)