文学フリマ『筑波批評2008秋(改め、ゼロアカ道場破り号)』に寄稿しました
すっかり報告が遅くなりましたが、以前応援文を書いた「筑波批評社」の今回の同人誌に、寄稿しました。
先に場所だけお伝えしておきます。今週日曜の11月9日、秋葉原駅近くのココで、文芸批評系を含む同人誌即売会をやっています。
■第7回 文学フリマ
2008年11月9日(日)
11:00〜16:00
東京都中小企業振興公社 秋葉原庁舎 第1・第 2展示室
(JR線・東京メトロ日比谷線 秋葉原駅徒歩 1分、都営地下鉄新宿線 岩本町駅徒歩 5分)
http://bunfree.net/
筑波批評社のブースは、2階、B−62
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ところで、筑波批評の2008秋号が「道場破り号」とあるのは、以下のような経緯によるものです。
2008年11月9日に行われる第7回文学フリマにおいて、2人1組となり、
《A5版・表紙4Cカラー・本文1C96ページ・定価500円》の評論同人誌を制作し、自ら売り子となって販売せよ。
刷部数は500部とし、「東浩紀点+太田克史点+販売部数」の合計点上位3組(6人)を関門通過者とする。
(中略)
なお、この関門においては「道場破り」が認められる。ゼロアカ参加者以外も、別途発表の条件を満たせば、この関門に参加しみなさんと同じ条件で闘うことができる。
つまり、筑波批評社のうち、id:sakstyle君とid:Muichkine君が、若手批評家登竜門として現在開催されている批評家選考イベントに、中途で斬り込むという状況になっているわけです。
その彼ら自身の紹介文は……。
概要
ゼロアカとは一体何だったのか。
そして、ゼロアカの先へと進むために。
ゼロアカ道場破り号と銘打った今号の『筑波批評』は、いわゆる「ゼロアカ」と呼ばれる言説空間が、今現在あまりにも狭い領域にとどまっているのではないかという問題意識のもと、むしろゼロアカがより広がっていく可能性を示すべく編まれた。
掲載された論文はどれも、様々なジャンルへと種撒かれ、これから次々と芽吹くはずの、新しいアカデミズムと批評の萌芽たりうるはずだ。
筑波批評社、シノハラユウキ・塚田憲史による、「東浩紀のゼロアカ道場」第四関門への道場破り。
11月9日、秋葉原で開催される文学フリマにて発売!
というわけです。
私はこういう話になる前からid:sakstyle君を中心に仲良くさせて頂いていたので、何か出来ないものかと思って寄稿させてもらったわけです。
目次は、このような感じになっています。
目次
- 批判的工学主義とは何か――建築家・藤村龍至インタビュー
- アダルトヴィデオ的想像力をめぐる覚書――ゼロ年代的映画史講義・体験版(渡邉大輔)
- リアル入門――ネットと現実の臨界(工藤郁子)
- 文芸批評家のためのLudology入門――<ゲーム>定義のパースペクティブ(高橋志行)
- 工学の哲学序説(シノハラユウキ)
- 「コンテンツ植民地」日本(min2fly(佐藤翔))
- ケータイ小説の作り方――ケータイ小説家・秋梨インタビュー
- フィクションするとは一体いかなる行為か(シノハラユウキ)
- 兄弟という水平面/擬似的な垂直性(シノハラユウキ)
- フラグメンタルアプローチ(塚田憲史)
- &LOVE――『あたし彼女』『メルト』(塚田憲史)
- Synodos+筑波批評社
- 座談会 ニコニコ世代に歴史はあるか?
で、いろいろお薦めを書こうと思ったのだけれど
あまりに色んなことが重なりすぎて、ちゃんと推薦文を書くことができません(でも、全部読みました)。
私はTRPG批評だなんだと言いながら、ガチ批評系の人間ではまったくありません。しかし、そんな私の目からみて、こうして真正面から文芸批評(あるいは社会評論)に取り組める彼らには、ものすごく期待してしまいます。しかも、一応最先端のトピックを扱いながら、主題はあくまで流行から離れ、あくまで自分たちが興味のある課題へと向かっていくところは、読んでいてとても唸らされました(座談会で、いきなり「ポストモダンの、うすっぺらい歴史感覚」を問い直し始めたところは、ぜひみんなにも読んで欲しい。彼らが単なる“俗な意味での”東浩紀フォロワーでないことは、この座談会を読むだけで十分伝わるはずです)。最後にソワカちゃんにも触れてたりするしねっ!(結局そこに反応するのかよ!!)
中心メンバーとなるシノハラユウキ君、塚田憲史君の一万字論文は、草稿段階から読ませてもらっており、どちらもとても力の入ったものになっています(これは筑波批評社のBlogにより詳しい紹介があります)。これは私が長々と解説するより、「とにかく読んで」と言った方が早いでしょう。
また個人的には、id:min2-fly君の短い論文、“グローバル化する学術出版業界”批判もイチオシです。オタク産業に国の金を掛けている暇があったら、知的財産の海外流出と密接な関わりがある、国内学術出版の脆弱な業界構造をどげんかせんといかん、という趣旨の話。ものすごく熱いし、そこには図書館情報学院生としての危機感が籠もってます。この話は批評どうこうという話に限らず、知的産業に関わる全ての人に知って貰いたいという話です。
あ、自分の文章の紹介がまだでした。
5000字程度の小さな論文です。「〈ゲーム〉を定義する際には、客観的・形式的(objective)な定義だけじゃどうにもうまくいかないことがある。それをどう捉え直せばうまく考えられるようになる?」という問いに、ラフ・コスターの主観的・認知的(subjective)なゲーム論に依拠しつつ、整理したものです。
このブログでは、Costikyan論文や馬場講座など、とかく国内TRPG文脈で取り上げられやすいものを中心に整理・展開してきた私ですが、最近の興味はもうコスティキャン論にはなくて、もう少し基礎的なところにあります。そこを、与えられた紙面の中でなんとかまとめたものになります。
今回は「TRPGに興味はあまりないけど、ゲームを論じることには興味がある」という人向けのモードで書いています。筑波批評社の今年の成果を見るついでに、どうぞ目を通してやってくださいませ。図がなんかパルプンテになっているけど、その辺はあまり気にせず。
ちなみに当日は、ゲームでお世話になっているid:Thorn(岡和田晃)さんも、『幻視社』ブースの同人誌に寄稿しているそうです。また、そこでは英米文学批評家の巽孝之さんが主宰する『科学魔界』も委託販売しており、そのどちらも氏のページにて紹介されていますのでそちらも合わせてぜひご覧ください。(Thornさんより指摘があり、ブースの件について修正しました。081107:1400更新)。