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■高橋志臣,2008.09.16「仮象論のパラドックス――〈ゲームシステム〉と〈テーブルの合意〉を区別する」
http://d.hatena.ne.jp/gginc/20080915/1221483369

 これの、p-nixさんへの回答。

全然分からん。。可能世界の物語論とかから展開していけばいいのかな?

 可能世界論は、「複数の実在する世界」を認める論理学の立場ですが、今回言っている話はそちらではないのです。
 どちらかというと、「一つの現実」に対して「複数の説明のしかた」がある、と言ったほうが近いでしょうか。
 となると、可能世界論であるというよりは、ネルソン・グッドマン『世界制作の方法』の立場に近くなります。ただし、西村さんに関して言えば、彼のフィクションに対する立場は、グッドマン哲学とも若干異なるようです。詳しくは『世界制作の方法』および『フィクションの美学』(特に、第二章)をご覧ください。可能世界論を使わないでも、物語における虚構の位置づけについて論理学的に考えられることが、丁寧に論じられています。

世界制作の方法 (ちくま学芸文庫)

世界制作の方法 (ちくま学芸文庫)

フィクションの美学

フィクションの美学

 次に、xenothさんへの回答。

「TRPGを社会的な営みとして、西村の考える遊び/現実の関係に位置づける」と読解したが、だとすると、虚構文は関係ないし、パラドックスでもない気がする。詳しくはxenothのブログにて。

 〈仮象論の罠〉は、西村さんの議論を参照する以前の段階の話です。ですから、西村さんの議論や記号論理学の知見を踏まえて考え直すと、確かに「虚構文」は関係なくなりますし、「現実/虚構」とか「遊び/まじめ」といった二項対立にハマることもなくなります。
 ただし、ここでいう〈仮象論の罠〉を克服した先に「虚構文や(仮象論の)パラドックスTRPGに関係ない」という主張がようやくありえるのだ、ということを今一度ご確認ください。私は西村氏の議論を参照した後に〈仮象論の罠〉が発生するとは言っていません。「遊びはそれ自体で独特の存在様態である」という考えを導入する前に、〈仮象論〉が存在する余地がある、ということを指摘しているのです(そして、Vampire.Sさんが指摘している通り、私もまたその〈仮象論〉をどうやって克服すべきか悩み、最近までつまづいていたわけですね)。
 私が提示したのは結果だけではなく、克服するまでのその過程も含まれます。そして、それを克服するためには、私があの程度の短さの文ではとてもカバーしきれないほど緻密な、西村さんの先行研究(そして今回に関して言えば、Vampire.Sさんの知見)が必要だったわけです。
 そうした議論を参照する者としては、それを省いて結論だけを提示する、ということはむずかしいものがあります。これは、できるだけ簡単に書こうという思いと拮抗するほど、「引用することの礼儀」のようなものが含まれます。私は作法上、引用することの礼儀を失してまで文章を書くことができません。
 もっとも、こうした文章を一度仕上げた後に、後で語りなおす際には、私ももっとわかりやすく書くことができるでしょう。その時は、一度完成した文章があるわけですから、ざっくばらんに要約しても構わないわけです。