GOD AND GOLEM, Inc. (はてなダイアリー倉庫版)

2007-2012まで運用していた旧はてなダイアリーの倉庫です。新規記事の投稿は滅多に行いません。

ハンドアウトとは何か─背景世界の補完,個別導入,動機づけのゲーム

 ところで、acceleratorさんのまとめによると、ハンドアウトについて色々意見が戦わされていたようです。一部には創作系の方からの参入もあるようですね。*1非常に興味深い、貴重な意見でしたので、後日あらためてコメントさせていただこうかな、と思っています。
 以下、まとめ記事を紹介した後、拙著『ロールプレイング・ゲームの批評用語』のことばを使いながら、私見を述べさせていただきます。

■「ハンドアウトについて─きまぐれTRPGニュース」
http://trpgnews.g.hatena.ne.jp/accelerator/20071216/p4

 その中で、とりあえず自分の立場に一番“近い”ものを以下に引用させていただきます。

 ハンドアウトとは、最も高い精度を要求された背景情報なのではないでしょうか。
(taitei2007.12.19「ハンドアウト高精度説」)

 私もまた、〈第二世代RPG〉のビッグゲームなところ*2を批判的に継承して、かゆいところに手が届く商品にしたのが、FEAR社のシナリオにおいて半ばスタンダードとなりつつある「ハンドアウト」だと考えています。*3ただ、単に「精度が高い」というのではなく、「そのキャラクターを動かすにあたって必要十分なだけの、質の高い〈背景世界〉情報」と言い直せば、私の意見により近くなります。

 FEAR社のシーン制RPGシステムにも、第二世代ほどではないにせよ、必要にして十分な〈背景世界〉があり、それらをもとにキャラクターがどんな行動を取ればよいかについて悩めるだけのギミックが提供されています。(この〈背景世界〉をもとにゲームの面白さをより複雑にするメカニズムについては、「RPGにおける〈プレイング〉の内実(1)」でも触れました。「文芸的解釈」という言葉で論じています。)そして、FEAR社のシナリオ記法に組み込まれた「ハンドアウト」には、その〈背景世界〉をさらに“キャラクター視点から”補完する機能が備わっている。
 こう考えると、〈第三世代RPG〉に属すると言われるFEARのシーン制RPGの特徴がよりわかりやすくなりますし、「ハンドアウト」の位置づけも明快になるのではないかと思います。
 さて、これを前提に「ハンドアウト」の特筆すべき役割とは何か。具体的には、以下のものがあげられると思います。

ハンドアウトの利点とは─3つの視点

  1. キャラクターの〈動機〉づけ*4を含んだ背景世界情報をGM側から提供できること。*5
  2. 「個別導入シナリオ」≒「〈動機〉の不一致を前提としたシナリオ」を作りやすいこと。*6
  3. プレーヤーが「〈動機〉づけのゲーム」をより自覚的にプレイしやすくなること。*7

 このような条件のうちいくつかが「楽しみたいゲーム」の条件と一致する場合、「ハンドアウト」は非常に役に立つものとなります。それぞれの項目については注釈にて述べましたので、エントリ末尾の注釈を、ブラウザの文字を大きくしてご確認ください。
 つまるところ、「ハンドアウト」は、各プレーヤーキャラクターの〈動機〉を補完し充実させ、さらにそれらのズレや衝突をプレーヤー間でうまく調整することをメインに楽しむようなRPGシナリオ/RPGシステムにおいて、もっとも効果的に働くというわけです。

 しかしその逆に、

  1. キャラクターの〈動機〉はゲームコンセプトにそれほど影響しない。
    1. もっと別の、大きな楽しみがシステムやGMによって用意されている。(ダンジョン,社会的に解決すべき大問題など)
  2. プレーヤーキャラクターの〈動機〉は基本的に一致していた方が望ましい。
    1. 昔ながらの、チーム一丸となってとりかかることを第一とするゲームを提供したいので、「個別導入」はそれほど重視しない。
    2. 背景世界の習熟度がイマイチなので、個別導入を見合わせた方がうまくいきやすい。
  3. プレーヤーはノーヒントで「〈動機〉の不一致」をすり合わせ、昇華すること、それ自体を楽しみにしたいと全員が考えている。
    1. 失敗してもよいから難易度の高い状態で遊びたい。
    2. GMが提示するハンドアウトにあてはまらないPCをガンガンやっていきたい。

 これらの条件のうちいくつかにあてはまるようなゲームを遊びたい、と考えていた場合、ここで「ハンドアウト」を使用することは、あまり好ましくありません。これはGMが提供したいゲームや、プレイグループが遊びたいゲームによって出てくる志向の違いであり、単純に優劣で比べることはできません。

 ただ、個人的な経験から話させていただきますと、私は幸いにも(?)第一世代、第二世代RPGを好んで遊ぶプレイグループに所属してずっとやってきたものですから、FEAR社のシナリオ以外で遊ぶ場合は、たとえ個別導入型のシナリオであっても、ハンドアウトで明示するよりは、できるだけ話し合いですり合わせていく方を好みますし、実際そのようにしています。そちらの方が、よりダイレクトに認識のズレを確認しあえる気がするんですよね。結構ぶつかりあいもありますが、それを許容できる仲間ならではのぶつかり合いですから、特に問題を感じたことはありません。
 まあ今の話は好みと、プレイ環境に依存する話であって、このエントリですでに述べたように、ハンドアウトのメリットを十分理解した上でのこぼれ話としてお読みください。
 たとえば、GMの提示した役割に対して、いかにエレガントなレスポンスを返せるか。これもハンドアウトの面白さですよね。私はそのような卓越したレスポンスを、1件だけ見たことがあります。*8
 ほかにも色々と言えることはあるのかもしれませんが、ひとまずここまで。
 ところで、FEAR社の製品あるいはサポート誌で「ハンドアウト」的なものが歴史的に初めて登場したのは「いつ、どこ」なのか、ご存知の方はいらっしゃいませんか?
 私はハンドアウトを調べる際、まずそのことが気になってしまいました。「FEARが国内初ではない、もっと旧い例がある」といった指摘でもかまいません、情報お持ちの方は私の方までお寄せください。メールでも結構です。

*1:http://neo.g.hatena.ne.jp/extramegane/20071220/1198100023

*2:基本的に、背景世界の豊富なTRPGシステムは、それを取り回すにあたり、きわめて膨大な背景世界知識とルールの習熟が要求される。ローカルなTRPG環境が育っていないと、〈第二世代RPG〉に属するシステムの面白さを味わうことはむずかしい。第三世代RPGはその点、人脈にある程度依存せずとも楽しくTRPGが遊べるように努力している点が多い。

*3:もちろんこの話には3点ほど留保がつく。その1──FEARにはハンドアウトを必ずしも必要としないRPGシステムがある。代表は『アリアンロッド』など。その2──近年のRPGシステムには、FEAR社以外のものでも、ハンドアウトを採用しているシナリオが存在する。その3──「ハンドアウト」それ自体は過去のTRPG文化においてもしばしばGMによって試みられた手法であり、FEAR社の専売特許というわけではない。それを「商品流通に載せて定式化した」のがもっとも早かったのがFEAR社だという点は確かだが。

*4:ここはScoops RPGにコラムを連載している牡牛氏の議論を参照している。詳しくはhttp://d.hatena.ne.jp/gginc/20071127/1196130064を参照のこと。

*5:TRPGは、基本的に仮想世界に生きるキャラクターの〈行為〉を、ボードゲームデザインの技法で判定することで進んでいく。したがってTRPGでは、5W1Hで言うところの「How」のみが問題になることが多い。しかし、一方でTRPGには「How」以外の状況描写もゲームデザイン対象にしようとしてきた歴史がある。その一つが「Why」──キャラクターの〈動機〉を取り扱ったゲームである。「ハンドアウト」は、基本的に「プレーヤーキャラクターXは、〜〜のような社会的背景を持ち、過去に〜〜のような体験をし、そして今〜〜のような状況に遭遇している。したがってあなたはこの課題を解決しなければならないと思ったのだった云々」という情報が簡潔に記されている。これはまさにキャラクターレベルで遵守すべき〈動機〉がシナリオレベルで提供されていることに等しい。そして、プレーヤーはこの〈動機〉を無視しないようにしながら、他のキャラクターの〈動機〉も尊重しつつ、無事セッションを終わらせなければならないのである。

*6:「個別導入」という言葉の対義語は何かといえば、私はこれを「一括導入」であると考えている。よくある「きみたちが酒場にいると、依頼人が〜〜」という話。ここで問題となっているのは「きみたち」であって、「君一人」ではない。これが「一括導入」である。この場合は、「きみたち」であるPCパーティが協力して一つの課題を解決すればよいのだから、そこに〈意志決定〉はないわけだ。しかし、「ハンドアウト」を使うと、その大前提が崩れる。「ハンドアウト」は、すぐ上の註で採り上げたように、キャラクターレベルで遵守すべき〈動機〉を規定するものであって、チーム前提の動機や目的を決定するものではない。したがって、キャラクターごとに〈動機〉が完全に一致することは、「個別導入を前提としたハンドアウト」を使った場合においてはまずありえないわけだ。そして、ハンドアウトを使った〈動機〉づけのゲームは、「プレーヤーキャラクター同士の〈動機〉のズレをいかにうまくすり合わせて、シナリオをクリアするか」という、協調性を必要とするゲームに発展していく。FEARのシーン制RPGシステムは、このような〈動機〉の衝突と昇華がゲームコンセプトの中心に置かれていて、そのコンセプトをより明快にするものとして「ハンドアウト」があるのだと考えた方がよいと私は考えている。

*7:さて、「個別導入」を前提としたシナリオ、そしてそこから課題として導かれる「〈動機〉の不一致とその解消」を楽しむために、「ハンドアウト」というシナリオ記述方法が大変役に立つことは上に述べたとおりである。ところでこのことは、「ハンドアウト」を使わずとも楽しめるではないか、という反論が当然予想される。この反論はおそらく、以下の2つの点に要約されるだろう。1つ。背景世界が元から豊富なAD&Dや『ルーンクエスト』『トラベラー』『シャドウラン』『ワールドオブダークネス』などなどのRPGシステムにおいては、特に「ハンドアウト」でキャラクター情報を拡充しなくても済むくらい、豊富な動機付けのための情報が与えられている。2つ。長くそのシステムに慣れ親しんだプレイグループがあれば、話し合いやすりあわせにじっくり時間をかければ、暗黙のうちにそうしたことはできるし、わざわざ明示するのは野暮ではないか──。確かに、そういう他システムのことを考えれば「ハンドアウト」はまったく不要である。しかし、FEARのシーン制RPGと「ハンドアウト」の組み合わせは、この2点が満たされていない場合でも「動機づけのゲーム」が楽しめるようにデザインされていると理解するべきである。たとえば1つめの点に関しては、「背景世界をプレーヤーが十分に熟知していなくても、ハンドアウトの情報さえきちんと理解していれば、セッション中の役割を果たすことができる」し、2つめの点に書かれているようなプレイグループが周囲になくとも、「プレイグループの交流度に依存せず、その場その場で楽しめるよう配慮されたシステムデザイン」が用意されている。このように考えれば、背景世界をウリにした〈第二世代RPG〉とFEARのシーン制RPGシステムとの間の距離は、意外に近いと言えるのである。

*8:他にも優れた人はいたかもしれませんが、その方を超えるFEARのハンドアウト解釈はいまだに見たことがないですね。あくまで個人的意見として。