GOD AND GOLEM, Inc. (はてなダイアリー倉庫版)

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中国PC企業「レノヴォ(聯想集団)」とShadowrunにおける〈ネオアナーキズム〉

 ThinkPadって、いつのまにLenovoに買収されていたんですね。

 Wikipedia─聯想集団

 私が今職場*1で使っているのもThinkpadですが、すっかり昔の頭でIBM社製だと勘違いしていました。いやはや、観察力なさすぎというか、思い込みが激しすぎると言うか。
 IBMがPC製造・販売を切り離して、Lenovoに売り渡した。その結果出来たのが、「DELL,hp,Lenovo」のPC販売三大巨頭。
シャドウランで言うと「MCT,レンラク,アズテクノロジー」ってところですか。*2ざっつ・ぐろーばりぜーしょん。
 しかしどうなんだろ。情報技術を売る事業について考えた場合、GoogleやYahooのように、サービスの方が金になるととらえるのか。それともPCや自動車*3のようなプロダクトにまつわる技術力を保持・発展させることが金になると考えるのか。
 こういう経営感覚についてはまるで素人なもので、さっぱり判断できないのですが、ともあれ今中国で伸びている企業である「Lenovo」が今後どんな風に中国政府(=筆頭株主)と連動して発展していくのか、ちょっと面白いなと思ってみています。
 それにしても、上のGenich!さんのメガコーポ解説、今読んでも面白いな。私がサイバーパンクSFにハマッたきっかけが『シャドウラン』だったことを改めて思い出させてくれます。
 サイバーパンク世界にファンタジーを投入したかと思いきや、その背景に政治思想や社会風刺がきっちり盛り込まれていて、それが10代の私にとっては“パンク”に見えたんですよ。
 日本人の文化的風土や、文芸解釈に関するプレイヤビリティを考えると、そのことには色々と運用面で問題があったんですが、それでもブルース・スターリングの否定的な感想とはまったく別に「こりゃーまぎれもないサイバーパンクだ」と思わせてくれたんです。

次のサイバーパンクのゲームは、もっと成功したもので FASA という会社の Shadowrun というものだった。このゲームの仕組みはすぐれていたが、シナリオはばかげたファンタジーの要素、エルフ、トロール、魔法使い、ドラゴンだとかによって台無しになっていて、ハードエッジのハイテクな、サイバーパンクのサイエンスフィクションの基準にしたがっていえば、考え方の根本から全く間違っていた。
(Starling 1992=1994

 この世界の特徴は現代社会(特にアメリカ)の鏡像であるということ。
 人種差別がエルフやトロールといったメタヒューマン種族差別に置き換えられ、環境問題はそのままシャーマンの自然崇拝や汚染精霊(追加サプリメントで紹介)になり、企業支配は強大な経済力と軍事力を持ったメガ・コーポとして表される。さらに、ネイティブ・アメリカン(インディアン)差別・支配問題はネイティブ・アメリカン諸国の独立、マスコミ報道やエンターテイメントはそのまま巨大メディア、テロリズムはネオ・アナーキズム(自由市場原理を重視する思想。巨大企業とは根本で対立する)、カルト問題は表向きは慈善団体であるが実体は汚染精霊を崇める集団Universal Brotherhood、麻薬はBTL(Better Than Life:人生より素晴らしいもの)と呼ばれる電脳麻薬、などというように種々の問題が形を変えて、あるいはそのままの形で世界の中に取り込まれている。“Germany Sourcebook”、アメリカでも出版されたドイツ製サプリメントでは、宗教さえも扱っている。
 しかも、そういった問題に優等生的な答えを与えるのではなく、その真っ只中、理屈の通じない環境の中にすべてを放り込んでいく。
武藤1997

 それに、当時は海外RPGのバックボーンをこうして学問的見地から分析してくれるTRPGゲーマーが結構沢山いて、それが自分にとってさらに面白かった。今はこういう方面での「才能の無駄遣い」をしてくれるネット上のアマチュアゲーマーが、めっきり少なくなってしまいました。まあ、システムがそういう「お勉強」をせずとも済むように、適切な分量の素材を提供してくれるようになったこともある程度関係しているとは思うのですが、当時はそういったアマチュアゲーマーの活動が──それがたとえ「システムデザインの不備を埋めるために仕方なく必要な作業だった」としても──TRPGの魅力の一つになっていたのは、確実にあったと思います。*4

 2008年現在で考えると、ここでいうネオ・アナーキズムって、今の政治思想で言うと何になるだろう。「リバタリアニズム」の幾つかの立場のうち、どれかになるのな。

 巨大企業が実は「市場」の機能を不完全にしているという発想が、この政治思想の元にあるようです。

■〈ネオ・アナーキズム〉について(Genich!のメガコーポ解説より一部抜粋)

 Shadowrun の根底にはいくつもの思想が流れています。
 例えば、メタヒューマンに対する差別と公民権運動の対決。NAN のような先住民と白人との対立。などなど。ただしこれらはどっちかと言うと日本人にもわかりやすい。

 ところが、ちと理解しにくいものに、ネオ・アナーキズムと呼ばれる思想があります。新無政府主義? 単なるテロリストと思われそうですが、そうではない。シャドウランナー達の中にも、この思想に心酔しているものは数多くいます。 今回は、このネオ・アナーキズムについて、解説しましょう。

 Neo Anarchism─ネオ・アナーキズムとは、「人類をあらゆる社会的強制から解放しよう」という思想です。
 この思想は、単に「面倒なことを言われるのはごめんだ」という自分勝手な思想ではなく、経済学的な裏付けを持っています。すなわち、「あらゆる強制は、市場の自由競争を阻害し、社会福利の最大化を妨げる」というものです。

 ネオ・アナーキズムは、アダム・スミスの古典的自由経済学、あるいはハイエクフリードマンと言ったシカゴ学派の経済学に一面で似ています。ネオ・アナーキズムが社会福利の最大化を実現するために最も重要と考えるのは、国家による社会福祉ではなく、完全な自由競争市場です。

(中略)

 さて、強制のない自由市場が達成されるためには、以下の四つの条件が必要です。

  1. 買い手/売り手ともに十分多数存在していること
  2. 商品がみな同じ品質を保持していること
  3. 売り手にも、参入および撤退の自由が与えられること
  4. 売り手/買い手には商品や価格についての完全な情報が与えられること

 ネオ・アナーキズムが古典経済学と一線を画しているのはここからです。
 フリードマンらはいわゆる大企業性悪説を「ヒステリー」として一蹴しますが、ネオ・アナーキスト達は大企業によって自由市場が歪められている現実を率直に認めます。国家政府が力を失った今、人類に対して巨大な強制力を持っているのは、メガコーポに他なりません。彼らは、売り手を寡占化し、競争相手の参入を様々な手段で妨害し、さらに必要な情報を隠匿して市場操作を行っています。
 そう、ネオ・アナーキスト達の敵はメガコーポです。彼らは、メガコーポによる市場支配を打ち砕くべく、日夜活動を続けているのです。

 と言っても、ネオ・アナーキスト達は、20世紀の共産ゲリラ達がやったような無差別爆弾テロなどは行いません。彼らの武器は、情報です。
 ネオ・アナーキスト達の戦いは、メガコーポの隠匿している情報を盗みだし、一般に公開する、という形で行われます。メガコーポの嘘と腐敗を白日の下に引きずり出し、メガコーポ支配を素直に受け入れている大衆達の目を醒ましてやるのです。
 そうして大衆がこの欺瞞に満ちた世界の真の姿に気付いたとき、彼らの待ち望むネオ・アナーキスト・パラダイスがやってくるでしょう。

 というとまるでネオ・アナーキスト達が正義の戦士のように聞こえますが、よくよく彼らの言い分を聞いてみると、検討すべき穴がいくつもあります。例えば、自由市場における景気循環をどうするのか。もともとケインズ学派というのは、古典経済学が恐慌に対して無力であった反省から生まれたものです。最近では「ケインズもだめだー」とかいうことになっていますが、レーガノミックスも結局ああだったしねえ。2054年では政府が力を失っている代わり、それに匹敵する大企業が市場をコントロールすることで、恐慌が来るのを防いでいる、と考えられます。このコントロール機構を外して単なる自由市場にしてしまえば、結局20世紀初めと同じような周期的な恐慌の到来を防げないでしょう。

 そういうわけで、ネオ・アナーキズムが必ずしも社会全体のために正しいかどうかはよくわからなくて、どっちかというと自己満足な正義の味方、という気もしなくもありませんが、しかしそれでも

   えれーかっこええ思想

ではあります。いいよねえ。巨大なメガコーポを敵に回して、個人の力で戦うんだぜ。しかも大衆を「啓蒙する」と来たもんだ。「ネオ・アナーキストである」という自分のスタイルに心酔しているシャドウランナーとか、凄くいいよなあ。うんうん。
(Genich! 1996,強調は高橋による)

 『シャドウラン第四版』は2070年まで進んでいるけれど、2070年におけるネオアナーキズムって、どうなってるのでしょうね。他の多くの政治思想と同じように、廃れて陳腐化してしまっているのか。
 版権がFASAからWizkids,WizkidsからCatalyst Game Labsへと移っていくうちに、当初のイカレた社会思想が曖昧になってきている気はするんですね。もちろん形を変えながらも残っていることは、未訳本を読んでいるのである程度理解してはいるのですが、日本国内ではやや失伝してしまっている。一ファンとしては、遊べるレベルまでどうにか落とし込めればいいなと思っています。
 シャドウランは戦闘ゲームな側面が強いようでいて、実は〈背景世界〉とそこから導き出される濃厚な〈ロールプレイング〉あってこそ長続きするゲームだと思いますんで、それが味わえると、よいですね。
 

シャドウラン 4th Edition (Role&Roll RPGシリーズ)

シャドウラン 4th Edition (Role&Roll RPGシリーズ)

*1:情報系研究丁稚奉公

*2:アズテク=Lenovo。これは「悪の集団」というわけではなく、資本を持っているのが中国政府だということに由来する喩え

*3:自動車産業も高度なコンピュータ・プログラムが使われるため、結果として大手PC・自動車産業は高度な技術資産を抱えることになる。ところで現在の日本の自動車などはあまりに高精度過ぎて、ソフトウェア技術者がいない場所では修理がきわめて困難になるという。たとえばシャープペンシルは、ボタン一回で一定の長さの芯が出力されるという点でまぎれもなく「機械」の一種だが、もしコンピュータ・プログラムによって射出の尺度をミリ単位で補正できるような(おバカな)シャープペンシルが開発されたとして、その修理はソフト面と物理面の両方の整備技術が必要になるだろう。自動車でも、そういう「コンピュータ化されたシャープペンシル」のような方向に進展しているのである。ホンダのロボット開発しかり。トヨタではトランペット・ロボットもできたし、こないだ地元では日産のロボットナビ四輪自動車なんてのも展示されていた。「自動車産業」が「IT産業」の枠組みと融合しつつあるというわけだ。

*4:この努力が、TRPGにおいて「不要」と考えるか「必要」と考えるかで私はまだ結論を出せていません。TRPG商売の中には、こうした努力が「負担」であるという立場に立って、親切な設計を志向しているTRPGシステムもありますし、その逆に外部からの知識をうまく活かした方が面白いシステムも沢山あります。そのどちらが良いとは一概に言い切れないのですが、少なくとも私にとっては、ゲーム以外からも貪欲に知識を集める努力を怠らずにゲームを続けた先輩方に、個人的に尊敬できる人物が多いとは感じていますし、私もそういうゲーマーでありたいと思っています。たぶんこれは流派的な問題に帰着してしまうのかなぁ。ただ、これはゲイリー・ガイギャックス大先生も強調していた、TRPGの大きなメリットでもあります。詳しくは社会思想社刊『ロールプレイング・ゲームの達人』を参照。