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高橋源一郎2002『一億三千万人のための小説教室』

 高橋源一郎2002『一億三千万人のための小説教室』を、先輩から手渡しで貰う。
 先輩は特に小説書きというわけではないが(そして私もまたべつに小説書きでもなんでもないが)、何か感銘を受けたようで、只でくれた。
 薦める時、先輩は「クジラの足」の話を切り出して、それだけを私に強調した。「クジラの足を調べるまで小説は書くな」と言った。後で読んでみて、なるほど、先輩らしいよいレトリックだと思った。私が誰かにこれを進めるとき、そのくだりを抽出するよりもよいリコメンドを思いつけない。「叶わないな」と思った。

一億三千万人のための小説教室 (岩波新書 新赤版 (786))

一億三千万人のための小説教室 (岩波新書 新赤版 (786))

 読みながら、私とこの本の関係について考えていた、より正確に言えば、3年前、この本を店頭で立ち読みして、あるくだりを読んであっさり放り出してしまった理由について考えていたのだ。私は中盤の“その部分”を読み超えるまで、この本を立ち読みした過去の経験自体をすっかり忘れていた。
 高橋の言葉を借りるなら、おそらく私は今よりもずっと〈ボール〉について不寛容だったのだろう。長い時間をかけて、ふとした拍子に再び戻ってきた彼の書物を、ようやく受け止めることができた。しかも、いともあっさりと。
 位置をずらしたいというなら、自分はどの位置へとズレていきたいのだろう。ル=グィンと村上春樹がかつて述べた言葉をそれぞれ思い浮かべながら、そんなことを考えている。そして evocation という単語、polyphonyについて、考えている(今月、ずっとひっかかっている言葉だ。どちらも高橋源一郎の言葉ではなく、人類学者タイラーの言葉だ)。

「続きを読む」に、高橋源一郎が抽出した20のステップを抜粋しておいた。すでに読み終えた方だけ、参考にしていただければと思う。(読み終えていないほとんどの方は、この先を読む必要はない)。 大塚英志『物語の体操』の帯に、高橋が賞賛に近い悪罵を書き連ねていたことを、ふと思い出した。
 大塚と高橋がそれぞれ取り組んだ“小説語り”は、同じようで、読んでみればまるで真逆のようで、けれどやはり、同じ目的で営まれているのだろう。


■20のステップ

  1. なにもはじまっていないこと、小説がまだ書かれていないことをじっくり楽しもう
  2. 小説の、最初の一行は、できるだけ我慢して、遅くはじめなければならない
  3. 待っている間、小説とは、ぜんぜん関係ないことを、考えてみよう
  4. 小説を書く前に、クジラに足がなん本あるか調べてみよう
  5. 小説を、いつ書きはじめたらいいか、それが、いちばん難しい
  6. 小説を書くためには、「バカ」でなければならない
  7. 小説に書けるには、ほんとうに知っていること、だけ
  8. 小説は書くものじゃない、つかまえるものだ
  9. あることを(小説のことを、でいいでしょう。あるいは、書こうとしているなにかを、もし、なにを書くか決めていなかったとしたら、いったいなにを書けばいいのかを)徹底して考えてみる。考えて、考えて、どうしようもなくなったら、まったく別の角度で考え出してみる
  10. 世界を、まったくちがうように見る、あるいは、世界が、まったくちがうように見えるまで、待つ
  11. 小説と、遊んでやる
  12. 向こうから来たボールに対して、本能的にからだを動かせるようになる
  13. 小説は、どちらかというと、マジメにつきあう(「交際させてください」と相手の両親に頼むみたいに)より、遊びでつきあった方が、お互いのためになる
  14. 小説をつかまえるためには、こっちからも歩いていかなければならない
  15. 世界は、(おもしろい)小説で、できている
  16. 小説を、あかんぼうがははおやのしゃべることばをまねするように、まねる
  17. なにかをもっと知りたいと思う時、いちばんいいやり方は、それをまねすることだ
  18. 小説はいう、生きろ、と
  19. 小説は、写真の横に、マンガの横に、あらゆるところに、突然、生まれる
  20. 自分のことを書きなさい、ただし、ほんの少しだけ、楽しいウソをついて