GOD AND GOLEM, Inc. (はてなダイアリー倉庫版)

2007-2012まで運用していた旧はてなダイアリーの倉庫です。新規記事の投稿は滅多に行いません。

Vampire.S氏とのディスカッション

 先日の「会話型RPGTRPG)における〈プレイング〉の内実(改訂版)」(http://d.hatena.ne.jp/gginc/20100822/1282520395)について、Vampire.S氏からコメントを戴きました。ありがとうございます。
 以下は、ご本人より掲載許可を戴いたSkype上でのディスカッションの記録となります。元のテキストでは詰め切れなかった部分も含めて話していますので、先日のテキストを読まれた方はどうぞ参考になさってください。
 参考までに:Vanoure.S氏は情報科学を、高橋は理論社会学(ミクロ)をそれぞれdisciplineとしています。またVampire.S氏は、『ルーンクエスト』シリーズのデザイナーとして有名なグレッグ・スタフォードのグローランサ世界を遊ぶ為の同人TRPGRune=Wars』のメカニズム・デザインを手がけている方でもあります。詳しくは「ルーン・ウォーズへの招待」(http://www.dunharrow.org/pukiwiki/runewars/index.php?Rune%20Wars%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%8B%9B%E5%BE%85)や「定義集」(http://www.dunharrow.org/pukiwiki/runewars/index.php?definitions)などをご覧下さい。高橋は今回のチャットにおいても、R=W由来の術語について何度か言及しています。

ログ(100824Tue-25Wed)

Vampire.S: どうも、ご無沙汰をしております。Vampire.Sです。夜分遅くに申し訳ありません。
高橋志臣: こんばんは。お疲れさまです。
Vampire.S: どうもお疲れ様です。
Vampire.S: ところで、実は、志臣氏の文章を拝見して疑問に思ったのですが
高橋: はい。
Vampire.S: 元の文章である『[RPGs]会話型RPGTRPG)における〈プレイング〉の内実(改訂版)』における主張というのは、結局の所何なのでしょう? 「TRPGにおいては、量的情報と質的情報が両方存在することが本質的である」 という主張なんでしょうか。
高橋: うーんと、本質的、というほど強い主張ではないですし、たぶん語用も十分ではなかったかな、と思います。
高橋: 「意味が(おおむね)一対一対応するようなパラメータの定義」と「意味が一対一対応にはならない、さまざまな定量的・定性的情報」の両方を参照しつつ、架空の状況で起きた出来事を処理することが会話型RPGの特徴であるという感じです。R=Wで以前まりおんさんがまとめていた形式言語自然言語の往復のイメージを意識していましたが、違う言葉づかいになりました。

 で、もちろん以前おっしゃられた「対ドラゴンブレスセービングスロー」問題*1のように、実際、対ドラゴンブレスSTの意味が対象の適用によって拡張することは往々にしてあるので、あらゆる〈量的情報〉が“始めから終わりまで、ずっと”一対一対応というのは、ちょっとありえない。GMとPLの運用に向けた話し合いの中で、どうしても色んな対象とヒモづけられていく。ですが、初期の変数定義においては少なくともそういう発想ということでいいのではないか、と思っていました。
Vampire.S: ちょっと、具体例についての質問をよろしいでしょうか。
高橋: はい。
Vampire.S: 今、「意味が一意に定まる≒アプリオリに定義を有する述語」と、「意味が多義に渡る≒ポステリオリにのみ意味が定まる、即ち文脈がある述語」の両方があることが、TRPGの本質である、と主張するとします。
Vampire.S: たぶん、そちらの仰っていることは、概ね上述の内容と等価と思いますが、どうでしょう?
高橋: その通りになります(今、すでに自己批判の内容も思いつきましたが、今回のテクストは上の主張通りです)
Vampire.S: そうしますと、主張として等価に、「両方の述語が登場しない限り、『TRPG』にはならない」となるかと思いますが、いかがでしょう。つまるところ、「本質的である」という言葉の定義問題ですが。
高橋: そうですね。「本質的」という言葉は、(今回のテキストでも、註釈としても)両方避けて通ったのですが、「多くのRPGセッションの場では、両方が参照されることが多い」という風には考えています。
Vampire.S: すると、例外を認めるんでしょうか?
高橋: この場合、例外は3つありますよね。

  • 〈量的情報〉のみで閉じる・完結するセッション
  • 〈質的情報〉のみで閉じる・完結するセッション
  • 〈量的情報〉も〈質的情報〉も参照しないセッション

Vampire.S: なるほど、そもそも、TRPG」という述語は、セッションの集合を元に定義されているんですね。
高橋: ああ、はい、そうです。

この三者が一同に会する場(ルーンウォーズで近い術語で言えば〈テーブル〉での発話の集合)における、情報の性格を分類したものにあたります。>〈量的情報〉&〈質的情報〉
Vampire.S: その分類により、どのようなコトが新しく主張できるようになるのでしょう? といいますのも、量的だから、あるいは質的だから、どうした、という結論の部分が分からないからなのですが。それと、今、そもそも議論中に例外を認めているため、断定的な議論にはそもそもならないと思うのですが、その場合その議論の当否を決定しているような証拠は、どのようなものなのでしょうか?
高橋: あるデータ(これは量的でも質的でもよい)を、質的/量的 というタームで分けることは、パラフレーズすればそれなりに意味は通ってるものの、自分の文意を伝えるのにあまり適したネーミングではなかったように思います。

 R=Wに対する僕なりの理解で今回の話を具体的に述べると、たとえば「4R2」 を「44人」と変換しうるメカニズムがあったとしても*2、もともとのグローランサの情報「44人の村人」という情報が「4R2」と“常に”等価であるとは限らない。4R2が、今回述べた〈量的情報〉にあたり、44人が、〈質的情報〉にあたります。
 ここで言う「44人」もまた人数のvariable(=変数)ですから、そもそも「質的情報」と呼ぶのは若干誤解を生みかねないところではあるのですが、本テキストでは、敢えてそのようなタームを使ってみました。そもそも、本論で変数をparameterと訳しているのは、単なる設定情報としてのvariableと、ゲームの数理的構造や行為判定メカニズムに埋め込まれた、一対一対応の変数と区別するためでした。*3

  • ある単一の論理構造において一意の意味をもつ定量的情報(indexical data)
  • 定量的情報ではあるが、さまざまな解釈が可能なもの、および自然言語による情報(symbolic data)

 最終的には、今書いている〈量的情報〉をindexical dataに、〈質的情報〉をsymbolic dataに、置き換えて考えられるといいと思っていたのですが、このindexical/symbolicの区別は、社会科学一般のタームからも唐突ですので、今回避けた次第です。
Vampire.S: そうすると、文中において全ての“情報”という述語は、背景に論理的であることが仮定されているのでしょうか? あるいは、同じ事ですが、“情報”は常に何らかの意味で背景に形式性を要求するんでしょうか。
高橋: データは、量的だろうと質的だろうとデータですが、「ひとまず一対一対応であると(その時点で見なす)」のがindexical data,定量的だろうと定性的だろうと、将来どのようなindexical dataにも置き換えうるような情報を、symbolic data という風に区分しました。
Vampire.S: この場合の「データ」とは、どのように定義される述語でしょうか? 一般には、何らかの分類的背景を仮定するような情報のことを、データと称しますよね。
高橋: indexical dataについては、その通り、考えています。indexical dataは、そのdataの背景に、〈行為判定〉の際に参照する、というような前提(多くは、確率の付与)を持ちます。これはだいぶstaticです。

 データは、そうですね。「会話型RPGのセッション内発話において、特定の内容の記述を行う為に参照されることを念頭に置いて加工された情報(自然言語であることもあれば、数値や数式、確率分布等の形式的言語を含むこともある)」と、さしあたり考えています。
Vampire.S: そうしますと、元の主張を修文すると、「TRPGにおいては、行為判定に参照される前提となるような述語と、そうでないことを前提としているような述語の二つが登場することが、本質的である」となりましょうか?
高橋: いいえ、もう少し修正させてください。

「会話型RPGにおいては、行為判定において直接、既存のルール内で参照される前提となるような述語と、“潜在的に既存の形式言語的処理”に取り込みうるような(しかし、そのままではさまざまな取り込み方が想定可能な)述語の2つが登場し、その両方がセッションの参加者の解釈によって相互乗り入れすることが、特徴的である」

というほどになります。
Vampire.S: そうしますと、「潜在的に既存の形式言語的処理”に取り込みうるような(しかし、そのままではさまざまな取り込み方が想定可能な)述語」からなる会話は、TRPGの範疇には入らないんでしょうか。
高橋: いいえ。以前、Sさんが「〔〈ポリシー〉に対する〕〈メカニズム〉は、別に数学的構造だけとは限らない。自然言語によって記述された情報もメカニズムである」ということを言っていましたが、セッションにおいて、数値・数式・確率などの形式的処理を経ずとも、参加者間の合意が持続する限りは、それもまたTRPGの範疇に入る、と理解しています。むしろ、「合意」さえればそれは形式言語だろうと自然言語だろうと、どっちでも構わない、といえば、近いのでしょうか。
Vampire.S: 一方、純粋に「既存のルール内で参照される前提となるような術語」のみからなるゲーム行為は、TRPGに入らないんでしょうか?
例えば、将棋のような。
高橋: うーん、そうですね。将棋は、RPGに入らないかな、と現行では考えていますが、
たとえば、ルーンバウンドは「既存のルール内で直接参照される前提となるような術語」のみで構成されたTRPGではないか――そのように反論されれば、「そう解釈する余地はある」と考えます。
Vampire.S: そうすると、「会話型RPGにおいては、行為判定において直接、既存のルール内で参照される前提となるような述語と、“潜在的に既存の形式言語的処理”に取り込みうるような(しかし、そのままではさまざまな取り込み方が想定可能な)述語の2つが登場し、その両方がセッションの参加者の解釈によって相互乗り入れすることが、特徴的である」とは、結局どういう主張になるのでしょうか?

 今、「特徴的である」という主張にも関わらず、結局の所TRPGの集合を区分するメルクマールとしては意味をなしていないと思うのですが。
高橋: うーん、そうですね。
 僕はまず、「TRPGは物語を楽しむ遊びである」という主張と、「TRPGはゲーム(ウォーゲームの流れを汲むような、数値的データに親しむゲーム)である」というような二分法のどちらか一方に、TRPGのプレイングは偏りがちである、という背景をまず、前提としていました。

 しかしそこで僕は、むしろ「既存のルール内で参照される前提となるような述語」によって構成された構造と、「“潜在的に既存の形式言語的処理”に取り込みうるような(しかし、そのままではさまざまな取り込み方が想定可能な)述語」によって大まかに想起・期待されるようなナレーションとの齟齬を、参加者間で調整していくこと自体が課題となるようなゲーム、それが多くの会話型RPGの特徴だ……そのくらいのことを伝えようとして書いたものなんですね。
Vampire.S: 「多い」という観察を伝える情報であれば、それを主張すべきは統計であって論理ではないですよね。まあ、とにかく話を元に戻しますと。実は、今回のエントリを拝見して、一読して意味が分からなかったのでして。大体今おつきあい頂いた対話で、概要は掴めたとは思うのですが。しかるに、あれだけ文章を書いているのに結論が少ないなあ、というのが率直な感想です。
高橋: TRPGにおけるセッションの全体をもれなく定義するような論理になっていない、というのは、そうみたいですね。そして、もれなく定義できない以上は、統計的アプローチで整理したほうがよくて、わざわざああしたアプローチ(=論理的アプローチ)で書く必要はないと。
Vampire.S: 確実に、そうなるかと。
 セッションを単位としてTRPGを検討するのであれば、リプレイはセッションの記録ですから、既存リプレイ等を分類して頻度分布をとったりする方が単なる主張の根拠として良いと思います。
高橋: 加工は入っているものの、近似は掴めると。
Vampire.S: どうせ、例外を認める議論は全て近似に過ぎませんので。
高橋: 論理的にRPGという営みを定義できればいいのですが、どうもうまくいかないようです。今回のものも、それができたとはあまり自分自身思ってはいないですし。
Vampire.S: 話を戻しますと、仮にリプレイを分析した結果を統計として積み重ねるのであれば、必要なのはリプレイのテクスト中に出現する述語がindexicalであるか、それともsymbolicであるかのメルクマール〔=判断の指標〕ですよね。外形標準的な。
高橋: そうですね。
Vampire.S: ところで、そういったメルクマールってあるんでしょうか?
高橋: 厳密に区切るのは、相当にむずかしいですね。
Vampire.S: というか、実は、そこの議論がトートロジー臭いな、というのが率直な感想です。
高橋:

  • 「プレーヤーとして発話している」
  • 「プレーヤーキャラクターとして発話している」
  • 「プレイ外の生活者として発話している」

という区分なら、いくぶん区切りやすくはなりそうですが。
Vampire.S: それも区分可能かなあ?
高橋: うーん、不可能だというほどでもないですが、排他的にやるとなると、厳しいですね。 そもそもみんな生活してるものの一部としてゲームやってるわけで。ちなみにこの辺の話は、Salen and Zimmerman*4 が ordinary world/temporal worldという区別をひとまず提示してました。こっちも甘めな議論でしたが。
Vampire.S: そもそも、叙述トリックって、読者と登場人物を錯覚させるような叙述法を用いた文学手法ですよね。
高橋: そうですね。
Vampire.S: すると、叙述トリックをシナリオ中に実装すれば、構成的に、区分不能な例を作れる気がするんですが。特に、Call of Cthulhuとかでプレイヤーと同じ名前のキャラクターを生成させた場合とか。〔あるいは〕蓬莱学園RPGで、TRPGサークルに属するPCを生成させたときとか。
高橋: その通りかと思います。テクニックとしてそういうのが考えられる以上、先ほどの区切りにも無理があることを認めます。曖昧な認知枠組の転換(keying)はおそらくあるのでしょうが、それが排他的に「どの役割」「どの言語体系」に相互排他的に属しているかという指標を定めるのは、限りなくむずかしいでしょうね。
Vampire.S: 極論、It came from late, late, late show! みたいな、RPG内部でメタRPGを実施することを以て中核とするようなメカニズムが実在するんですよね。
高橋: そうですね。
Vampire.S: なので、たぶんそういう場所で適当に捻ってやると、論理が簡単に破綻すると思うのです。
高橋: AマホでPL自身をプレイさせて、コンベンション会場で火事が起きる所からゲームをスタートさせるとかも、そうですね。
Vampire.S: あと、シナリオってPCに対する脚本では「ない」ですよね。
高橋: ないですね。
Vampire.S: なので、例えば「AマホでPL自身をプレイさせて、コンベンション会場で火事が起きる所からゲームをスタートさせ、その後、遠隔操作でGMがコンベンション会場の火災報知器を鳴らす」というシナリオとかどうでしょうか。演出として、こういう行為が認められて射るんじゃないかなあ、一般のRPGって。
高橋: その遠隔操作とは、ゲーム内の状況におけるGM(というNPC)のことですか?
Vampire.S: うんにゃ。ホントに「GMが」火災報知器を押すのです。
高橋: ああ、なるほど。リアルワールドのGM
Vampire.S: そうした方が、面白いでしょうし。ちなみに、ほとんど同種の話が『ガラスの仮面』とかに出てきますよね。『奇跡の人』ヘレン・ケラー役のオーディションの時のイベントですね。
高橋: うーん、記憶が遠い……。あ、あれか。レストランのテーブルの下に隠れたりするオーディション。3-4場までありましたね。最後に非常ベルがなっても、我に返らないマヤとあゆみの二人が勝つ、って話だった。
Vampire.S: 確かそれですね。あゆみさんのお母さんと一緒にやるはなし。
 ところで、話を戻しますと、主張したい目標が不明瞭だなあ、というのが一点。
 もう一点は、全体的に、例えばシナリオの定義を「シナリオとは、プレーヤーの繰るPCたちが、おおむねどのような状況に置かれており、どのような人・モノ・事件とめぐりあい、どのような課題を解決するのか……といった、一連のゲーム的仕掛けを記した手続き書のこと」とすることにより、GMがどのようにPLに対してプロットを提示するか、といった要素を捨象してしまっていて、現実のシナリオ定義とはかけ離れていると言った感じの、地に足が着いていない議論が気になりました。
 それこそ、「このシナリオはサブマスターを使用します」とかいうGMに対する指示事項が、このシナリオ定義からは落ちていまして
高橋: ああ、そうですね。確かに。GMのメカニズム選択/シナリオ作成/セッション運営の3項については、今回の議論から抜けてしまっています。
Vampire.S: 例えば、『トーキョーN◎VA』のようなGM/PLに対するゲーム的操作が許されているゲームだと、標準既成シナリオもこのシナリオ定義の中に入らなくなります。
高橋: 同時に説明しようとすると、いきおいメカニズムデザイナーとゲームマスターの職務の話までしなければならないのではないかと思い、今回はプレイングのみに的を絞ってしまいました。少なくとも、GMの側からの提案もプレイングの話の内に含めないと、適用範囲が狭まってしまいますね。
Vampire.S: Wローズとかだと、そもそもPL側も同級の権能を持ちますからねぇ。たぶん、件のシナリオに対する定義は、弱すぎて議論対象として不適切です。
高橋: その指摘については、後々「ゲームマスターが可能なこと」をまとめて、それに合わせて適宜プレイングの記述もしたほうがいいかと思いました。
Vampire.S: たぶん、そうして拡張した体系は、元々の議論が持っていた結論を引き継げないですよ。したがって、ごく狭い領域に対する弱い結論のみを主張するために、定義を狭めているという形になります。そういう風に、結論に合わせて定義を細工することをすると、学術的には価値がどんどん低くなります。
高橋: そうですね。
Vampire.S: 仮に、「indexical/symblic述語の交代性」を主題に述べたいのであれば、まずは上述の定義問題から初めて、少なくとも幾つかのリプレイ・テクストに対しては複数人が同じ程度の分類ができるところまで詰めておかない限り、学術にはならないでしょうね。
高橋: そうですね。その実証がどうしても必要ですね。
Vampire.S: とりあえず、もう少し簡単なところ、実証可能が容易な議論から始めないと、議論にならんのではないかなあ。この場合、「簡単」というのは簡素とは別の意味ですが。その際、多少の人工的定義になることを避けて通ることは出来ないでしょう。
高橋: そうですね。現状では、実証が容易な立論にはなっていないというのはその通りだと思います。
 ただ、今回提案されたような方向に一度進路を切り替えても、indexical/symbolicの仮説を見ようとするのは、僕にとっては少なからずやる価値はあるかな、とは改めて感じました。
Vampire.S: その上で、何を人工的とし、何を本質的として残すかについては、一種の哲学ですから、好みの問題が顔を出すでしょうけれども。
ところで、その場合どうやってindexical/symbolicの区別を創設するおつもりですか?
高橋: 最初は、排他的に2区分を見いだすのではなく、indexicalなものと思われていたものから背景設定が演繹される契機と、symbolicなものと思われていたものに一対一対応の数値が付与される契機との、この2つのタイミングを抽出することで、「その前後」を切り出せないものか、とは、考えています。
Vampire.S: ちなみに、そもそも、indexical/symbolicの区分を導入した先行研究は、どうやって分類していたんですか? もしそれが高度に理念的なら、ハッキリ申しまして、捨てた方が身のためだと思います。ご自分で使えない道具立てを使って、未知のモノを分析するということは、当初の問題を難しくしているだけですので。
高橋: これはパース記号論の三肢性についての論ですね。僕はかなり「使える」と思ってはいるのですが、高度に理念的かどうかと言われれば、確かに抽象度の高い話になっているかと思います。
Vampire.S: RPGは具象ですのでねぇ。特に、セッションを単位として区切った場合、検証客体が容易に発生するので。個人的に、RPGを扱う上で一番難しいのって、そういう検証可能な枠組みをどこに設定するかであると思っています。で、それに失敗する限り、もう以降の議論に価値はないんですよ。
高橋: そうですね。今回の文章は、RPGという営みを科学的に検証する、というよりは、ひとまず経験則を言語化した文章になっていますね。そういう意味で、学術的価値はそれほど高くないと思います。仮説を作るとしても、一度実証のサイクルを経てもう一度仮説の再構築に戻ってこられないと科学的営みとはいえませんね。今パース記号論にかなりコミットしているのですが、実証に行きにくいという点では、RPGに適用しすぎるのは危険(実証にいつまでもたどり着けない)という指摘は、ごもっともだと思います。
Vampire.S: 記号論とかより先に、たぶん心理学とかインタビューやアンケートの手法の議論が先に立つでしょうなあ。
 ところで、私はFineの議論*5は一文字も読んでないのですが、彼は、そういう議論をしてなかったんでしたっけ? というのは、確か彼の先行研究に属する系統の実証心理学や文学に近い部門が、精力的に行っていたのが「録画・録音してしまったとき、人は“自然な”振る舞いにならない」というものだったと記憶しているのです。というか、Goffmanの主要研究ってそういう話じゃなかったっけ? なので、その主張からほぼ自動的に、リプレイというテクストを信用することの危険性が導かれると思うんですよね。
高橋: 彼は、Goffmanのflaming(認知枠組の構築と切替え)仮説を利用して先ほど述べたplayer, player-character, person の3つの立場が、混淆して(しかし、概ねスタティックに)切り替わっている、というような話をしています。Vampire.Sさんのおっしゃられたその話は、Goffmanというより、トマス&ズナニエツキの「状況の定義(definition of the situation)」の話ですね。
Vampire.S: で、まあ私はその分野の専門性は欠片もないのでアレですが、たぶん、そういう「見られていることを意識している」ということに自覚的な体系の方が、分析の対象として安全なんですよ。
高橋: そうですね。
Vampire.S: なので、恐らく生のTRPG研究するより、VIP板のスレを研究した方が生産的だと思うのですな。
高橋: そこでVIP板ですか(笑)まとめられることを念頭においたパフォーマンス、ですか?
Vampire.S: 「観察されている」「ログが残る」と参加者が思っているのだけれど、その上で、「架空の状況について、その場を構成しているメンバーによるアドリブ感を重視した言語ベースの“ゲーム”」となれば、これはキャラネタ板かVIPか、となるかと。なので、その辺を使って例えばindexical/symbolicの区分が成立するのかどうかを検証するとよいかと。
Vampire.S: といっても、私は成立しないと思ってますけどね。
高橋: うーん、まあ、その対象選択でも、成立は難しそうですね。indexicalなものってその場合そもそも何だ(テンプレ的やりとりとか)? とかになっちゃいますしね。
Vampire.S: AAとか。AAやコピペほど形式的で、その結果としてその場の空気によって意味が変わるものないんですよ。
高橋: そうですね。同一の表現なのに、コンテクストによって意味づけが全然違いますね。
Vampire.S: というか、一般に形式に対して意味を見いだそうとする場は、形式をそういう、非常に「能弁な」ものとみなそうとするんではないかと。武道における対戦を、「コミュニケーション」と主張してはばからない人々が多いわけですし。
高橋: なるほど。
Vampire.S: 全般的に、こんなところかなあ。あんまり参考にならず、申し訳なかったです。
高橋: ああ、いえいえ、とんでもない。ありがとうございます。むしろ、実証研究に向けた思考まで先取りした、とても建設的なコメントを戴け、感謝しています。
 書いた時に見た風景とかはそれほど間違ってはいない、という信念は持っているんですが(笑)、それが改めて会話型RPGの学術的仮説として有用かは、また別の話ですね。思考の練度と筆力が、まだ足りてない。また、「ゲーマーとしての自分の技巧の言語化手段」「会話型RPGに学術として貢献するための技」とを区別して、別々に達成させるための姿勢づくりがまだ不分明なのかなあと反省させられました。両方やらなきゃいけないと感じているので。
Vampire.S: まあ、とりあえず、実証可能な議論から始めるのがお勧めですなあ。計数と記載が物事の基本ですので。役人としては。
高橋: そっちの議論で面白いと思ってくれる人がまだ研究計画として見えないのがなんともですが。「RPGについての、実証可能で面白い立論」というものがちゃんと見いだせるならいいんですけど、それはまだまだしんどいですね。
Vampire.S: たぶん、無いんじゃないかな。
高橋: そこでその結論ですか(笑)
Vampire.S: いや、ホントの所、「RPGには議論可能な要素が無い」ということなら、構成的に証明可能なんだと思います。
高橋: ふむ。それが論理的に証明されてしまえば、経験科学にしようとする試みのほとんどは無為になっちゃいますね。
Vampire.S: うーん? まあ、実証心理学程度には実証性があるとは思いますよ。ただ、実証真理学って結局、心理学的実験結果の多くは心理学的実験手続きによって任意に創出できることを発見しちゃって、終わっちゃいましたけど。
高橋: そうっすね。僕が構築主義以降のパラダイムを模索する社会心理学研究室にいるのも、概ねそういうのがあんまり面白いと思わなかったためなんで。ただ今度は、現代思想からどうやってもう一度実証可能な研究アプローチを作るかというところで泥沼の格闘がありますけれども。それで社会表象理論やパース記号論から今思考を整理していますが、なかなか難儀しますね。そもそも大学院の研究ではTPRG研究はまったくメインではないんですけれども、ぶつかる壁(方法論とそれによる実証までの達成)の厚みは、あんまり変わらないっぽいですね。
Vampire.S: まあ、計算機屋はその点少し楽してるので、他の分野の方々には「頑張ってくださいね」としか言えませんなあ。
高橋: (笑)。大変ですが、まあ楽しいですよ。仮説形成だけで力尽きちゃって総スカン喰らいかねないところがあれですけれども、仮説のための先行研究整理と、実証に向けて一歩一歩進んでいくのは、個人的に苦痛ではないので。
 また今回の件については、Vampire.Sさんが今述べてくれたようなかたちでの批判が欲しかったので、ようやく安心したところでした。まっとうな指摘を頂けて、書いた甲斐がありました。どうもありがとうございます。
Vampire.S: それは良かった。また、何か面白いことを書かれたら、拝見できれば幸いです。
高橋: いえいえ。今回の主張が不分明であまり楽しませられなかったかもしれず、申し訳ない。
Vampire.S: というわけで、夜遅くまでおつきあい頂き本当にありがとうございました。
高橋: こちらこそ、ありがとうございました。
Vampire.S: なんか本チャットが役に立つようなら、自由に使ってやってください。
高橋: あ、了解です。
Vampire.S: それでは、おやすみなさい。
高橋: おやすみなさい。

*1:高橋志臣,2008,「仮象論のパラドックス――〈ゲームシステム〉と〈テーブルの合意〉を区別する」(http://d.hatena.ne.jp/gginc/20080915/1221483369

*2:ここで述べられた「4R2」とは、『ルーンウォーズ』のメカニズムにおいて、現象の規模を表す為に20進法で記述される特殊な数値のこと。R1は20を、R2は40と、R3は60と等価であると見なし、端数をRの左側に記述する。こうすると、44は「R2+4」で「4R2」と記述できる。個人のアトリビュートはRではなく「w」(ないし「山」を用いる。5w1の「怪力」は、25の力を持つ怪力ということになる。)

*3:どうしてparameterという語を選んだのかというと、「母数がわかっている時に適用可能な、有限個数の変数を用いた検定」のことを、統計学用語でparametric testと呼ぶことから。一方で、母数を前提とできない検定のことをnon-parametric testと言う。TRPGにおいて、変数が定義されていない以上、尺度もその都度即席で当てはめていくしかないものは、non-parametricな設定情報である。名義尺度や順序尺度などでしか表されていない設定情報は、これに該当しやすい。ただし、ファンタジーRPGにおけるクラスなどは、実質「比例尺度で表現可能なパラメータのパッケージ」として分析可能であることが多く、名義尺度ではないこともしばしばである。

*4:Salen, Katie and Eric Zimmerman, 2004, Rules of Play: Game Design Fundamentals, Mit Pr.

*5:Fine, Gary Alan, 1983, Shared Fantasy: Role-Playing Games as Social Worlds, Chicago and London: The University of Chicago Press.