GOD AND GOLEM, Inc. (はてなダイアリー倉庫版)

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『ブルーフォレスト物語』を遊ぶ

 ツクダ版ではなく復刻版で。

ブルーフォレスト物語 リバイバル・エディション

ブルーフォレスト物語 リバイバル・エディション

 読んでみて2009年の今となっては色々と笑ってしまうところがあるシステムなのだけれど、ゲームマスターの側で調整を掛ければ、かなり現代的に廻ってくれる(直したのは私ではないのだけれども)。今回は調整の結果、ブルフォレがもともとパーセンテージダイスを使っていることもあって、『ウォーハンマーFRP(WH2e)』の『堕落の書』をプレイしている感覚にかなり近づいていったと思う。ただ、シェリーウェバの経済圏に対して徹底した考察が加えられていたので、シナリオの肌理は自ずから異なってくる。そこが味わい深かった。
 ところで『ブルーフォレスト物語』、古いゲームなだけあって、移動システムに関してはほとんど規定がない。21世紀で言うなら、FEARの「エンゲージ」の概念は、厳密なグリッドマップやヘクスマップに比べて抽象的すぎる、という批判的意見(?)が時たまあるけれど、それはゲームコンセプトに併せて確信的に導入されているものだということで、受容者側での納得は可能だ*1。しかしブルフォレには戦闘中の移動ルールが十分に書かれていない。移動ルールがないわりに、魔法の効果範囲はメートル法で規定されていたりする。この辺の「コンセプトのシステム内での調整不足」が、いかにも90年代前半のシステムらしい。当時は、TRPGシステムデザインとはそのまま「世界をゲームデザインによって記述する方法」だったのだろう。私としては、当時のブルフォレにこそ「エンゲージ」の概念くらいあってもよかったのではないか、とプレイ中に感じた(もちろん、グリッドorヘクスでもいいんだけど、そこまで空間を仕切らなければならない必然性をルールブックからは読み取れない)。
 その後、国産TRPGのシステム設計思想は、「物語的な何かを共有するための効率性」を徹底して追求していくことになった。そこには確かに見落としてはならないことは多いし、技術革新に関しても、沢山書くべきことがある。けれど伏見は、ここ10年くらいの国産TRPGが目指していた方向とは、ちょっと違う“方向”を向いている気がするTRPGを「批評」するということが、もしまともな作業としてあり得るのだとすれば、それは単一な価値基準から観て道具としての良し悪しに点数を付けていくことではなく、こういう“方向”とは具体的にどういうものがあり得るのかを、丁寧に言葉にしていくことではないだろうか。
 特に、『ブルーフォレスト物語』が目指した背景世界については、システムを現代化した時、昨今のファンタジーRPGに負けないポテンシャルを発揮するのかもしれない。そこで重要になってくるのは〈システムデザイン〉よりはむしろ〈運用〉の領分だろう。これを全部伏見の責任と考えてしまっては、面白いRPGセッションに出会う機会は極端に減じてしまうだろう。それは、TRPGゲーマーにとって大きな損失ではないか。(だから私は、一貫して〈運用〉に重きを置いた議論を立てているのである)。
 ちなみに、伏見は付属CDに「2DR」という、オープンソース的な配布規定を定めた2d6下方ロールシステムを載せている。このシステムは、「6」の目を「0」と読み換えることで1〜10の乱数を出す方式で、「6・6」がファンブル扱いになる。能力値はSTR・DEX・SEN・WIZの4つ。その他、いくつかのデータがあるけれども、『ブルーフォレスト物語』と直接関係があるわけではなさそう。ミクシィでサポートをしているらしいが、動向については詳しく追っていない。

*1:そのシステムに瑕瑾があるかどうかは、システムデザインでサポートしようとしている範囲がどこまでなのか、きっちり理解する必要がある。さらにシーン全体攻撃ができることによる表現の幅の広がりについてちゃんと論じられるだろう。この仕事は、別の人に任せたい。