GOD AND GOLEM, Inc. (はてなダイアリー倉庫版)

2007-2012まで運用していた旧はてなダイアリーの倉庫です。新規記事の投稿は滅多に行いません。

そうかー、ハッカたんはツンデレキャラだったのかー

 紅茶さんのブログコメント欄より。

紅茶檸檬「ちなみにTRPG圏最強のツンデレきゃら*1であるところのggincさんの攻略には半年を要しましたので」
■紅茶檸檬2008.09.01「誤配論的、誤読的」『TPRGのススメ?』
http://d.hatena.ne.jp/koutyalemon/20080901/p1#c1221940600

 攻略されとるーーーーーーーーーーーーーーーーーー!(=w=;;;*2

 まあ面白いのでOKとします。かなりローカルな表現だと思いますが、私は紅茶さんのユーモアとして楽しんでます。そのまま妄想GOです。*3
 ところで、私は2003年あたりからNiftyココログ」のBlogサービスで『神饌喰い。』という、だいぶ若気の至りな文章(いや、それは今もか)をコツコツ書いて、一時期「なんかよくわからん19歳が馬場論とかスタニスラフスキーの演劇論*4とかでぶ猫JISとかワケワカメなこと言ってるぞ」ということで話題になりました。
 当時は「白河堂」(はっかどう)という名前でいろいろ書いてたので、その頃に知己を得た方からは今でも「はっかどーさん」とか「はっかさん」とか言われたりすることもあります。今は「高橋さん」と言われることの方が増えましたが、それは単純にオフで知り合いになった方に関しては、さっさと本名で読んでもらった方がラクだからです。ふむん。
 そんでもって2004年の夏ごろにScoops RPGから打診がありまして、色々書いてみたのですが、2005年あたりに書いたことがいろいろ複雑な困難を抱えていることに気づいて、Scoops RPGに連投するということはなかった。どちらかといえば寡作な人間です。
 そのあと芝村裕吏さんが出した『Aの魔法陣』の設計思想に惚れて分析したり、ついでに分析哲学の本を手に取ったり、東京で知り合いになった方と一緒に国内ゲームと海外ゲームを交互に遊んでみたり、コスティキャン馬場秀和系の「形式主義的アプローチを取ったゲームデザイン論の国内展開」*5を文献整理で示したりしているうちに、すっかりBlogでの蓄積が中心になってしまったという経緯がございます。
 はてなダイアリーに移ってきたのは2007年01月でした。それから本格的に投稿を開始したのは、2007年の5月。そこから半年間ってことは、やはり『ギートステイト』をめぐるあたりだろうか。2007年07月14日の話です。これが、ラノベ文化圏とTRPGを接続することでTRPG普及に努めようとする紅茶さんの気分を害してしまったかも、ということは大いに考えられる。つまり、意図せず計画の阻害・領域侵犯をやってしまった可能性がある(笑)。はじめてはてな村の雰囲気を体験したエントリでもありましたし。
 ただ私自身は、紅茶檸檬さんと「争った」とかそういう過去があったという気分はまったくないんですよね。むしろ「おー、なんかはてなダイアリーの先達がいる。TRPGラノベ文化圏の両方に目配せしていて、面白い活動をしているなあ」とか、最初からそういう感じだったのですよね。実際、Blog運営について色々学ばせていただいてます。
 だから、私の方がつっけんどんにあしらわれたとか、逆に私の方が悪く言ったとか、そういう感覚はほとんどないですねえ。一貫して「ラノベ・漫画・アニメの批評知識を駆使して、TRPGに関する建設的な主張をしている穏和な人」として私は認識しています。むしろこういう路線で、TRPGにおける〈想像力の環境〉*6を、ただ素朴に受け止めるだけでなく、面白さをかみしめながらその問い直しを図る、という路線は、もっと試されてもいいなと思っていました。私はTRPGは好きですが、ラノベ・漫画・アニメの文化圏にアプローチできるほどの基礎教養がない(しかも、その「TRPGが好き」と「漫画・アニメ・ラノベ教養がない」は、「TRPGを一生遊ぶ」という目的を達成するにあたっては、漫画・アニメ・ラノベ教養のある人がTRPGを楽しむことを否定することなく、問題なく遂行できるものだと思っている)ので。*7
 もしかしたらその当時、私が読み切れなかったほどの相当な葛藤を紅茶さんに与えてしまっていたのかもしれませんが(笑)、少なくとも私は気にせず毎日放言していた、ということになりそうです。もしお気に障った部分が2007年段階のエントリにあったなら、申し訳ない。素直に謝ります。

*1:そういえば某所で「白河藤」という眼鏡っ子生徒会書記系の女の子になるという、本人が卒倒を通り越して笑ってしまうほどのパロディがあったけれど、あの絵を描いた人は今でも元気にしているだろうか。私はあの事件があったので、もうすっかり慣れました。今なら私はどんな風に擬人化萌えされるのだろう。いや、擬人化というか人なんですが。誰か書いてくれる人いませんかね。ところで紅茶さんの脳内ではggincはどんなタイプの萌えキャラに脳内変換されているのか、大いに気になるところ。こっそり教えてください。こっそりと。

*2:紅茶さん的表現

*3:私個人が真面目な文章でやるかっていったら、それはあんまりないでしょうが、私は紅茶さんとそれなりに交流させてもらってるというつもりです。こういう冗談はどんどんやってください。

*4:[rakuten:book:10098893:detail]

*5:ちなみに私は、べーつにコスティキャン→馬場流の「ゲームの形式を考える」ことだけが唯一のゲーム,TRPG分析だなんて言ったことはまったくありません。ただし、網羅的に、なるべく整合性を保ちながらTRPG研究として構築された馬場理論に対する競合理論が別にないので、とりあえずそれを分析・批判する作業が必要だっただけです。ただし、そうした作業を行うことそれ自体については尊敬しています。ですから、特に馬場さんやその他の馬場氏の文脈で語る人を、「議論が十分ではない」という点だけで過剰な個人攻撃をする理由は私にはありません。ところで、まっとうな批判をしている人は既にいて、たとえば「コスティキャン系の分析は形式主義的にすぎる」という牡牛さんの批判などは大変まっとうで、コスティキャンから外れたゲーム論の再構築をしています。ただしそれが「経験」ではなく「形式」の分析という点では、やはりコスティキャン・馬場系のTRPG解析と同じ立場に立っているものだとは思っています。まったく別のアプローチを、という時は、ラフ・コスターのような「主観的にゲームを把握するとは何か」というアプローチを取る立場もあります。私は、馬場氏の功績を整理した後、むしろこちらの路線を中心にTRPGに関する考察を進めていくことになると思っています。

*6:東浩紀の用語。『ゲーム的リアリズムの誕生』で強調されたもので、紅茶檸檬さんもたまに引用することばです。

*7:これ、誤解する人が多いけれど、まあ、今は誤解されても仕方ないのかもしれない。長いスパンで説明していくしかないと思っています。