GOD AND GOLEM, Inc. (はてなダイアリー倉庫版)

2007-2012まで運用していた旧はてなダイアリーの倉庫です。新規記事の投稿は滅多に行いません。

小論文:TRPGとカウンターカルチャーの関連性についての論証

 ひっさびさにTRPGのながーいエントリです。
 テンパってる中での執筆なのでところどころ文章がおかしい部分がありますが、数日中に清書しますのでご勘弁を。

 id:nitarさんの『メタサブカル病』というサイトで、哲学者・評論家・作家*1東浩紀氏の講義が毎回まとめられています。id:sakstyleさんがはてブしてたので、気になって読みはじめました。毎回大変楽しく読ませていただいています。

 さて、私のBLOGは、「たまに覗けばだいたいよくわからんTRPGのカタめな話をしてるトコロだろ?」という認知のされ方をしているはずなのですが(ごく最近はそうでもないけどな。ユルすぎだ)、同じくTRPG系の話をすることが多い紅茶さんのところで「TRPGハッカー文化ってどれだけ関係あるの? そもそもTRPGの政治性って?」って話がありました。

id:koutyalemon,2007.11.16「東浩紀、SFとTRPGとhatenaにハッカー文化の影響を見るだそーな」
http://d.hatena.ne.jp/koutyalemon/20071117/p1

そこで言及されたのが、第6回講義の以下の部分。

ハッカーはコンピュータに詳しい人を意味する
犯罪者の意味はない

技術は価値中立的
しかしネットに関してはそうではなかった
コンピュータは最初の頃から社会的なヴィジョンと関わってきた
それを代表するのがハッカー文化
これは色々な独特な側面を持っている
とりあえずスティーブン・レヴィの「ハッカーズ」を読むといい
1980年代前半
既にハッカーの歴史は2、30年あった
ハッカーはどういう出自で出てきたのかわかる
80年代の頃に勃興してきたハッカー文化サブカルチャーや左翼思想に近い
Do it yourself
コンピュータが好きっていうのは何を意味しているのか
コンピュータ部って今は何やっているのかな
ゲームかな
昔だとビデオ出力のインターフェースを自作したり
マシン語書いたり回路を作ったり
1970年代の西海岸のハッカーたちがそうだった
ジョブズゲイツ
その後ろにあるのはガレージで自作でコンピュータを作るハッカーたち
MITの人たちとは全く違う

SFとかTRPG文化に密接に結びついている
ハッカーたちの基本的なメンタリティに反権威主義
ジョブズはでっかいカンファレンスでもTシャツ、ジーンズ
ラフな格好がかっこいい
ある種の政治的な意味
ここら辺のことは色々な文献を見ればよくわかる
(nitar2007.11.16要約)

 ここで「なぜ東浩紀TRPGについて言及したのか?」という、かなりどうでもいいところにTRPGモノはビビッと食いついちゃうわけですね。私もその例外ではない。nitarさんも、さすがにこの一行だけでTPRGゲーマーからトラックバックを貰うとは思っていなかったのではないでしょうか(笑)。

 さて、今のところ、もっとも興味深い意見を書かれているのはid:mimizuku004さん。

id:mimizuku004,2007.11.16「TRPGのゲームデザインと政治思想」『古木の虚』
http://d.hatena.ne.jp/mimizuku004/20071118/1195386818

 TRPG系Blogでは、RPG日本の鏡さんに端を発した「TRPGの自由」について語ることが最近のブームになっているようですが、それを眺めていた方から先日、「自由意志と、倫理学政治学的な意味の〈自由〉概念はかなり違うはずなのに、なぜTPRGの議論では、それらを安易に混同してしまっているんだろう」という意見を頂きました。
 私もそれについては「その通りですね」と深く頷いていたところでしたから、TRPG論議においてミルの『自由論』が出てきて、「あーようやくミル的な意味での〈自由〉の話が出てきたなあ」とホッとしているところです。
 ミルの自由論およびそこから来る〈リベラリズム〉の思想は、そもそも「自由意志を擁護する議論“ではない”」のですよね。
 ですから、TRPGにおける〈意志決定〉等と、ゲーマーの自由意志を絡めて論じる際に、単に「自由」とだけ書くのは、とても危ないことだと思うんですよ。
 私がこの一連の議論に途中から加わらなくなった理由にはいろいろとあるのですが、一番の理由は、「そういったところから説き起こす必要があることに気づいていながら、そのような余力が物理的に足りず、諦めるしかなかったから」なのでした。
 そのようなわけで、リベラリズムと「自由」概念についてTRPG者の立場からしっかりフォローしてくれたmimizukuさんに感謝です。どうもありがとうございます。

 さて、本題。
TRPGはどれだけ反権威主義と関係があるか」という話を論証しましょう。

 今回のエントリを書くに当たって、ソースとなりそうな文章を過去の没原稿から見つけてきました。

 元々TRPGコラム用ではない、別の文章として書かれたたものですが、コラムの方に持ってきたほうがよさそうなので、ここに再編集して公開します。

 現時点で私が言える結論だけ、先に書いておきます。

ハッカー文化RPGの関係は、むしろWIZやRoguelikeなどの初期コンピュータRPGの方が遥かに強い。したがって「TRPGハッカー文化」と即断することはできない。しかし、アメリカの70年代ファンタジー文化とカウンターカルチャーの強い結びつきを前提とすれば、“ハッカー文化D&D”との間には関連があると言える」

 そもそもコンピュータRPGを作った連中のほとんどは、D&D指輪物語の洗礼を受けて、それからARPANETを使って勝手に『ゾーク』やら『エスケープ』やら『ローグ』といったゲームを作ってたわけです。アーマークラスの概念だって普通に埋め込まれていたりします。WIZだけでなく、たとえばRoguelikeのひとつである『NetHack』なんかそうです。

 それと、mimizukuさんがおっしゃっていた「東の言う文献とは?」ということでしたが、もしハッカー文化TRPGの話をしたいなら、まず『ダンジョンズ&ドリーマーズ』を参照するのが良いと思います。のっけからゲイリー・ガイギャックスが出てきて、TRPGゲーマーの方々は驚かれると思います。MMORPG史についてのノンフィクション本も、TRPGの成り立ちについて言及するところから始まっているのです。

ダンジョンズ&ドリーマーズ

ダンジョンズ&ドリーマーズ

 というわけで、「初期TRPGゲーマーの一部は、ハッカー的な性格を強く併せ持っていた」というあたりまでは、かなり自然なことだと言って良いでしょう。1970年代のコンピュータ・ゲームの担い手は、その多くがヒッピー的で、ガンダルフ万歳で、「ビホルダーマジF○○K」な感覚を共有していたはずです。*2

 しかし、だからといって「今のTRPGが政治性を持っているかどうか」という議論は、また別の話となります。そもそも今の日本のTRPGゲーマーが「『指輪物語』は70年代ヒッピーの対抗文化と深いかかわりがあったんだよ」なんてことを聞いても、アメリカ文化の知識なしにそれを受け止められる人は少ないでしょう。もしかしたら、今のアメリカのTRPGゲーマーも似たようなものかもしれませんね。今の日本のプロでそれを実感していて、さらにあえて積極的に言及しているのは、おそらく芝村裕吏さんくらいではないかと思います。
 もし、そのあたりの「黎明期」と「現在」を引き合わせて、「今のTRPGの政治性は……」と論じ始めたいならば、その前にいろいろクリアしなければならない前提があると私は思います。
 そして元の東浩紀氏の講義ノートを見る限り、その発言は下記に立証する「70年代アメリカ文化」にのみ限定して述べられたものと解釈するのが無難だと思われます。
 今回のエントリは、その70年代に限定した「TRPGカウンターカルチャー」について、典拠つきの説明をするために書かれています。

 ところで、今回の話では、安田均さんの文章が大々的に引用されています。
 安田均さんというと、TRPG界隈の方にとっては「グループSNEの社長」なイメージが強いでしょう。けれども、まだ翻訳家として精力的に活動していた80年代中盤では、こんないい仕事もしてたんですよということを、皆さんに知っていただきたいですね。実際、TRPGボードゲームの産業を「SFファンタジィ・ゲーム」と総括した安田さんのゲーム評論家としての視点は、今でも参照するに値するものだと思います。


小論文:カウンターカルチャーとしてのD&D

 TRPGの成立には,娯楽小説としてのサイエンス・フィクション(SF)やファンタジー・フィクション(FT)およびウォーゲームを中心としたシミュレーション・ゲーム(SLG)の文化的な流れが密接に関わっている.

 その具体的な歴史的流れについては,安田均『SFファンタジィゲームの世界』(→参考文献データ*3)に詳しい.以下,安田の議論を引用しつつ,ウォーゲームからSFファンタジィの文脈を受けてTRPGが誕生した経緯について追っていくことにする.

 シミュレーション・ウォーゲームは.現代でこそ,先ほども述べたロバーツ*4考案のボード(および厚紙コマ)タイプが主流となっていますが,これがすべてというわけではありません.(中略)また,いわゆる軍の模擬演習ゲームとして,十九世紀にはプロシアでこうしたものが正式に採用されていたとも伝えられます.
 しかし,たとえばイギリスではこうした盤上ゲームより,ミニチュア・フィギュアを使ったシミュレーション・ウォーゲームの方が盛んであり,今世紀初頭には初めてそうしたゲームをルール化した商業作品が現われました.題名は『小さな戦争:12歳から150歳までの少年のためのゲーム,そしてまた,少年のするゲームの好きなとても知的な少女のためのゲーム』Little Wars: AGame For Boys from Twelve Years of Age to One Hundred and Fifty and for That More Intelligent Sort of Girl Who Like Boy's Games(一九一三年)と言います.作者は誰だと思われますか? これがなんとあのSFの祖,H・G・ウェルズなのです.[安田 1986: 21-2]

 H. G. ウェルズ*5 は,ジュール・ヴェルヌと共にSFのジャンル確立に大いに貢献した人物として知られる.しかし安田は,このSF作家であるウェルズこそが,将棋や囲碁などの伝統的なテーブルゲームとは異なる文脈から発生した近代ボードゲームの祖であることを強調している
 どうしてそのような事実が重要性を帯びるのか.安田はこの歴史について触れる前段で,そもそもSF的な発想は,「シミュレーション・ウォーゲーム」が持つ特性そのものと非常に親和性があるということを指摘している.

 もちろん,社会にゲーム化現象が見られるといっても,現実がゲームそのものではないのと同様に,シミュレーション・ゲームも現実を“摸する”のであって,現実そのものではありません.いや,むしろこうしたゲームには,現実に近づけば近づくほど,逆にゲームとして,ありえたかもしれぬ“もう一つの現実”に想いをはせさせる魅力もあると言えます.ウォーゲームならそれは,もしドイツが東部戦線で勝っていたらとか,第二次大戦で日本がミッドウェーで勝利をおさめたら,ということになるでしょうし,ビジネス・ゲームだと,ああすれば投機に成功していたのに,ということになるでしょう.
こうした,“もう一つの現実”というのはSFでは“IFの世界”といって,よくみかけるテーマです.別名,パラレル・ワールド,平行宇宙とも言います.シミュレーション・ゲームには,先ほども書いたようにシミュレートという鋭い現代性をもつ機能があると同時に,ゲームとしてこうした“もう一つの現実”を実感させてくれるという,じつに楽しい側面も存在するのです.これが本来そうしたテーマをもつSFと結びつかないはずはありません.  かくして登場したのが,SFゲームというわけです.ですから,シミュレーション・ゲームとSFゲームは当初からわかちあいがたく結びついていたといえるでしょう.SFゲーム・ファンにウォーゲームほかのファンが多いのも,“もう一つの現実”という共通項があるからだと思います.[安田 1986: 11-2]

 実際,当初は世界大戦やナポレオン戦争などの過去の史実を題材にしていたシミュレーション・ウォーゲームの業界は,1970年代初頭のSFの隆盛と共に,“惑星間抗争”や“未来戦争”などの,SF的な設定をもとにデザインしたものが多く開発されるようになる.[安田 1986: 25-49]
 このような潮流の中で登場したのが,1974年,世界で初めてのロールプレイング・ゲーム 『ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ』 (Dungeons & Dragons; D&D ) だった.これは元々,中世ヨーロッパからルネサンス期の集団戦闘を再現した1971年のミニチュア・ウォーゲーム Chainmail の拡張追加ルールとして発表された。ゲイリー・ガイギャックスとデイブ・アーンスンが作った“ファンタジーサプリメント”と“個人戦闘”のルールの意外な人気が、『D&D』誕生のきっかけとなったのである.
 “個人戦闘”のルールは,当時「一つの人形が一人の人間を表す」[Gygax (1987) 1989: 22]というルールがシミュレーション・ウォーゲームの業界では比較的珍しく,ウォーゲームファンの間で一定の評価を与えられた.しかし、それよりもさらに根本的に、『D&D』の成立に直接影響を及ぼしたことがある.それは,1960年代後半から70年代前半におけるJ. R. R. トールキンファンタジー小説指輪物語』(原題 "Lord of the Rings" ; LOTR)の爆発的流行である.その当時の “『指輪物語』現象”は,現在の私たちには考えられないほどに大きなものだったという.
1969年にその“現象”をまとめたリン・カーターは,当時の熱狂的な『指輪』人気がどれほど異常なものであったかを、次のように報告している.(参考文献→*6

指輪物語』という題をもつ,おそろしく長大でおそろしく奇妙な本を,ほとんどだれもが読んでいるという状況が,とつぜんやってきてしまったようだ.(中略)
 程なく,『指輪物語』はグリニッチ・ビレッジのエスプレッソハウスで話題になり,論議を呼んで,それがやがて高校の校庭へ,そして大学のキャンパスへと広がった.(中略)まったくあきれるほど色とりどりの“トールキン物”が,今書店の棚を占領している.“中つ国へようこそ”と見出しがついた四色のトラベル・ポスターから,ランド・マクナリーの出すもっとこの世風な制作物も顔色なからしめるほど豪華な25×38インチ版カラー壁地図“トールキンの空想国”まで.グリニッチ・ビレッジの商店街を覗いて歩けば,「フロドがんばれ!」とか「行け,行けガンダルフ!」──もちろん,トールキンが創造した言葉でルーン文字に似たエルフ語アルファベットに,きちんと翻訳されているのだが──などと言葉の入ったバッジが手にはいる.シードモン・レコーズのような正統的なレコード会社までが,LOTR から採った詩のいくつかを教授みずからが創作言語を用いて朗読しているレコードを,売り出した.(中略)
 アリオストやマロリーやスペンサーらとまじめに比較される現代小説にしては,本書『指輪物語』は驚くべき販売実績をあげすぎている.ハードカバー版の販売量は,ゆっくりとだけれど確実に,米国で約九年間にわたって上昇カーヴを描いてきた.しかしトールキンが出版界の歴史をつくりはじめたのは,三部作がペーパーバックとして流布するようになってからのことだ──最初のエース版は一九六五年六月に刊行され,四ヶ月後トールキンみずから改訂を加えた新版がバランタイン社から出版された.なぜなら,千三百ページになんなんとする三部作を,最初の十ヶ月で二十五万部も売りつくすのは,たしかに異常だったからだ.わたし自身,SFとファンタジーの分野で十八冊のやや普及した著書を持つ作家として,一セット二ドル二十五セント(エース版)から二ドル八十五セント(バランタイン版)にもなるペーパーバックを二十五万部以上も売りつくすことは,まったく驚嘆に値する快挙だと,請け負ってもいい.
 単刀直入に言おう,この極端に長くて,しかもひどく奇妙な本は何なのか? [Carter (1969) 1977: 11-6]

 ボードゲームの制作と販売を手がけていたTSR(Tactical Studies Rules)社の二人が1970年代に『D&D』を制作しようとし、そして実際に商業的成功を収められたのには,このような社会的背景があった.空前のファンタジーブームとカウンターカルチャー、そしてTRPGの生誕は、微妙に重なり合いながら70年代のアメリカン・サブカルチャーを醸成していたのである。
 なお、TSR社は,この『D&D』を出してからたった数年で,業界最大手のAvallon Hill社と肩を並べる企業になり,「フォーチュン」誌の「アメリカ急成長企業ベストテン」に社名が掲載された.[安田 1986: 51]
 しかしながら,TSR社が70年代中盤に大躍進を遂げた頃に「ロールプレイング・ゲーム」というジャンルがはっきりと認識されていたわけではなかった.この『D&D』の成功がはっきりと認知され,TRPGというジャンルがゲーム業界における一つの勢力として結実したのは、70年代末のことだった.そこではじめて,SFやファンタジーといった背景世界を取り込んだ多様なジャンルのTRPG製品が制作され,TRPGが(元からその傾向があったものの)物語的な色彩を備えていることが自覚され始めた.多摩豊の言うところの〈第二世代RPG〉が誕生するのは、この〈背景世界〉の発見によるところが大きい(しかし、それはまた別の話である)。

*1:最近『キャラクターズ』という小説を発表して、この肩書きがついた。

*2:最後はどうか知らんけど。

*3:安田均,1986『SFファンタジイゲームの世界』青心社.

*4:チャールズ・C・ロバーツ:ウォーゲーム業界の大手 Avalon Hill 社の創始者.1953 年に作ったシミュレーション・ゲーム"Tactics" は,四角のマス目に兵力を表す厚紙のコマを使って双方の軍が戦闘をする(戦闘は確率計算によって再現する)という現代ウォーゲームの基本を備えた形式であり,その後のウォーゲームやシミュレーション・ゲームの基盤を築くきっかけとなった.[安田 1986: 20-1]

*5:ハーバート・ジョージ・ウェルズ(Herbert George Wells, 1866-1946)イギリスの小説家・SF作家.代表作は『タイムマシン』[1895],『透明人間』[1897],『宇宙戦争』[1898] など.その他プロフィール・発表作品はThe H. G. Wells Society (http://www.hgwellsusa.50megs.com/UK/index.html)に詳しい.

*6:カーター、リン [1969] 1977 『トールキンの世界』荒俣宏訳、晶文社